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歴史と国家に関するusataroのブックマーク (29)

  • 「三種の神器の承継など 国事行為にすべきでない」共産委員長 | NHKニュース

    新たな天皇に即位される皇太子さまの「即位の礼」をめぐり、共産党の志位委員長は、歴代天皇に伝わる剣や曲玉などを受け継ぐ儀式などは国事行為にすべきではないとして、政府に申し入れたことを明らかにしました。 これに関連して共産党の志位委員長は記者会見で「三種の神器の承継をもって天皇の代替わりの証しとする儀式を国事行為として行うことは、憲法の国民主権の原則と両立しない」と指摘しました。 そのうえで、「剣璽等承継の儀」や、天皇が皇后とともに即位後初めて国民を代表する人々と会う「即位後朝見(そくいごちょうけん)の儀」などは国事行為にすべきではないとして、政府や衆参両院の議長に対し国民的な議論を行うよう申し入れたことを明らかにしました。

    「三種の神器の承継など 国事行為にすべきでない」共産委員長 | NHKニュース
    usataro
    usataro 2018/03/26
    こうした天皇制儀礼と政教分離や民主主義、立憲主義との関係は、1988年からの一連の動きのなかでも取り上げられてはいるが、現代の問題として歴史学的視点から改めて考えていく必要がある。
  • 外務省が「核密約」非公開要請 米公文書で裏付け - 西日本新聞

    【ワシントン山崎健】日の外務省が1987年、米政府に対し、核兵器の持ち込みに関する密約を含む50年代後半の日米安全保障条約改定交渉など、広範囲にわたる日米関係の米公文書の非公開を要請していたことが、西日新聞が米情報自由法に基づき入手した米公文書で明らかになった。密約などについて米側は要請通り非公開としていた。米公文書公開への外務省の介入実態が判明したのは初めて。   「際限ない」米側不快感示す  文書は87年4月、米公文書の機密解除審査部門責任者の一人、故ドワイト・アンバック氏が作成した「機密解除に関する日の申し入れ書」。作成から30年たち機密解除の審査対象となる50年代の米公文書について、在米日大使館は87年1、3月、機密を解除して国務省刊行の外交史料集に収録しないよう同省東アジア太平洋局に文書で申し入れており、同局とアンバック氏が対応を協議した3ページの記録だ。申し入れは米歴史

    外務省が「核密約」非公開要請 米公文書で裏付け - 西日本新聞
    usataro
    usataro 2017/01/03
    これは単なる文書管理の問題ではなく外務官僚の民主政的感覚の欠落を示すものだろう。文書公開とは後世の検証可能性を担保することだが日本の外務官僚にはその気がなく、国家権力を私物化しているのと同義。
  • 天皇陛下 「生前退位」の意向示される | NHKニュース

    天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。数年内の譲位を望まれているということで、天皇陛下自身が広く内外にお気持ちを表わす方向で調整が進められています。

    天皇陛下 「生前退位」の意向示される | NHKニュース
    usataro
    usataro 2016/07/13
    「前天皇」は単に上皇と呼ばれるのか、年号をとって「平成上皇」と呼ばれるのか、あるいは追号が別に定められるのか。あと皇室典範だけでなく元号法もセットで検討対象になる。現内閣に憲法改正する暇なんてないな。
  • 【琉球】歴史を紐解けば日本『だけ』が統治した期間はそう長くない沖縄県 - ニホンシログ

    沖縄県といえば、独特の文化や生活習慣、そしてたびたび日からの独立がニュースになります。 なぜこのような主張が出てくるのか、歴史を紐解けば沖縄県民のアイデンティティーが少しは理解できるのかもしれません。 元々『沖縄』は日ではなかった? あいまいだった『琉球』の統治 朝鮮出兵 琉球征伐 国際社会に琉球を日の領土と知らしめた台湾出兵 『沖縄県』誕生 独立肯定派の沖縄の新聞 まとめ 元々『沖縄』は日ではなかった? 沖縄県は、その昔『琉球王国』と呼ばれていました。 「王国」って事は、昔は日の一部ではなく独立した国だったのですか? まず「琉球」というのは中国が呼称する国号で、中国の皇帝から賜った国名なんだよ。 (当時の人は「琉球王国」ではなく、「琉球國」と呼んでいました。) じゃあ、中国の支配下にあったのですか? いや、中国は自分の国の皇帝を頂点とし、周辺は野蛮人の国だ、という「華夷秩序(

    【琉球】歴史を紐解けば日本『だけ』が統治した期間はそう長くない沖縄県 - ニホンシログ
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    usataro 2016/06/18
    のっけから間違えてるんだが「琉球国」は駿河や安芸のような令制国ではない。/その後訂正したようだ。
  • 自民 国連事務総長の中国軍事パレード出席を批判 NHKニュース

