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何か違和感を感じる。 無論小説である以上、物語に都合の良い展開になっている、そのために現実には重要性を持つ部分の描写が削られているのは当然のことなのだが、それにしても重要な部分の描写が全くされていないように感じられるのだ。 それは「宗教」の部分、より正確に言えば各宗派の教義の部分だ。 あの世界では、人間界のほぼ全体を「聖光会」が支配していて(おそらくカトリック教会がモデル)、その中の一教会だった「湖畔修道会」が勇者側につき、魔王よりもたらされた農業改良や種痘と言った技術によって「聖公会」と肩を並べる二大宗派へと成長していくのだが(おそらくこちらはプロテスタント諸宗派がモデル)、その2つの教義の違いが全く見えてこないのだ。 もちろん「まおゆう」という小説は、もともと戯曲形式で書かれ、「勇者」「魔王」のように登場人物も固有名詞ではなく役割で記されており、またそれらの台詞においてもその役割を越え
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