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ww2に関するtorlyのブックマーク (25)

  • 戦没五輪選手の遺品を母校へ 記念メダルやアルバム 旧制広島二中 現在の観音高の同窓会に

    「戦没オリンピアン」で広島市出身の土井修爾さんの遺品が神戸市在住の長女から11日、父の母校・旧制広島二中から続く芸陽観音同窓会に寄贈された。1932年ロサンゼルス五輪水球競技に出場した際の記念メダルや写真アルバム、1期生だった二中の受験票などもある。西区の観音高は2年後に創立100周年を迎え、同窓会館に新設する歴史資料室で展示する。(西雅実) 長女の佐々木叔子さん(86)が「若い人たちに見て知っていただければ、うれしい」と、戦没オリンピアンの全体像を追う広島市立大名誉教授、曽根幹子さん(68)に遺品を託した。目録を作成して、この日、遺品を観音高内にある同窓会事務局に持参した。 土井さんは袋町小から二中に進み27年に卒業。早稲田大法学部在学中に五輪初の水球競技に出場した。日チームの成績は4位。英語で「第10回国際オリンピック大会」と刻印されたものや、東京市(現東京都)が作製した箱入りの記

    戦没五輪選手の遺品を母校へ 記念メダルやアルバム 旧制広島二中 現在の観音高の同窓会に
    torly
    torly 2022/01/22
  • 強制連行 歴史考えよう 石碑建立10年 広島で17日 集会

    戦時中に強制連行され、広島県安芸太田町の安野発電所の建設工事に従事した中国人の歴史を伝える石碑の建立から10周年を記念する集会が17日午後2時から、広島市中区上八丁堀の広島弁護士会館である。被害者や遺族を支えてきた市民団体が主催。被害者と西松建設(東京)との和解や石碑の意義について考える。 工事には360人が強制連行され、終戦後に帰国するまでに29人が死亡。うち5人は事件に巻き込まれて広島刑務所(現中区)に収容され、被爆して亡くなった。9年間にわたる裁判を経て2009年に和解が成立。和解金による基金の一部で石碑を建立し、追悼行事を開いている。 集会では5人が講演。元基金運営委員の杉原達さんが、和解の経緯や被害者の名前と日中友好を願う言葉を刻み、10年に建った碑について語る。主催する広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会の川原洋子事務局長(70)は、生存者や遺族の訪日事業などを振

    強制連行 歴史考えよう 石碑建立10年 広島で17日 集会
  • 映画「カウラは忘れない」 | hixの日記 | スラド

    カウラ事件のドキュメンタリー。 規模だけ見れば名作映画「大脱走」なんてもんじゃない。 しかし、動機というか目的がなぁ...近代の基準や価値観からしたらとっても残念。 偽名多数。後から捕虜で来た人が、自分の公式身分を教えてくれるしね(白木の箱にラバウルの土が遺骨として入れられて家族の元に帰ったとか)。 捕虜生活は快適だったらしい。 オーストラリアはい物に困らない感じだしね。 日人には魚!という要望も、最終的にはニュージーランドから冷凍した魚を調達してくれるぐらい手厚い扱いを受けていたらしい。 ゆえに戦死した同胞に申し訳なく感じるのかも知れない。 収容所の跡地はある程度保存されていて、案内の看板がある。 記されているのは「ここに収容所が有った」というより「脱走しやがった」という説明の模様。 式典の撮影時に墓を跨いで撮影しているカメラクルーが居た。多分日人。どこの阿呆だろうか? .

  • 回天の英語本 和訳し出版 周南の顕彰会 日米双方の視点 記録

    周南市の回天顕彰会は、元米軍人の息子たちが旧日海軍の特攻兵器「回天」についてまとめた英語書籍「KAITEN」を日語訳し、自費出版した。日米双方の視点で西太平洋での回天戦を記録した貴重な史料で、顕彰会の原田茂会長(79)は「ようやく出版が実現した。多くの方に読んでほしい」と話している。 同市大津島の基地から初出撃した回天の「菊水隊」が1944年11月20日、西太平洋のウルシー環礁で米軍の給油艦ミシシネワを撃沈。書では、攻撃を受けた米軍側の緊迫感や乗組員救助の詳細な様子に加え、日側が回天を開発した経緯、搭乗員の思いなども収めている。英語版の掲載写真は巻末にまとめた。 A5判、378ページ。表紙には英語版と同じミシシネワが撃沈された際の写真が載る。発行日は回天が初出撃した11月8日とし、中学生でも読めるよう平易な表現にしている。 英語版は米国で2014年に出版された。著者の一人でミシシネ