    自民党の外交関係の合同会議が開かれ、国連のパン・ギムン(潘基文)事務総長が中国の「抗日戦争勝利70年」を記念する軍事パレードに出席したことについて、「国連は中立的であるべきだ」などとして批判が相次ぎました。 これについて、3日に開かれた自民党の外交関係の合同会議で、党の外交・経済連携部長の衛藤元衆議院副議長は「軍事パレードに国連の事務総長が出席するのはいかがなものか。国連の事務総長は、国際社会の連帯と融和と発展のための存在であり、大変残念だ」と述べました。このほか、出席者からは、「国連は中立的な立場であるべきだ」という指摘や、「事務総長の今回の対応に対し、きちんと抗議すべきだ」という意見が出され、批判が相次ぎました。 また、会議では、党として抗議文を作成し、国連に送付することを決めました。

    usataro
    usataro 2015/09/03
    「中立」って、ファシズムに対して中立なんかあるわけないだろ。平和ボケのお花畑もいいところ。
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    usataro
    usataro 2015/08/21
    こうしてみると国家の宗教性を標榜するカルトそのものだけど、確かに靖国本体の論理と大きな齟齬はない。つまり靖国本体が「神道」的語りでオブラートに包んだカルトだってことが浮かび上がるわけで。
  • 沖縄タイムス | 4・28政府式典:突然の「天皇陛下万歳」

    4・28政府式典:突然の「天皇陛下万歳」 Tweet 政治 2013年4月29日 10時06分(55分前に更新) 【東京】壇上の安倍晋三首相ら三権の長がそろって両手を上げ、声を合わせた。「天皇陛下万歳」。28日に開かれた「主権回復の日」の政府式典。天皇皇后両陛下が式典終了後に退場する際、出席者から突然声が上がり、出席した国会議員や政府関係者約390人の一部も同調。天皇陛下は壇上で一瞬立ち止まった。 式典に対して憲法改正への足がかりとする疑念の声が上がる中、政府が式典で強調した「未来志向」ではなく、戦前の光景に重なるような場面もあった。 仲井真弘多知事に代わって参加した高良倉吉副知事は万歳をしなかった。「突然でびっくりした。あの場面でそうする必要はなかったかなと。ただ、積極的にしなかったわけではなく、反応できなかった」と終了後、報道陣に話した。 約40分の政府式典は、安倍首相の独り舞台の様相

    usataro
    usataro 2013/04/29
    沖縄にとっての「屈辱の日」に万歳とはひどすぎる。もう来年天皇臨席はないんじゃないの?
  • 朝日新聞デジタル:安倍氏側近、下村氏が入閣へ 自民の教育公約とりまとめ - 政治

    自民党の安倍晋三総裁は、26日に発足させる第2次安倍内閣に下村博文元官房副長官を入閣させる意向を固めた。下村氏は安倍氏側近で、自民党の「教育再生実行部」の部長として衆院選公約案の教育分野のとりまとめにあたった。文部科学相か環境相兼原発相で調整している。  下村氏は衆院東京11区選出で当選6回。小泉内閣で法務政務官や文部科学政務官を務めた。第1次安倍内閣では官房副長官に就任し、塩崎恭久官房長官や世耕弘成首相補佐官らとともに「安倍官邸」を支えた。世耕氏は官房副長官(参院)への起用が内定している。  9月の総裁選後、安倍氏は肝いりの教育再生実行部長に下村氏を起用。実行部は、教科書検定基準でアジア諸国との歴史的関係に配慮する「近隣諸国条項」を見直すことなど衆院選公約の素案を作った。 関連記事教科書検定を抜改革 自民の教育公約案、強い保守色(11/17)

    usataro
    usataro 2012/12/20
    人選の時点で面舵いっぱいな雰囲気。
  • 尖閣が「日本固有の領土」とは何かの冗談か? - 読む・考える・書く

    「歩く人権侵害」こと石原慎太郎がまたバカなことを言い出したおかげで、尖閣諸島に再び注目が集まっている。 「尖閣諸島」とは、沖縄の石垣島と台湾とのほぼ中間に位置する、一群の無人島および岩礁の総称であり、日が実効支配しているものの、中国台湾も領有権を主張している係争地域である。 ところがこの国では、歴代政府はもとより、マスコミから共産党に至るまで、尖閣諸島を「日固有の領土」だと主張して疑うことがない。 外務省 尖閣諸島に関するQ&A: Q1 尖閣諸島についての日政府の基的な立場はどのようなものですか。 A1 尖閣諸島が日固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり,現に我が国はこれを有効に支配しています。したがって,尖閣諸島をめぐって解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しません。 現に複数国家が領有権を主張している係争地域について、問題の存在そのものを認めない

