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政治思想と経済に関するushiwatatのブックマーク (5)

  • thought.ne.jp#よい子の社会主義:よい子の史的唯物論1

    ――名探偵ゲーデル先生のところに、今日も助手のカンパネルラ君がやってきました。 ゲーデル やあ、カンパネルラ君。あいかわらず金利生活者みたいなナリして。今日はいったいどうしたんだい? カンパネルラ 先生を真のプロレタリアートと見込んで聞きたいことがあるんです。 ゲーデル ハラショー! おだやかじゃないね。また誰かにいじめられたのかい? カンパネルラ ぐすん。どうしてそう思うんですか? ゲーデル だって君の上着の裏ポケットから、涙でくちゃくちゃになった「帝国主義論」がのぞいているじゃないか。 カンパネルラ 先生こそ、そのスリッパ、マオ・カラーですよ。それでぼくが聞きたいのは「史的唯物論」のことなんです。 ゲーデル 「史的唯物論」というのはね、社会学のことなんだよ。 カンパネルラ この大うそつき! なんだって、そんなデマを。 ゲーデル 当だよ。ロシアの革命家ブハーリンが「

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/12/07
    くるぶし氏(「読書猿」運営者)によるコンテンツ。cf. http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1356/ よい子の分析哲学 http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1356/kuru/analysisPHILO.html なども。
  • 2007-11-29

    経済の文明史 (ちくま学芸文庫) 作者: カールポランニー,Karl Polanyi,玉野井芳郎,石井溥,長尾史郎,平野健一郎,木畑洋一,吉沢英成出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2003/06/01メディア: 文庫購入: 5人 クリック: 36回この商品を含むブログ (50件) を見るマルセル・モースの贈与・交換論やマリノフスキーの文化人類学に依拠しながら、新たなる経済人類学という学問領域を作り出した、ポランニーの著作である。 昨日、ファシズムと相対主義の話を書いたのだけど、今日カール・ポランニーの『経済の文明史』を読んでいたら「ファシズムの質」というポパーに位置の近い論考があって驚いた。この「ファシズムの質」も、キリスト教的個人主義とファシズムは絶対的に相反するものだと考えている。ヒトラーやムッソリーニはキリスト教を排除しようとしたが、独裁政治のためにはキリスト教個人主義はあっ

    2007-11-29
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/01/12
    |ハイエクの主張するように自由主義と市場経済はほぼ同時期に始まった。そのどちらもが永続的なものではなく、始まりもあれば終わりもあるものなのである。|
  • 「貧乏人は死ね」と言わないリバタリアンならば - モジモジ君のブログ。みたいな。

    昨日の記事へのトラックバックをいただいた。 富の再分配について@fujixeの日記 リバタリアンって面白いな、と思うところは、第一にそのアンバランスさである。すなわち、政府は常に失敗すると想定されている一方で、政府による再分配がないところでの、自発的贈与による分権的再分配が成功するという見積もりを持っていることである(少なくともそちらの可能性の方が高いと見積もっている)。──しばしば福祉国家論者が現実の市場と理想の政府を引き比べて何でも政府の仕事にしたら良いと主張するのに対して、リバタリアンは理想の市場と現実の政府を比べる。正直、どっちもどっちだよな、とか思う*1。──ただまぁ、現実の政府のダメさ加減=政府の失敗を最大限に見積もるならば、それでもどの程度のことは言えるか、ということは考えておいていい。 政府の失敗、つまり政府が徴税で集めたお金を適切に使わない、何か良からぬ事や一部の人々の利

    「貧乏人は死ね」と言わないリバタリアンならば - モジモジ君のブログ。みたいな。
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/09/18
    リバタリアンの思想とベーシック・インカムをめぐって。リンク先もチェック。
  • ララビアータ:寺の経営(教会と信仰) - livedoor Blog(ブログ)

    久しぶりに小学校のクラス会に出たら、寺を継いだ友人や、墓の設計を手がけている建築家の友達と話し込むことになった。今日、寺を維持する経営は、御多聞にもれず、なかなか厳しいらしい。もともと十分な不動産があって、半ば不動産業を兼業できるような寺は別だが、現代人の生活が葬式以外では寺から遠ざかるようになると、十分にお布施を集めるのも難しいわけだ。戒名の文字ひとつについて、なぜあれほどのお金がかかるのか合理的に説明できる人はいないから、このようなところでも遠からず「価格破壊」が起こらざるを得ない。 友人の一人は、仏教界でも宗教改革が必要なのではないかと言う。 だがいかにして? 橋爪大三郎氏によれば、排除された人々は仏舎利を納めた仏塔(ストゥーパ)の周りに集まり始める。彼らは、己の悟りより、悟りを開く前の釈迦(菩薩という)に自己同一化し、菩薩道を目指す事になる。それというのも、彼らには、戒律を通じた正

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    ushiwatat 2007/07/28
    |したがって市場で評価されないものは直ちに無でしかなくなるという事態の方が、歴史的に見れば異常であり例外的||近代政治哲学はその根本においてプロテスタント的、または無教会主義的であるということになる。|
  • 資本主義の「精神」が嫌だ: 鶴見済のブログ

    「時は貨幣であるということを忘れてはいけない。一日の労働で10シリングもうけられる者が散歩のためだとか室内で懶惰にすごすために半日費やすとすれば、たとい娯楽のためには6ペンスしか支払わなかったとしても、それだけを勘定に入れるべきではなく、そのほかにもなお5シリングの貨幣を支出、というよりは放棄したのだということを考えなければならない。」 これが大社会学者マックス・ウェーバーが“資主義の精神”と呼んだベンジャミン・フランクリンの人生訓だ。他にも、 「信用は貨幣であることを忘れてはいけない。」 「貨幣は生来繁殖力と結実力とをもつものであることを忘れてはいけない。」 「勤勉と質素とを別にすれば、すべての仕事で時間の正確と公平を守ることほど、青年が世の中で成功するために必要なものはない。」 等々、色々ある。それにしても、なんと嫌な精神であることか。 フランクリンはアメリカ独立宣言の起草者の一人で

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