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ライフハックと内田樹に関するtsuneaki02のブックマーク (39)

  • 豊臣秀吉の幻想 - 内田樹の研究室

    続いて大学院のゼミ。 日のお題は「韓国と日」。 日韓問題はたいへんむずかしい問題である。 あらゆるむずかしい問題がそうであるように、この問題がたいへんにむずかしいものであるのは「日韓問題については、最適解があり、私はそれを知っている」と主張する人たちが複数いて、かつ彼らのあいだで合意形成ができていないからである。 通常、このような場合には「それらはどれも『最適解』ではない」と判断する方が生産的である。 そうすると問題の次数を一つ上げることができるからである。 「なぜ、日韓問題については当事者全員が合意できる『最適解』が存在しないのか?」 この問いについてなら、とりあえず対立している立場のあいだでも冷静に意見交換できる可能性がある(「可能性がある」だけで、もちろん「やってみたらやっぱり泥仕合」という可能性もあるが)。 まあ、やらないよりはまし・・・くらいの期待度で、その「なぜ?」について

  • 越くんとリーダーシップについて話す - 内田樹の研究室

    越くんがやってくる。 越くんは2001年にブザンソンで知り合った青年である。 いまは全日空商事にお勤め。 9年前、恒例のフランス語研修、ブザンソン駅で TGV を降りると、ブルーノくんと大柄のアジア人の青年が私たちを迎えてくれて、手際よく学生たちのトランクを列車からおろしてくれた。 なんとなくブルーノくんの知り合いのアジア圏の人だろうと思って、フランス語でお礼を言って並んで歩いていたら、「ぼく日人です」と言ったのでびっくりした。 青山学院が CLA に派遣した長期留学生のメンバーのひとりで、もうブザンソンに長い。 私たちがブザンソンに滞在していた2週間のあいだ、毎日のようにオテル・メルキュールに遊びに来て、あれこれ学生たちの世話を焼いてくれて、夜はいっしょにご飯をべ、カフェで遅くまでおしゃべりをした。 やはり青学からの留学生だったユリちゃんと越くんのふたりはブルーノくんとの合気道の稽古

  • 政治と経済と武道について語る週末 (内田樹の研究室)

    忙しい週末。 備忘のために、できごとを大急ぎ記しておく。 10日(土)。 早起きして、原稿書き。 『プレシャス』の映画評。 劇場用プログラムだから、ほめなければいけないのだが、ものすごく「変な」映画なので、びっくりして、「どうしてこんな『変な』映画アメリカ人は作るのか、どうしてそれに集中豪雨的に映画賞を与えたのか」という映画史的文脈の中で考察を加える。 プログラム原稿だから「こんなこと書かれては困ります」とボツになる可能性もあるが、「そこまで『変だ』という映画なら、ひとつ見てみるか」という人もいるのではないだろうか。 「アメリカ映画史上(おそらく)最初のクールでリアルな『男性嫌悪』映画」。 それから、合気道のお稽古へ。 今週も数名の入会希望者がいる。 こんなペースで入会者が続いたら、どうしよう。 多田塾甲南合気会の会員は3月末時点で108人(煩悩の数だけ会員がいる)。 それが4月なかばで

  • 論争するの、キライです - 内田樹の研究室

    『考える人』の春号が届いたので、開いてみると、「聖書特集」にレヴィナスについてのインタビューが出ていて、「日の身体」第十回で大相撲の松田哲博さんとの「シコとテッポウ」対談が出ていて、なかほどには福岡伸一ハカセとの「動的平衡と贈与経済」についての対談が出ていた。 いくらなんでも季刊誌の同じ号に別のトピックで三回登場させるというのは、「番組編成」上無理があるのでは・・・ いや、私はいいんですけどね、もちろん。原稿料いただけるわけですから。 でも、読者の方々がどうお思いになるか。 「げ、またウチダだよ。おい、この、どうなってんだよ」 そういうリアクションがただいま日全国津々浦々でなされているのではないか、と。 いや、私はいいんですけどね。もちろん。 そりゃ、『Sight』のような渋谷くんの個人誌の場合であれば、「源ちゃん、まだ来ないみたいだから、待ってる間に、ウチダさん、『婚活』話で一

  • 不安というセンサー - 内田樹の研究室

    ひさしぶりのオフ。 何日ぶりだろう・・・カレンダーを見たら、1月27日以来のオフでした。 極楽スキーとか温泉麻雀とか杖道会合宿とか、そういう「楽しい」系のイベントはオフに数えないのか、というトガリ眼のご指摘もあろうかと思うが、「オフ」というのは「予定がない」という状態のことであって、イベントのときの私はとっても忙しいのである。 だから、オフの日にしか「これまでやる時間がなくて積み残してきた仕事」を処理することがかなわない。 そして、そのような仕事の量はすでに1日や2日のオフでどうこうなるような限界をはるかに超えているのである。 10週間ほど「オフ」の日をいただければ、おそらく「不良在庫化」しているバックオーダーもことごとく処理され、担当編集者の顔に笑顔が戻ることになるとは思うが、10週間のオフを私が享受できるのは、おそらく臨終の床について後のことであろう。 私のカレンダーの「To do リ