    尖閣が「日本固有の領土」とは何かの冗談か? - 読む・考える・書く
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    usataro 2012/05/06
    尖閣と竹島の日本編入は、確かに日清・日露戦争時の状況に大きく規定されてはいるんだけど、ならばそこが中国や韓国の領土なのかってことにはならないんだよね。やっぱり現代的な領土問題であるわけで。
  • なぜ平清盛は「王家の犬」ではいけないのか : 痛いテレビ

    2012年02月15日08:00 なぜ平清盛は「王家の犬」ではいけないのか カテゴリNHK zarutoro さてNHK大河ドラマ「平清盛」で皇室のことを「王家」と呼称していることについて、天皇家の権威を貶めるものだと批判が巻き起こっています。 皇室を「王家」 適切なの? NHK大河「平清盛」に疑問の声 MSN産経 http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/cast/index.html 結論から言えば、「王家」と呼称することは不適切であり、ドラマのテーマからしても避けるべきでしょう。 まず、平清盛と父の忠盛は時の最高権力者であった上皇(院、法王)の軍隊である「北面の武士」になることで力をつけていきます。 ドラマでは清盛と忠盛の会話に「王家の犬」と言う表現が頻繁に出てきますが、「王家」では誰に仕えているのかわからない上、初見の視聴者には皇室を指すことも理解しづらい。 親

    なぜ平清盛は「王家の犬」ではいけないのか : 痛いテレビ
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    usataro 2012/02/15
    説得力無し。中世日本での「王」の用例とドラマでの「王家」の使い方は大きくはズレてない。中華秩序での「日本国王」号は外交関係限定の用語だったらしいし。朝廷の犬だと、"忠実の犬"為義をどう表現すんのよ。
  • 大河ドラマ「平清盛」における「王家」をめぐって

    今年のNHK大河ドラマ「平清盛」では、法皇・上皇らによる院政体制を「王家」と呼んでおり、ネットでは「『皇室』『天皇家』ではないのか」といった議論が起きている。同作品の時代考証にあたった気鋭の中世史家、郷和人 東京大学史料編纂所准教授と「肉と草の日史」(中央アート出版社)の共著もある作家の堀田純司氏に、「王家」問題について寄稿してもらった。(編集部) このような話題にうかつに首をつっこまずに過ぎ去るのを待つのが大人の態度だと思うのですが、この話題は実は「表現における用語の規制」に関わるものです。ですので非力かつ超末席ながら、言葉を使う商売のはしくれとして、あえて大河ドラマ「平清盛」における言葉の使い方について解説してみようと思います。いたらぬ人間の解説ですが、なにかの足しになれば幸いです。 今、一部で話題のNHK大河ドラマ「平清盛」で使われる「王家」という皇室の呼称ですが、まずこれは

    大河ドラマ「平清盛」における「王家」をめぐって
    usataro
    usataro 2012/01/13
    「近代に成立した用語で過去の歴史を振り返ることの危うさ」/王家というニュートラルな語を使うことで、中世の朝廷や公家社会研究は大きく進んだからなあ。/なお本郷氏は幕府のとらえ方では権門体制論に批判的。
  • 【主張】建国記念の日 政府が主催し祝うべきだ - MSN産経ニュース

    11日の「建国記念の日」を前に、西岡武夫参院議長が政府主催の祝賀式典を行うべきだとする書簡を菅直人首相あてに出した。 書簡では「いやしくも国家の基精神に関する国の祝日である以上、政府が率先してこの日を祝うことは、極めて当然のことであると思われる」と記されている。 まったくその通りだ。西岡氏の主張が一刻も早く受け入れられ、政府主催の式典が実現することを強く望みたい。 「日書紀」によれば紀元前660年、初代神武天皇が橿原宮(奈良県)で即位した。現行暦に直せば2月11日にあたり、その日をもって日の国づくりが始まったのである。 神話につながる建国の物語は、その後の日歴史を連綿と生き続けた。王朝が断絶し次々交代する国がほとんどのなかで、奇跡ともいえるほどまれな例となったのは、私たちの祖先が、建国の歴史とともに一系の天皇を戴(いただ)くことに畏敬の念と誇りを持ち続けたからにほかならない。 明

    usataro
    usataro 2011/02/06
    相変わらず西岡はロクでもない。ちなみに自民党政権は式典開催に消極的。自民すらやらなかった式典をなんで民主がやらなきゃいけないんだよ。http://d.hatena.ne.jp/usataro/20090211/p2
  • イノセントな学者的欲求が犯す罪─「怒り」の理由 - ちきゅう座

