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死生観に関するushiwatatのブックマーク (177)

  • 黒柳徹子さん「仲良しだった野際陽子さんへ」:朝日新聞デジタル

    大好きだった、そして仲良しだった野際陽子さんへ NHKに入ったのが、およそ60年前。あなたはアナウンサー、私は放送劇団。その頃からもう気が合っていて、一緒にフランス語を習ったり、同じお洋服屋さんで、お洋服を作ってもらったり。 私は、あなたの感覚が、好きだったし、何より正直だった清らかなあなたが好きでした。 長いことFAXでやりとりしましたね、流れるように美しい字のあなたのFAXは、カタカタと静かに送られてきました。大きくてガタガタの字の私のFAXは、あなたと対照的に、恐らく、ドタドタとお宅に到着したことでしょう。 いつになったら、あなたが「やすらぎの郷」に沢山出ていらっしゃるかと、楽しみにしていました。あなたが病気で、それどころではない、なんて知らなかったのよ。一緒に芝居をやりましょうとか、よく話しあいましたね。 野際さん、胸がいっぱいで、悲しく、なんと言ったらいいのか、わかりません。転勤

    黒柳徹子さん「仲良しだった野際陽子さんへ」:朝日新聞デジタル
  • 超久しぶりに父と再会した。 - Everything you've ever Dreamed

    「プロダクトは消費されることが一番幸せなんだ」父がよく使っていた言葉だ。「地図に残る仕事」ほどキャッチーではないにせよ、ほとんど口癖のように言っていたものだから、僕の心に刷り込まれたようにずっとあり続けている。先日、父が書いたいくつかの論文を見つけた。40年前に「価値工学(VE)」について書かれた論文で、誰かがネット上にアーカイブしてくれたものらしい。工業デザイナーだった父は、スケッチや水彩画といった仕事に近いものだけではなく色々なことを僕に教えてくれた。サイモン&ガーファンクル、カーティス・メイフィールド、西部劇や戦争映画。それからバスキア。ピアノも学ばせてくれた。もう少しアカデミックなことを教えてくれていたら僕も大成したのではないかと恨み節のひとつでも言いたいところだ。しかし、サイモン&ガーファンクルの『いとしのセシリア』が流れていたあの書斎で、価値工学の論文をいくつも書いていたとは…

    超久しぶりに父と再会した。 - Everything you've ever Dreamed
    ushiwatat
    ushiwatat 2017/06/08
    |いってみれば人間は誰もがプロダクトで、消費されることが喜びなのだ。プロダクトは誰かに使われ消化されることが本質であって、プロダクト自身が寿命を定めるものではないはずだ|
  • 露姫様の物語 | 勝五郎生まれ変わり物語

    はじめに 勝五郎生まれ変わり物語が現在のように語り継がれるようになったのは、当時の文人大名であった池田冠山(かんざん)、幕府の役人で中野村を治めていた多門(おかど)伝八郎、国学者の平田篤胤(あつたね) 等によって、勝五郎人や家族から直接話を聞き記録された物語であり、その書物が写を含め現存しているからです。 最初に書物に著したのが池田冠山です。冠山侯は愛娘(まなむすめ)の露姫(つゆひめ)を疱瘡(ほうそう)に罹(かか)り6歳で亡くしたばかりの時に、江戸に伝え渡った勝五郎生まれ変わりの話を耳にし、多摩郡中野村(現在の八王子市東中野)の勝五郎の家へ足をのばし直接話を聞きに書いたのです。隠居していたとはいえ、元大名が直接農民の家を訪れるのは異例の事でした。露姫を亡くし深い悲しみのなかにあった冠山侯にとって、同じように6歳の時に疱瘡で亡くなった藤蔵(とうぞう)の生まれ変わりであると語る勝五郎の存

    露姫様の物語 | 勝五郎生まれ変わり物語
  • 遺品整理士が見つめた「現代の死」|NHK NEWS WEB

    亡くなった人の遺品を家族に代わって片づける「遺品整理士」という仕事をご存じでしょうか。核家族化や単身世帯の増加とともに需要が増え、現在、全国でおよそ1万7000人が業界団体の認定を受けて活動しています。 変わりゆく家族の姿と向き合いながら、ある遺品整理士が見つめた「現代の死」。そこから浮かび上がるのは…。(富山局 猪俣英俊記者) 「こういう写真を見ると寂しい」 切なそうに、そう漏らしたのは、遺品整理士の三國健司さん(43)です。 ことし2月、三國さんは、富山県内のアパートで1人で亡くなった50代の男性の遺品を整理していました。 生前、独身だった男性は県外に住む親族とも疎遠で、男性の親族が 「遺品はすべて処分してほしい」 と依頼していました。 最近、こうした依頼は増える傾向にあり、三國さんは家族のつながりが希薄になっていると感じていました。 三國さんは、富山市内で4年前から格的に遺