  • 相対的貧困は解決できるか - 内田樹の研究室

    晩ご飯のあと、ごろんと寝ころんだら書棚にあった『貧困を救うのは、社会保障政策か、ベーシック・インカムか』(山森亮・橘木俊詔、人文書院、2009)というの背表紙が眼に入った。 そのまま手を伸ばして読み始める。 書架というのはこういうときに便利である。 読み始めたらおもしろくて、最後まで読んでしまった。 橘木さんは67歳の経済学者、山森先生は40歳の社会政策学者。学問的なアプローチも、ものの考え方もずいぶん違うけれど、きちんとした対話になっている。 相手と意見が違うときも、ふたりとも遠慮なく「私はそうは思いません」と言うけれど、それはたいていの場合、相手の発語を塞ぐというより、「それ、私にもあなたにも、どちらにもわからないことでしょう」という表示である。 過去の事例だけれど、まだ成否の検証が済んでいない政策と、未来予測に属する政策については、「私はあなたと評価を異にする」ということを表明して

  • 残留率と楽観主義 - 内田樹の研究室

    入試業務で毎日出校。 入試部長というのが、これほど打ち合わせと会議の多い仕事だとは思わなかった。 これがあと一年続くと思うとうんざりするが、これもあと一年で終わると思うと気持ちが軽くなる。 ものが考えようである。 つねづね申し上げている通り、なんでも「カウントダウン」にするというのが私の年来の流儀である。 カウントダウンすると、どうでもいいような日々のできごとが「かけがえのないもの」に思えてくるからである。 これでおしまい、二度とないと思うと、わずか10分で終わるセンター利用入試の合否判定教授会のために土曜日に稽古を休んで出校するのもまた楽しからずや(負け惜しみ)。 これまでのところ学の今年度入試の出願状況は堅調である。 周辺校が軒並み60−80%台で前年比割れをしているなかで、前年比99.7%というのは、たいへんよい数字である。 今年どこの大学も志願者を減らしたのは、不況のせいである。

  • 甲野先生の最後の授業 - 内田樹の研究室

    甲野善紀先生を学の特別客員教授にお招きして3年。この年度末で任期満了となる。 2月1日から3日までの集中講義が甲野先生の学における最後の授業である。 ご挨拶に伺い、お稽古に加えて頂く。 ずいぶん多くの学生たち(および「にぎやかし」の合気道部員、杖道会員、OG、甲南合気会員)がミリアム館にひしめいて、さまざまな身体技法をあちこちで試みている。 甲野先生の講習会はだいたいこういうかたちで、「全級一斉」という指導法はなされない。 ひとりひとりが自分のペースで、自分の選んだ課題を試みる。だいたい数人のグループになって教え合ったり、批評し合ったりする。そのグループも固定していない。甲野先生が何か違うことを始めると、自然に解体して、また違う人たちとのグループが出来る。 自分の身体の内側で起きていることを「モニター」するというのが、稽古の基であるから、外的な規制はできるだけ行わず、ひたすら自分の内

  • ミドルメディアの時代 - 内田樹の研究室

    出版社からいろいろが送られてくる。 「ぜひご高評賜りたく」というようなことが書いてある。 でも、よほどのことがないと書評は書かない。 つまらなければそのままゴミ箱に放り込み、面白ければ酔っぱらいながらでも読み進み(翌朝内容をすっかり忘れている)というような自分勝手な読み方は書評家には許されないからである(当たり前だが)。 だから、これまでにいくつかの新聞社や出版社から書評委員になってほしいというオッファーが来たけれど、全部お断りした。 それでも、は毎日のように送られてくる。 でも、年末から久生十蘭が「マイブーム」なので、送られてきたまでなかなか手が回らない。 でも、面白そうなは「寝ころんで休憩」というときにぱらぱらとめくることがある。 たまたま手に取った『2011 年 新聞・テレビ消滅』(佐々木俊尚、文春新書)がたいへん面白かった。(注:最初『2010年』と書いていました。訂正しま