    <子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授> 私の批判への島薗氏による卑小な反論に釣られて卑小な回答の言葉を連らねる愚を避けて、端的にまず私の「怒り」の理由をのべよう。 現在、「国家神道」をめぐる問題があるとすれば、「国家神道」概念の見直し論としてある。この見直し論とは、アメリカの対日占領政策にもとづくいわゆる神道指令が廃止を指示した国教としての神道、すなわち「国家神道」の定義の見直しを要求するものである。神道指令はこの「国家神道」を「非宗教的ナル国家的祭祀トシテ類別セラレタル神道の一派(国家神道或ハ神社神道)ヲ指スモノデアル」と規定している。したがって見直し論はこの規定中にある神社神道の側から、「国家神道」概念の見直すことの要求として出されてきた。 だがこの見直し論は、ただ「国家神道」概念の見直しを求めるだけのものではない。現行憲法を占領軍の押しつけとして、それを見直し、自主的な改訂

    usataro
    usataro 2010/11/07
    僕がこの本読んだ時には、神道側の主張する「狭義の国家神道」論への批判という印象を持ったので、この批判が全然ピンと来ない。いずれにしろ再読、論点整理の要あり。
  • 関係論としての「国家神道」論 - ちきゅう座

    一 はじめに 日思想史の研究者として知られる子安宣邦が、『現代思想』誌上で国家神道論の連載を始めたのは、二〇〇三年七月号であった。この連載は翌二〇〇四年四月まで続き、その後、『国家と祭祀――国家神道の現在』(青土社、二〇〇四年)として単行化された。その「批判」の対象とされた近代神道研究者からは「誹謗中傷に近い」[1]とも評されたその筆致と内容は、それらの人々に少なからぬ衝撃を与え、反発や批判を呼ぶことともなった。このに端を発する子安の議論への批判については現在、すでに一通り出揃った感があり、今やアップトゥデートなテーマではなくなりつつあると言ってもよいだろう。 筆者はしかし、その議論の成り行きに若干の不満を持っている。こので子安が提起しようとした問題の広がりが、その反論・批判において正当に受け止められているように見えないからである。論文は、そのような問題意識を出発点に据え、「国家

    usataro
    usataro 2010/11/07
    初出は『宗教研究』第360号,139~160頁,2009 年6月。
  • 「怒りを忘れた国家神道論」―島薗進『国家神道と日本人』批判 - ちきゅう座

    <子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授:日思想史> 1 村上重良の怒り 村上重良は『国家神道』(岩波新書、1970)を激しい怒りをもって書いた。その怒りとは、日台湾・朝鮮をも含んだ)国民の肉体とともに精神を支配し、抑圧した〈戦争する日国家〉の原理であり、装置であるものに対してである。彼は国家神道こそが、1945年に至るまで国民を支配し、抑圧した国家的原理であり、装置であるとみなした。戦争の終結から四半世紀を経過した1970年に村上は、国家神道の復活の動きに接し、怒りを新たにする形で『国家神道』を書いたのである。私もまた度重なる小泉元首相の確信犯的な靖国参拝に対する怒りを『国家と祭祀―国家神道の現在』(青土社、2004)として表明した。私は村上の国家神道概念をそのまま継承することはなくとも、彼の怒りは正しく継承した。 国家神道批判は日国民のこの怒りに基づくものである。怒り

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    usataro 2010/11/07
    一読ではよくわからなかったが、要するに「日本の民族宗教」としての神社神道と国家神道との断絶説に立つ島薗氏への反論が学術的には論点なんだろう。けれどもどうしてこんなに怒ってるのかよくわからん。
  • 「英霊か犬死にか」ほか - Apeman’s diary

    「薔薇、または陽だまりの」さん経由で。 テレメンタリー2010 「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判〜」 原告-崎原「戦死した母が命(ミコト)、神として靖国に祀られていたとは。死者に対する最大の冒涜だ!」 原告-安谷屋「たった2歳の弟が球(たま)部隊所属で死んだとして英霊にされている。祭神の名簿から削除して欲しいんです」 戦争で国のために命を捧げた軍人軍属246万柱を「神」として祀る靖国神社。そこに沖縄戦で死んだ民間人6万人近くが祀られていることはあまり知られていない。なぜ、軍人でもない沖縄戦の犠牲者、しかもゼロ歳児までが「軍神」や「英霊」となってしまったのか。 無断で祀られた家族の名前を祭神名簿から消してほしいと、沖縄の遺族たちは国と靖国神社を相手取り、裁判を起こした。そこには、国が戦後補償のような形で整備した「援護法」により、援護金をもらう代わりに一般の住民が「準軍属」と扱われるとい