    遺品整理士が見つめた「現代の死」|NHK NEWS WEB
  • 「墓なし・坊主なし」の弔いをやってわかったこと

    やまざき・はじめ/1958年、北海道生まれ。東京大学経済学部卒業。現在、楽天証券経済研究所客員研究員。株式会社マイベンチマーク代表取締役。東京大学を卒業後、三菱商事に入社。野村投信、住友生命、住友信託、メリルリンチ証券、パリバ証券、山一証券、明治生命、UFJ総研など、計12回の転職を経験。コンサルタントとして資産運用分野を専門に手掛けるほか、経済解説や資産運用を中心に、メディア出演、執筆、講演会、各種委員会委員等を務めた。2024年1月1日、永眠。 山崎元のマルチスコープ 旬のニュースをマクロからミクロまで、マルチな視点で山崎元氏が解説。経済・金融は言うに及ばず、世相・社会問題・事件まで、話題のネタを取り上げます。 バックナンバー一覧 積極的な宗教心がないなら 宗教なしの弔いは可能な選択肢 私事で恐縮だが、先週の金曜日(11月25日)札幌にいた筆者の父が、90歳の誕生日を目前に亡くなった。

    「墓なし・坊主なし」の弔いをやってわかったこと
  • 追悼しない - 能町みね子のふつうにっき

    迷ったけど、中途半端に140字を連発して真意が伝わらないのが嫌なので、別の箇所に書いたものをここに転載する。 思い出などは特に書かない。自分のためだけにわがままな文を書く。 腹が立つ気持ちと、悲しい気持ちと、恐怖がかわるがわる訪れる。忙しい。気持ちだけで大変なので仕事などできない、と思いながらちゃんとギリギリのことはやっているので、自分の鈍感さを頼もしく感じながらも憂う。毎日15回くらい泣いている。昨日も起きていきなり泣いてびっくりした。今も泣いている。 昨日は人との仕事が終わったあともう何をしたらいいかわからず、国会図書館からなんとなく歩いた。歩いたら文藝春秋に着き、ホテルニューオータニの華やかな光の前を通り、土手に上って真っ暗な道を歩き、四ツ谷にたどりつき、四ツ谷のロンに初めて入った。喫煙可の表示を見て、思いつきで、吸わないタバコを買って来て吸った。強いものをやっても定着しないだろうと

    追悼しない - 能町みね子のふつうにっき
  • 東大文学部卒おばさんが、何がもったいないのか解説するよ

    http://seramayo.hatenablog.com/entry/2016/05/23/121352 東大文学部卒おばさんのレスポンスシリーズ第二弾((読みたい方がいるかはわかりませんが東大文学部卒おばさんシリーズの第一弾はこちら http://anond.hatelabo.jp/20150309011809 ))。 私はあなたの幸せも、それに自分の幸せも、否定する気はまったくないんだけど、自分の人生の何がもったいなかったかってことには答えを持ってる。 それは、東大卒という肩書きを持ちながら大企業に就職しなかったことでも、大学院に進学して研究を続けなかったことでもない。 ただ、他人の評価ばかりを気にしていたこと。それだけだ。 自分の経験を参考までに書くので、よかったら読んでくださいね。 「東大卒なのに、なんで?」と聞かれるたび、理由を答えるのが辛い ところで私は、あなたと専攻はかぎ

  • お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に出来たお話

    平成28年3月14日、特別養護老人ホームに入所していた認知症の叔母さん(父方)が亡くなりました。齢90歳。 叔母さんからみて、兄の子である私がひとりでこの叔母に関する全てを執り行ない、総額42,360円の支出のみで完璧に満足のできる葬儀が出来ました。 日様々な手続きを含めて全てが終わったので記録として書いておきます。 もしかすると家族葬の費用をかけずに行いたい方には参考となるかも(?)しれません。 【家族構成】 私の実家は富山県 隣接した岐阜県に私は現在居住しています(実家には車で高速道を使って約2時間30分の距離)。 富山県の実家には現在私の母親がひとり暮らし。 父は数年前に他界しています。祖父母も他界。 老人ホームに居たのは私の父の妹で、結婚はしていましたが旦那は既に他界、子供は居ませんでした。 旦那の両親も兄弟も他界して、その旦那の兄弟には子供が居る模様(不明)。 叔母の兄弟は3人

    お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に出来たお話
  • finalvent's Christmas Story 10: 極東ブログ