  • そんなことを訊かれても - 内田樹の研究室

    仕事始めに取材がふたつ。 太田出版の『atプラス』という雑誌と、『週刊プレイボーイ』。 媒体は違うが、たぶんどちらも対象としている読者の世代は同じくらい。 20代後半から30代、いわゆる「ロスジェネ」世代とそれよりちょと下のみなさんである。 生きる方向が見えないで困惑している若い諸君に指南力のあるメッセージを、というご依頼である。 『atプラス』の方はかなり学術的な媒体なので、「交換経済から贈与経済へ」という大ネタでお話しをする。 「クレヴァーな交換者から、ファンタスティックな贈与者へ」という自己形成モデルのおおきなシフトが始まっているという大嘘をつく。 もちろん、そのようなシフトは局所的には始まっている。 けれども、まだまだ顕微鏡的レベルの現象である。 それを「趨勢」たらしめるためには、「これがトレンディでっせ」という予言的な法螺を吹かねばならぬのである。 めんどうだが、そういう仕事を電

  • 仕事始め - 内田樹の研究室

    朝から母の家の居間で原稿書き。 最初に『ブルータス』の「吉隆明特集」へのアンケート回答。 「最初に読んだ吉隆明のは何ですか?」というようなアンケートである。 私が最初に読んだのは『自立の思想的拠点』で、1967 年、高校二年生のときのことである。 その頃、私のまわりには吉隆明を読んでいる人はまだそれほど多くなかった。 70 年に大学に入った時点でも、決して多くはなかった。 私は全共闘の諸君は全員吉隆明の愛読者だと思っていたので、「誰、それ?」というリアクションに仰天した覚えがある。 大学に入って最初に「吉っていいよね」という私の言葉にそっと頷いてくれた相手は意外にも民青の活動家だったウエムラくんであった。もちろんそのようなカミングアウトは彼の党派的立場からはありえないことだったのだけれど。 時代が経つと、「1968 年には日中の大学生たちはみな吉隆明を熱狂的に読んでいた」と

  • 寛也さんが来た - 内田樹の研究室

    水曜日は鶴澤寛也さんの講演とワークショップ。 寛也さんは今年の4月のアートマネジメント副専攻のインターンシップの受け入れ先を矢内賢二さんに探してもらったときに、「渡りに船」というか「地獄で仏」というか、そういうタイミングでインターン生たちを受け容れてくださった方である。 当日、私は別の仕事があって、打ち上げの席に後から参加して、そのときはじめてお目にかかったのである。 江戸前の、まことに粋な方で、私は衝撃のあまりブログ日記に「玲瓏なる美女」と、ふだんあまり用いない形容詞を動員したほどであった。 そのときに、今度『考える人』のインタビューに出てくださいとお願いしたらご快諾いただき、『考える人』のときには、今度大学に来てワークショップしてくださいとお願いしたらご快諾いただき・・・というふうに「とんとん」と話がまとまってその日を迎えたのである。 ワークショップにはもう少し学生たちが集まってくれる

  • 商品経済から贈与経済へ - 内田樹の研究室

    教育関係の取材がある。 学生や若いサラリーマンたちにどうやってコミュニケーション能力をつけたらよろしいのかというテーマである。 別に起死回生の妙手というのはありませんとお答えする。 そう答えたら、片づかない顔をしていた。 誰でもすぐにできるような妙手があれば苦労はない。 コミュニケーション能力というは平たく言えば「生きる力」ということである。 そのようなものを汎用的教育プログラムとして「はいよ」とご提案することは誰にもできない。 ときどき「これさえやればコミュニケーション能力が一気に身につきます」というような「はいよ」を書いている人がいるが、そういうを書いている人を信用してはならない。 「信用できる人間」かそうでないかをみきわめるのは「生きる力」のもっとも基礎的なもののひとつであり、このようなを手にとってふらふらと買ってしまう人は、その一点においてすでに「生きる力」の伸びしろが少ない

  • どうして日本軍は真珠湾を攻撃したのか - 内田樹の研究室

    朝日新聞のイシカワ記者が取材に来る。 真珠湾攻撃について歴史的検証を行うという趣向である。 朝日新聞と日経済新聞には、前に原稿にアヤをつけられて「二度と書きません」と啖呵を切ったはずなのだが、違う部署の知らない記者から寄稿を頼まれると、因縁があったことをころりと忘れて「はいはい」と即答してしまう。 原稿を書いたあとになって「あ、いけね。朝日と日経には書かないことにしてたんだ」と思い出す、ということを何度か繰り返している。 困ったものである。 朝日と日経に書かないことにしたのは、この二紙のデスクが私の原稿に「書き直し」を要求したからである。 朝日は原稿を送る前に「社の方針に合わない内容なら書き直しを要求します」と言われた。日経は原稿を送ったあとに「・・・である」という断定を「・・・であると思う」(だか「・・・だと言われている」)に直せと言われた。 私はべつに両紙の社説を書いているわけではな