    回天の英語本 和訳し出版 周南の顕彰会 日米双方の視点 記録
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    torly 2018/05/07
  • ラムネ通じ平和紙芝居 市民グループ、安佐北区の工場題材 戦死の父継いだ山田さん

    広島市安佐北区安佐町のラムネ工場の歴史を題材に、平和について問いかける紙芝居を、安佐南区の市民グループ「待っとる間に鶴折る会・ヒロシマ」が作った。戦争で経営者を失い、苦労を強いられた実話を通じ、平和の大切さを考えてほしいと訴えている。(山田英和) タイトルは「山のラムネのものがたり」。安佐町小河内にある山田飲料工業所の経営者山田義春さん(80)にグループ代表の豊久芳光さん(52)=安佐南区緑井=が取材し、13枚の紙芝居にまとめた。 山田さんの父で創業者の洋造さんは軍が召集。山田さんが生まれて半年余りが過ぎた1938年4月に中国で戦死した。山田さんは、母が引き継いでいた家業を16歳で任され、高校で勉学に励みながらラムネの製造や配達に奔走して生き抜いたという。 紙芝居の中で山田さんは自身の体験を広島弁で語る。戦時中にラムネが嗜好(しこう)品として製造を禁じられ、機械を供出したことも紹介。物語は

    ラムネ通じ平和紙芝居 市民グループ、安佐北区の工場題材 戦死の父継いだ山田さん
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    torly 2017/11/11
  • 立花誠一郎氏死去 96歳 カウラ事件生き証人

    戦時中、オーストラリアの日兵捕虜収容所で起きたカウラ事件の生存者で、ハンセン病元患者の立花誠一郎(たちばな・せいいちろう)氏が7日、瀬戸内市邑久町虫明の国立療養所邑久光明園で死去した。96歳。名古屋市出身。葬儀は関係者で営まれた。 陸軍通信兵として東部ニューギニアを転戦した後に投降し、豪カウラで収容中発病。捕虜約200人が死亡した1944年の集団脱走暴動は隔離された天幕から目撃した。戦後は復員したが、帰郷できないまま51年から邑久光明園で療養生活を送った。晩年は講演などを通じてカウラ事件の証言を続けたほか、収容所で手作りした木製トランクを、国の戦傷病者史料館・しょうけい館に寄贈した。 (2017年11月10日朝刊掲載)

    立花誠一郎氏死去 96歳 カウラ事件生き証人
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    torly 2017/11/11
  • 空襲被害 忘れないよ 福山・光小児童が跡地見学

    福山市草戸町の光小5年の児童が、福山市内の寺や橋に残る福山空襲の跡を見学した。市人権平和資料館の職員の説明を聞き、空襲被害について学んだ。 63人が、焼け跡が残る福山城の石垣や焼夷(しょうい)弾で頭部が破損した石仏などを見て回った。霞町の中央公園にある噴水池跡では、空襲時に多くの人が飛び込んで身を守ったなどと説明を受け、熱心にメモを取っていた。 同小が平和学習の一環で資料館に案内を頼んだ。空襲は1945年8月8日にあり、354人の犠牲者が出た。 野田遥香さん(11)は「思ったより多くの跡があった。年下の子にも教えてあげたい」と話していた。(河合佑樹) (2017年11月8日朝刊掲載)

    空襲被害 忘れないよ 福山・光小児童が跡地見学
  • 'A feel-good moment': Charity worker reunites family with WWII heirlooms | CBC News

  • Nightmare in Berlin by Hans Fallada review: adrift in a country out of control

  • 浦上燔祭説 - Wikipedia

    浦上燔祭説(うらかみはんさいせつ)は、長崎市への原子爆弾投下および原子爆弾にまつわる永井隆(医学博士)の思想を指した定義のひとつであり、永井の言説および著作(『長崎の鐘』など)に関する論評のひとつである。高橋眞司長崎大学名誉教授[1]によって命名された。浦上燔祭論(うらかみはんさいろん)。 「燔祭」とは、生贄を神にささげる儀式。そのなかでも全燔祭を「ホロコースト」(英: Holocaust)と呼ぶ場合がある。 永井隆の原爆論[編集] 広島は、三角州(デルタ地帯)でおおむね平坦な土地である。広島での原子爆弾は市の中心部に落とされたことから、その被害は市街地全域に幅広く及んだ。それに対して、長崎での原子爆弾は、浦上という街外れの山あいの集落に落とされたものである。浦上川の両岸にわずかな平地があり、川と並行するように急峻な山がそびえ立つ。この山間が回廊(回廊地帯)のような役割を果たして、狭い地域

