かつてアメリカのフェミニズム(というよりウィメンズ・リブ)の運動で「なぜキリストは男なのか」という疑問(と批判?)が語られたことがあったといいます。これが日本では「女性は仏陀になれるのか」という問いになって語られることはあるかもしれません。 仏教の教義自体が非常に広範なものである以上に、それが混淆的で融通が利くものだけに、寛容さと同時に差別的な国情があればそれに合わせる無碍さが裏目に出るということはあると考えられます。実際、現実の教団や宗派、寺院などにおいて女性が不当な扱いを受けていた(る)という情報は現在でも散見するところ。 しかしこれが仏教の教義的な(つまり本質的な)ものかということについては、仏教学者の否定的な意見があり、「女性が仏陀になること」は可能とされています。 …仏陀は本来男女その他の相対的区別を超越しているのであるから、女性は仏陀になれるし、仏陀になったときには男でも女でも