第2次百年戦争の経過のあらましを表に示した。 王政復古期の1665年に外交官となったウィリアム・テンプル準男爵は日本では文筆の業績のみ取り上げられる傾向があるが、当時イングランドの将来は近代議会制と勢力均衡の外交方針にこそあると訴えつづけた点も重要である[9]。テンプルは、エリザベス以降混迷を深めたイギリス外交を建てなおし、大局的な見地からはイングランドの国益に沿わない英蘭戦争を一刻もはやく終結させるべきと警鐘を鳴らしつづけ、両国にとって真の脅威はフランスであることを指摘したのである[9]。「ルイ14世を倒した男」といわれるテンプルは、イングランド議会とオレンジ公ウィレム(ウィリアム3世)のパイプとなって名誉革命への道を用意したのであった[9]。 なお、1660年頃、すでにイギリスではのちに二大政党に成長するトーリーとホイッグが成立しており、議会の権限を拡大させようとするホイッグ党が植民地
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