![長文日記](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e2b7e5e482b54cd5ffe0a8869d38b0f3911a1069/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fi.gyazo.com%2F6701aa802b65b811fbfc4aed556366ca.png)
2014-09-27 やはり続けます。すみません 昨夜は抗鬱剤を約4倍ほど飲んでいました。 普段40錠くらいなので、160錠くらいですね。 心療内科の薬だけでは足りなくて、個人輸入、個人輸入だけでは足りなくて別な心療内科の薬を処方してもらったりしています。あんまり正常な状態ではないかもしれません。すみません。 色々なことに行き詰まって、リセット願望が発動したくなりました。包丁で手首を切ると痛いのはわかっていたので、身近なはてなブログをリセットしようと思った次第です。離婚相手と彼女が出て行くまで毎日暮らすって苦しくって。離婚したらしたで、胃がんの妻を放り出した自分への罪悪感は消えることがないので。 こういうリセット願望は今後も起きてくると思います。そういう時はどうか心配されるのではなく無視されるか、罵声を浴びせてください。その方が居心地が良いです。 すみません、やはりブログの方、続けさせて頂
理研の笹井さんについては、これまでも、これからも多くの事が語られるのだろう。STAP細胞云々については、特に書く事は無い。ただ、大きな才能の消失を悼むより、期待も予測もされなかったはずの一個人の死に、頭を垂れたい。 ニュースを知った時、世の無常を直視したような気がして、悲しさで頭がいっぱいになった。 笹井さんは、科学研究の最前線を担い、業績を積み上げてきた人物だった。出世街道を駆け上ってきたエリート科学者、と言っても過言ではないだろう。そうやって成果を挙げ続けてきた人が、メディアの耳目を集めたとはいえ、たった一度の疑義を経て、命を失うに至るとは、なんと恐ろしく、儚いことだろう。 歴史を振り返れば、このような類例はさほど珍しくない。そうでなくても、病や事故によって人間はあっけなく死んでいく。どんなに野心や才能に恵まれた者も、突然の不運、理不尽な運命には逆らえない。 このような未来を、一年前の
先日、クリエーター系の友人と東日本大震災が与えた影響について話した。影響と言っても創作界隈に関する話に限ってだ。 一応、立場を明かしておくと僕ら二人はどちらも震災による被害(計画停電を含め)は全く受けない地域にいた日本人だ。 友人曰く「311」がクリエーターの精神に与えた影響は凄く大きくて、震災前、震災後で明らかに作風が変わってくるであろうし、時代を分けるべきだ、とまで言っていた。 友人の言うところによると、震災や津波や原発事故はまさしく震災前に想像された世界の終わりであって、SF作品が書いてきたものだった。しかし、現実には世界は終わらなかったし、被災地以外では何一つ変わらない日常が続けられていた。そのことでSF作家というのは衝撃を受け、あの程度で世界は終わらない、と彼らが描く未来というのは決定的に変化してしまった……、まあそのようなことを言っていた。 その友人は震災というのを大きく受け取
聴覚障害の作曲家 別人が作曲 NHKニュース 人生中途で耳が聴こえなくなった作曲家が障害と闘いながら交響曲などを書き、CDを18万枚も売り上げ、NHKスペシャルでも感動の涙を絞っていたらしい。ところが実は耳の状態悪化で、十数年前から別の人に構想を伝えて作曲を依頼していたことを、本人が明かした。 上記のニュースのブックマークコメントを見ると、「客が音でなく物語を消費している」「モノを物自身の価値でなく、付加価値(この場合はストーリー性)有りきで消費する」といったコメントに賛同者が多い。 かつてNHKスペシャルを見て感動した人の反応記事も上がっていた。 ギャフン! ギャフン! ギャフン! - 北沢かえるの働けば自由になる日記 ここでも「私たちは物語を消費したがり過ぎている」という言葉があった。 Mamoru Samuragochi : I'm a fraud, admits "Japan's
最後に、「承認欲求と私」というか、この言葉に対する個人的な思い出を書いておく。 先日、あるオフ会で、「承認欲求って言葉が広がったのって、シロクマさんが“戦犯”だよねー」と言われた。私はネット上で承認欲求という言葉を使い始めた言いだしっぺではないが、まあ、沢山使っていたのは事実だから、うーん……言わんとしていることはわからなくもない。 「“戦犯”なんて言わないでくださいよ。この言葉が広く使われるようになったのは、私の“功績”じゃないですか。」 「でも、罵倒語として使われるようになっちゃったし」 「それでも私は私なりに、言葉の定義をグリップしようと努力はしてたんですよ。これとか」 “戦犯”という指摘にせよ、“功績”というジョークにせよ、私という一人のブロガーが、「承認欲求」という言葉の流布にどのぐらい影響したのか、正直よくわからない。ただ、私自身、この言葉を使おうと決めるにあたって一種の計算(
