サッカー女子のリオデジャネイロ五輪アジア最終予選は29日、大阪市のキンチョウスタジアムなど2会場に、日本(なでしこジャパン)、オーストラリア、韓国、中国、ベトナム、北朝鮮の6チームが集って始まった。 世界ランク4位の日本は同9位のオーストラリアとの第1戦に臨み、1―3で敗れた。日本は2点を追う前半終了間際に大儀見が1点を返したが、後半33分に追加点を奪われた。 日本の先発はGK山根、DF有吉、岩清水、熊谷、鮫島、MF川澄、宮間、阪口、中島、FW大野、大儀見。 このほか、第1日は中国が2―0でベトナムに勝ち、北朝鮮と韓国は1―1で引き分けた。 最終予選は10日間の日程で6チームが総当たりし、上位2チームが五輪出場権を手にする。 ▽交代 【日】横山=長野(前40分、大野)岩渕=バイエルン・ミュンヘン(後39分、鮫島)川村=仙台(後39分、川澄) ◇ 日本・佐々木監督 「悪い内容ではなかった。今
[2.29 リオ五輪女子アジア最終予選 オーストラリア3-1日本 金鳥スタ] リオデジャネイロ五輪女子アジア最終予選初戦でオーストラリアに1-3の敗戦を喫し、黒星スタートとなったなでしこジャパン(日本女子代表)。キャプテンのMF宮間あやは試合後、悔しさを滲ませた。 初戦の難しさは「もちろんあった」としつつも、「自分たちの実力だと思う。まだまだ足りないということです」と話した。「やれることはやっていると思うので、足りないということを自覚して、もっともっと努力したい」。 6チームが参加する最終予選。上位2チームにしかリオ五輪出場権は与えられない。初戦でつまづいたものの、「終わったことを考えても仕方ない」と次戦へと視線を移す。2日後に行われる第2戦韓国戦に向けて、「あと4勝するしかない。まだチャンスはあると思うので、気を引き締めてもう一度向かっていきたい」と答えた。 ●リオ五輪女子アジア最終予選
電波停止発言「驚きと怒り」=民放キャスターが会見 高市総務相の停波発言を受け、記者会見で抗議する民放キャスターの岸井成格氏(右から3人目)ら=29日午後、東京都千代田区 民放テレビキャスターの鳥越俊太郎氏、岸井成格氏らが29日、東京都内で記者会見し、放送局への停波命令の可能性に触れた高市早苗総務相の発言について「表現の自由を保障する憲法や放送法の精神に反する。私たちは驚き、怒っている」と非難する声明を発表した。 【特集】古舘キャスター「報ステ」降板〜「不自由な12年」〜 鳥越氏は「安倍政権のメディアに対する姿勢が現れた。ある種のどう喝だ」と懸念を示した。停波の根拠とされた放送法の「政治的に公平であること」との条文について、岸井氏は「ジャーナリズムは権力の暴走を止めなければならない。それが政治的公平・公正だ」と訴えた。 (2016/02/29-18:14) 2016/02/29-18:14
FILE - In this Feb. 26, 2016, file photo, Republican presidential candidate Donald Trump gestures during a speech at a rally in Oklahoma City. Democrats increasingly view Trump as the likely Republican nominee and are seeking consensus on the best way to challenge the billionaire's unpredictable appeal in a general election. (AP Photo/Sue Ogrocki, File)
ひたすら求めるも…手が届かない猫(動画) 天井から吊り下げられた紙の筒が気になってしかたのない猫。 「届く位置にはないけど、どうにかキャッチしたい!」と手を伸ばすのですが……。 まるで魔法でも唱えているような映像をご覧ください。 Cat trying to catch something dangling too far away - YouTube 「フニャ」 「フニャニャッ!」 「むー」 「ニャッ!」 別の猫(なにしてるのー) (しーっ、静かに) 「フニャニャッ!」 こうして、いつまでも猫のおまじない(?)は続くのでした。 関連記事「やせ細った子猫を保護したら元気になってくれた、でも驚きはもう1つあって…もふもふだった!」猫が猫の肩もみ…最高にいい顔してる!(動画)「うちの猫は手の上に座るのが好き…でもたぶん成長しすぎた」今現在の写真猫が寒がりとは限らない…雪の中ではしゃぎまくる2匹(
2011日3月9日は癌を患っていた私の母が安らかに逝った命日なんだが、慌ただしく葬儀の準備契約を済ませたところに大震災が来た。 葬儀社も震災による被害を受けて壊滅、列席予定だった人たちも多く亡くなり、私の母の葬式どころではなくなってしまった。 幸いにも遺体の安置されていた斎場は高台にあったので津波にさらわれずに済んだが、生きているものが優先される中で遺体は放置せざるを得ず母の遺体はそこに放置された。 ようやく母の遺体を回収したのは一ヶ月も過ぎた頃で、腐敗が進んで酷い状態だったので、葬式もあげずにそのまま県外の火葬場へと直行して、私の手元には小さな骨壷が一つ残っただけだ。 あれから5年が経過しようとしていて、震災で亡くなった沢山の方々を偲ぶ気持ちは私に当然あるし、友人や親戚も数多く亡くなった悲しみはある。 しかし何処か釈然としないのだ。 私の母が癌で死んだことを知っている人間がもう五年も経つ
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