    「英霊か犬死にか」ほか - Apeman’s diary
    usataro
    usataro 2010/09/02
    「遺族に戦傷死の連絡すらしない国家が靖国神社には戦傷死者のリストを渡していた」
  • システムとしての国家神道 - 美徳の不幸 part 2

    今日、恩師の新書を読了。 国家神道と日人 (岩波新書) 作者: 島薗進出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/07/22メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 3人 クリック: 63回この商品を含むブログ (24件) を見る先生のこの10年ほどの「国家神道論」を追っている僕からすれば、半ば復習のようなものだが、やはり強調するべきは、神社神道にだけ限定するような国家神道論はよろしくない、特に皇室神道・祭祀を抜きにした国家神道論はダメだということ。僕も先生の顰みに倣って、自分の論文では「国家神道システム」という用語を用いているのは、神職・神社神道の活動以外にも「国家神道」というのは浸透していたと捉えているからだ。具体的には、仏教各宗派や、新宗教も、キリスト教も、積極的に(ここが重要。下支えなくして、あそこまでの「猛威」は振るえない)このシステムに荷担したのである。勿論、教育現場にお

    usataro
    usataro 2010/07/30
    まだ途中までしか読めてない。
  • 元号を廃止してほしい  井上晃宏(医師) : アゴラ

    カテゴリ 元号を廃止してほしい  井上晃宏(医師) 政府ができる成長促進策として、元号廃止を訴えたい。 元号が使われ続けているために、多くの無駄が生み出されている。 大抵の人の一生は、二つ以上の元号をまたいでしまうので、生年月日から年齢をすぐに計算することができない。私は元号と西暦と年齢の対照表を手元に置いて仕事をしている。 役所の将来見通しに、平成50年度などと書かれていることがあるが、そんな年は実際には来ないだろう。昭和時代に書かれた文書のタイムスタンプは、年号が平成に変わったとたん、対照表を見ないと、今から何年前だったかすら、すぐには計算できなくなった。 元号は民間が好きで使っているのではない。政府が元号を公文書で強制しているため、政府に提出する文書はすべて元号で書かねばならない。それに引きずられて、民間の文書にも元号が使われる続けている。 明治維新の時に、近代化のため、日

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    usataro 2010/06/24
    明治以前にさかのぼらない皇紀なんていらない。元号法なんて制定せず昭和で元号を終わりにすればよかったのに。
  • 権門体制論と天皇制 - 我が九条

    権門体制論それ自体は天皇を【国王】とすることは必ずしも前提としない。だからこそ権門体制論の枠内で天皇ではなく治天を【国王】とする議論も可能なのである。しかし黒田俊雄は断固として天皇を日中世国家の【国王】とすることを譲らない。 これについて次のような意見がある(「唯物史観 | Japanese Medieval History and Literature | 5488」)。 唯物史観を信奉するのに、なぜ権門体制論なの? 権門体制論は、天皇の地位を必要以上に高く評価しているじゃないか。 それは、唯物史観を奉じる研究者が「従三位」とかの位階を授けられてる (そういう人は少なくないそうです)のと同じくらい、ヘンじゃないか。 「唯物史観を信奉するのに、権門体制論」は「自分の思想と研究とが同一のベクトルをもつべきだ」という意見と対立するのだろうか。私はそうは思わない。権門体制論は唯物史観に立脚して

    権門体制論と天皇制 - 我が九条
    usataro
    usataro 2010/06/18
    権門体制論が象徴天皇制批判だったのには全面的に同意。ただ政治権力を有した天皇や確固たる国家機構の存在を措定することに現状で果たして意味があるのかがポイントで、本郷さんの批判もその点では首肯できる。
  • 荘園制論を理解するために - 我が九条

    黒田俊雄の学問的体系がマルクス主義に立脚しているという、自明の前提を再確認してきた。弁証法的唯物論に即して黒田の論を整理すると、下部構造としての荘園制論、上部構造としての権門体制論、そして社会的意識諸形態としての顕密体制論がある。 マルクスは相互の関係について次のように説明する。 人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定す

    荘園制論を理解するために - 我が九条
    usataro
    usataro 2010/06/10
    権門体制論と黒田荘園制論の説明としては確かにこの通り/天皇が公で上皇が私、荘園が私的だという位置づけはすでに過去の理解/畿内を先進、九州や関東を後進地帯とする理解はもはや全く成り立たないと思う