  • Killing Center Revolts

    Killing Center Revolts The Warsaw ghetto uprising inspired revolts in other ghettos and in killing centers. Although many resisters knew they were bound to lose against overwhelmingly superior German forces, they chose to die fighting. After the last Jews deported to Treblinka were gassed in May 1943, about 1,000 Jewish prisoners remained in the camp. Aware that they were soon to be killed, the pr

    Killing Center Revolts
  • Documents that Changed the World: ‘Rosie the Riveter’ poster, 1943

  • 10 Defunct TV Technologies : Discovery News

    We build social websites with groundbreaking tech --> See what our platform can do for you: http://rbl.ms/2aydqTl

    10 Defunct TV Technologies : Discovery News
    torly
    torly 2012/08/22
  • Forgotten faces: Japan's comfort women | CNN

    - Source: CNN " data-fave-thumbnails="{"big": { "uri": "https://media.cnn.com/api/v1/images/stellar/prod/120605044525-lah-japan-comfort-women-00001223.jpg?q=x_0,y_0,h_720,w_1280,c_fill/h_540,w_960" }, "small": { "uri": "https://media.cnn.com/api/v1/images/stellar/prod/120605044525-lah-japan-comfort-women-00001223.jpg?q=x_0,y_0,h_720,w_1280,c_fill/h_540,w_960" } }" data-vr-video="false" data-show-h

    Forgotten faces: Japan's comfort women | CNN
  • March 26th, 1942

  • Pardon on way for Irish who fought, says Shatter - The Irish Times - Wed, Jan 25, 2012

  • Treasures - The National Archives

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    torly 2011/11/17
    第二次世界大戦中にSOEが作成した偽造パスポートの見本
  • 虚空―あたかも虚空から呼出されたかのように: アレクサンドル・グロタンディークの人生 前篇その1 | taro-nishinoの日記 | スラド

    親族の数学に多少の興味を持っている高校生からグロタンディーク氏(来なら博士とお呼びすべきなのでしょうが、皆さんもご存知の通り氏は世間と没交渉ですし、博士と呼ばれるのは最も氏の忌嫌うことだと容易に想像されますので、氏のままにします)のまとまった伝記が無いのかと聞かれ、ちょっと困ったなあと思いました。がある無しで弱ったのではなく、グロタンディーク氏の人生を知ってショックを受けるかも知れぬと危惧したからです。勿論私くらいの年齢の大人になれば、天才は天才であって、凡才は凡才に過ぎぬと居直って平気なのですが、高校生くらいの年齢ではまだ自己が何たるか分かっていないので無限大の力を持っているかのように錯覚しがちです。今の日で家が裕福でないと言っても、グロタンディーク氏ほど劣悪な環境で少年期を過ごすことは先ずないと思います。ですから、大人はどうでもいいですが、青少年はもっと勉強出来るはずなんです。

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    torly 2011/09/24
  • Rare colour footage of the Blitz

    Previously unseen colour footage of London during the Blitz has been discovered, after lying in an attic for almost 70 years. The amateur footage includes images of bombed-out landmarks such as the John Lewis department store - on Oxford Street. The 20 minute film was shot by the wartime mayor of Marylebone in west London, Alfred Coucher. The film was used as part of a US government propaganda fil

    Rare colour footage of the Blitz
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    torly 2010/09/06
    ドイツの空襲でぼろぼろになったロンドンの映像(色つき)
  • 「抗日英雄」は共産党と同義、情報相が発言=マレーシア|タイ発ニュース速報|newsclip.be

    【マレーシア】マレーシアのザイヌディン情報相が17日、サラワク州とヌグリスンビラン州の華人墓地に抗日英雄記念碑が設置されていることについて、「記念碑は共産党を記念したものだ」と発言し、波紋を広げている。華字紙星洲日報などが伝えた。 マレーシアは建国直後、共産党ゲリラの掃討に苦しんだ経緯から、当時のマラヤ共産党に対する拒否感が今でも根強い。また、ゲリラは華人が主導しており、戦時中の抗日運動とも関係が深いとされる。 ザイヌディン情報相は「マレーシアが来年独立50周年を迎えようとしている時期に無神経で、国民の団結を阻害するものだ」と記念碑を批判。「国民は共産党がマレーシアにとって最大の敵であることを歴史から学ぶべきだ。歴史上の記録にも抗日英雄が共産党に属していたとの記述があり、共産党と抗日英雄は同義だ」と持論を展開した。 これに対し、華人団体は「情報相が抗日英雄記念碑を共産党記念碑と見なしたこと