  • 論争嫌い - 内田樹の研究室

    『日辺境論』の販促活動が始まっている。 昨日、梅田の紀伊國屋書店を覗いたら、入り口のところに特設のトレーが作ってあって、『街場の教育論』や『下流志向』や『私家版・ユダヤ文化論』も並べてあった。 文楽劇場での幕間でも、POP をたくさん書かされた。 「読んでね」とか「面白いよ」とかいう、まったく知性の片鱗も感じられない惹句であるが、読んでもらわないと話にならないのであるから、とりあえずは読者のみなさまのご厚意に取りすがるのである。 今のところ寄せられた感想にはどれも好意的で、まずは一安心。 もちろん、これからさき関係各方面から怒濤のような批判が寄せられることは避けがたいのであるが、批判に反批判を加えて、泥沼の論戦に・・・ということは私の場合にはありえない。 それは「論争」というものが生産的になることはない、というのが「文科系」の学問の宿命だからであるからである。 どこまでもやってゆくと、最

  • 河内小阪から梅田を経由して築地へ - 内田樹の研究室

    ああ〜授業をさぼって。日のあたる場所に、いたんだよ。 というのは嘘で、授業はさぼったけれど、行った先は近畿大学文芸学部の教室である。 私は原則として自分の授業を休んで、学外の仕事をするということはしないのであるが、どういうわけだかこの仕事は引き受けてしまった。 引き受けたときにどういう経緯があったのか、遠い昔のことなので、覚えていない。 だが、約束した以上は行かねばならぬ。 讀賣新聞と近畿大学のジョイントのイベントで、お世話いただいた讀賣の山内さんと文芸学部の浅野洋・佐藤秀明両先生にご挨拶。 お題は「教養なき時代の読書」。 そういうテーマならお話しすることはある。 こういうときに「教養とは何か?」という問いかけから入るのが常道であるが、それをするのはシロート。 こういう場合はむしろその語の一義的意味について合意されていると信じられているキーワードについて、「その定義でよろしいのか?」と一段

  • 学校の制度性について、など - 内田樹の研究室

    月曜日。珍しく、ふつうの月曜。 朝、下川先生お稽古。昼の部長会がなくなったので、授業の時間まで家事(カレー作り)と原稿書き。 それからゼミ。杖道の稽古。 帰宅してカレーべて、寝ころんで『鴨川ホルモー』を見る。 最初は「大学実名」でわくわくしたけれど、CGが出てきてから、急速につまらなくなる。 日映画はもうCGを使うのを止めなさい。 なんか「手抜き」という感じ。 山田孝之くんは『クローズzero』での怪演に比べると、ちょっとトーンダウン。栗山千明ちゃんも『キルビル』での怪演に比べると(比べるなよ)。 火曜日。世間はお休みであるが、われわれは教授会研修会。 学生たちの「こころのやまい」の現況と対応策についてのレクチャーとディスカッション。 境界性人格障害と発達障害について、専門家たちから貴重なインフォーメーションをいただく。 ぐったりして帰宅。しようと思ったが、そのあと中之島のリーガロイ

  • 追悼レヴィ=ストロース - 内田樹の研究室

    20世紀フランスを代表する思想家で社会人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが10月30日、死去した。100歳。 第二次大戦中に亡命した米国で構造言語学を導入した新しい人類学の方法を着想、戦後フランスで実存主義と並ぶ思想的流行となった構造主義思想を開花させた。「未開社会」にも独自に発展した秩序や構造が見いだせることを主張し、西洋中心主義の抜的な見直しを図ったことが最大の功績とされる。 サルコジ大統領は3日の声明で「あらゆる時代を通じて最も偉大な民族学者であり、疲れを知らない人文主義者だった」と哀悼の意を表した。 1908年11月28日、ブリュッセルのユダヤ人家庭に生まれた。パリ大学で法学、哲学を学び、高校教師を務めた後、35年から3年間、サンパウロ大学教授としてインディオ社会を調査。41〜44年にナチスの迫害を逃れて米国に亡命、49年の論文「親族の基構造」で構造人類学を樹立した。 自伝

  • 週末は浜松 - 内田樹の研究室

    今週も「週末」がない。 先週もなかった。来週もないし、再来週もない。 週末がないということは、ずっと働きづめということである。 そりゃ風邪も引きますよ。 なぜそのような非人間的日程を組むのかと気色ばまれる向きもあるやもしれぬが、講演の日程なんて、早いのは1年半くらい前に決まっているのである。 そのときはスケジュールは「まっしろ」であるから、「あ、いいすよ」と気楽に応じてしまう。 途中からだんだん顔色が悪くなってきて、講演も寄稿も取材も必死で断り始めるのだが、「これだけは断れない種類の仕事」が一番最後にやってきて、それが「ばりばり」と時空を引き裂き、気づくとスケジュール表は「まっくろ」になっているのである。 いまだって一番最後に来たのは「自分の書いたの販促活動」である。 これはどうしたって断れない。 こんな生活をしていては長生きできないです。ほんとに。 今週の土曜日も合気道のお稽古を泣く泣