げらげらwww またしてもバカフェミどもが正義は我にありと言わんばかりにヒステリックな金切り声を上げては善良な市民を吊るし上げることによって本来確保すべき支持者を減らし、唯でさえ衰退と混迷著しいFeminismを自ら消滅の道へと導いているのを見るにつけ、バカフェミ嘲笑業界にこの人ありと誰も言ってくれないから自分で言ってるオレとしては真に御同慶の至りに存じざるを得ず、更には例によって例の如く「女の敵わ女」という構図を演出するに至っては流石にひっくり返って大笑いする他ないwww 連中は以前にもこのような魔女狩りに興じて悦に入っていたw 植民地の愚民が詰まらぬ同士討ちを繰り返しているかぎり宗主国たる男は安泰であるwww 発端はこの辺りらしいw これに下記のような物言いが付いて冒頭の発言に至ったわけだwww 要するに男女関係において料理するのはいつも女というGender Roleの固定化に寄与して
30歳を過ぎるまで、カラスミというものを食べたことがなかった。そういう珍味が世の中にあることも知らなかった。 結婚して数年経った頃、お歳暮かなんかで九州の人からカラスミを頂いた。 「なにこれ」 「カラスミ。ボラの卵巣を塩漬けにしたやつ。食ったことないか」 「ない」 「酒のあてに最高だぞ」 「へえー(ワクワク)」。 薄くスライスして皿に並べた。見たとこ奈良漬けそっくりだ。なんかパッとしない食べ物だね。しかし一切れ齧ってみると‥‥ナニコレウマイ! 日本酒を飲みながら「おいしいねー」と喜んでカラスミを口に放り込んでいたら、「おいおい」と夫に咎められた。 「そうパクパク食うなて。奈良漬けじゃないんだから。これ、幾らするか知ってるか」 「知らない」 「五千円はする」 「えっ、そんなに」 「チビリチビリと食べるもんなの、こういうのは。パクパク食うもんじゃないの」 そうなんだ。 滋賀の人から鮒寿司が送ら
第一回:承認欲求そのものを叩いている人は「残念」 第二回:承認欲求の社会化レベルが問われている 第三回:承認欲求がバカにされる社会と、そこでつくられる精神性について 第四回:私達はどのように承認欲求と向き合うべきか(今回) ここまで、承認欲求について連載してきた。それらを踏まえ、どのように承認欲求と向き合うべきかについて私見をまとめ、結びとする。 最初に述べたように、認められたい・褒められたい・いっぱし扱いされたいといった社会的欲求は、ヒトに生得的に具わったものと思われ、ほとんどの人間に具わっているものと思われる。だから、承認欲求という言葉で表される心理的性向そのものを否定するのは色々な意味で筋が悪い。 承認欲求全般の否定は、おそらく自分自身の心理的性向の一部を否定することにも直結する。そうやって承認欲求に“臭いものに蓋”を続ければ、さしあたり承認欲求周辺の問題から自由になれるかもしれない
さてr、皆さん、こんにちは、本日は横浜Fマリノスの話に焦点を絞って進めようと思います。内容的には、ベルマーレとの対戦の前なんで、どんなチームだったのかってのを去年を振り返りながら、見ていきたいという奴です。 横浜FMというと、神奈川県内では並ぶ存在がないほどのサッカークラブで、特にユースは規模が桁違いです。そのため、ここのユースはJリーガーを多数輩出しており、ユース組織としては、日本最高クラスといって差し支えないレベルのプロ輩出率を誇っています。ただ、ここ数年、色々あってJ1優勝からは遠ざかっており、又、主要メンバーの高齢化(マルキ、俊輔、中澤、ドゥトラ)といった問題も抱えています。 さて、2013年の横浜FMなんですが、基本布陣はというと、 多分、こうなると思われます。PSMをみれてないのですが、基本路線として、4バックに2ボランチは崩さないと思います。樋口監督は、基本的に4バック2ボラ
『ねことオルガン』(1962、今西祐行、小峰書店)。小峰書店の創作幼年童話シリーズのうちの一冊だが、長らく絶版となっている。 子どもの頃に読んだこの本のことを最近急に思い出し、実家にまだあるか母に聞いてみると、姪(妹の娘)が小さい時にあげたという。今年20歳になる姪はこの本を気に入って、ずっと大切に持っていてくれた。彼女から借りて45年ぶり(!)くらいに再読した。 擬人化された猫同士の会話がとても愉快で、可笑しくてしんみりするお話だったという記憶はあったが、小学低学年の頃は、こんなに深みのある内容だったということまではわからなかった。早い話が、読みながら私は泣いた。別に猫好きだからでは(断じて)ない。そもそもこれは猫を主人公とした多くの子ども向け物語と同様、猫の姿を借りた人間のお話なのだ。*1 なぜ大人が読んでそこまで沁みるのか、以下で少し詳しく物語を紹介しながら書きたいと思うので、どうし
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