    カフェテラスの窓際にぽつんと座っていたその金髪で巻き毛の老人は私の顔を認めるなり、それが知人なのだがどうも思い出せないといった視線を投げかけていた。その視線に捕まって少し困惑も覚えた私だったが、私のほうが彼のことを思い出した。名前は思い出せない。サニーと呼んでいた。20年以上も前になる。3ヶ月ほどモロッコで一緒に働いていたことがある。私から彼に声をかけ、名乗ると彼はようやく魔法から解かれた北欧の神のように微笑みかえした。ここはマカオである。南方の風にゆるやかに微笑むべきなのだ。そしてとりとめのない話をした。彼は死んだの追悼の旅なのだそうだ。私のほうはといえば、今年はいろいろ個人的な事情があって、KFFサンタクロース協会関連の仕事はせず、とりとめのない保養の旅に来ていた。そんな話だ。 彼は明日には帰国すると言い、またどこかで会えるとよいがと言ったまま、コーヒーのおかわりを待ちながら話題が途

  • エピソード - 視点・論点

    ことし9月、京都大学と住宅メーカーが開発した木造の人工衛星が打ち上げられます。従来の衛星が環境に影響を及ぼす懸念がある中、宇宙での木材利用の可能性を考えます。

    エピソード - 視点・論点
    ushiwatat
    ushiwatat 2015/12/25
    |先生とお会いできなくなって大変寂しくなります。ご冥福を心より御祈りいたします。| 合掌。
  • エピソード - 視点・論点

    ことし9月、京都大学と住宅メーカーが開発した木造の人工衛星が打ち上げられます。従来の衛星が環境に影響を及ぼす懸念がある中、宇宙での木材利用の可能性を考えます。

    エピソード - 視点・論点
  • NHK NEWS WEB 水木しげるさん死去 その思いは

    水木しげるさん死去 その思いは 12月3日 21時20分 「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」などの作品で知られる漫画家の水木しげるさんが、先月30日、93歳でその生涯を閉じました。 妖怪漫画の第一人者として、水木さんの作品は、漫画だけにとどまらず、何度もアニメや映画になるなど、幅広い世代に愛され続けてきました。 その一方で、水木さんはみずからの戦争体験を漫画に書き続けてきました。漫画を愛し、妖怪を愛し、平和を愛した水木しげるさん。 水木さんの思いについて、科学文化部の小暮大祐記者が取材しました。 漫画家 水木しげるさん 水木さんは大正11年に大阪で生まれ、鳥取県の境港市で育ちました。 高等小学校を卒業後、新聞配達などをしながらデッサンの勉強を続けていましたが、昭和18年、21歳のときに召集されます。水木さんは、激戦が繰り広げられた太平洋のパプアニューギニアのラバウルへ送られました。

    NHK NEWS WEB 水木しげるさん死去 その思いは
    ushiwatat
    ushiwatat 2015/12/08
    |「私の心の底には、絵が救ってくれるかもしれないと言ふ心が常にある。私には本当の絶望と言うものはない」|
  • 米軍を唖然とさせた日本軍の人命軽視〜重傷病者には「自決」を要求(一ノ瀬 俊也)

    兵は味方兵士の「遺体」回収にものすごく熱心だった。しかし、その一方で、苦しんでいる傷病者の扱いは劣悪で、撤退時には敵の捕虜にならないよう「自決」を強要した。このような態度を米軍はどう見ていたか? 一ノ瀬俊也『日軍と日兵 米軍報告書は語る』より「第二章 日兵の精神」を特別公開します。 個人とその生命を安易に見捨てた過去の姿勢を、現代の日社会は脱却できたと言えるのだろうか……。 葬送と宗教 日兵の宗教観と死生観について、米軍はどのように観察していたのだろうか。 書にたびたび登場する元捕虜の米軍軍曹は、日軍将兵の死者に対する弔い方、宗教精神のあり方を次のように詳しく描写している(IB*1945年1月号「日のG.I.」)。 *米陸軍軍事情報部が1942-46年まで部内向けに毎月出していた戦訓広報誌Intelligence Bulletin(『情報公報』)。日軍とその将兵、装備

    米軍を唖然とさせた日本軍の人命軽視〜重傷病者には「自決」を要求(一ノ瀬 俊也)
    ushiwatat
    ushiwatat 2015/08/13
    『総員玉砕せよ!』的な。大義・名誉・よい死に方。戦闘で死んだ者はなぜか偉い。 |もはや「戦果」よりも「戦死」それ自体が目的化しているかのようである|
  • 風葬 - Wikipedia

    風葬(ふうそう)は、死体を埋葬せず外気中に晒して自然に還す葬制。曝葬(ばくそう)、空葬(くうそう)ともいう。 概要[編集] 遺体の腐敗が早い低緯度地方で世界的に多く見られ、日では日列島の古代以前、南西諸島(奄美群島、琉球諸島)では近世まで一般的な葬制であった[1]。 葬法は時代や地域によりまちまちで、人里離れた特定の場所に放置したり、棺に収めた状態で安置したりされることが多い。 洞窟や樹上で行われることもあり、それぞれ洞窟葬、樹上葬と呼ばれる。山上や崖などに放置し、屍肉を野生動物にべさせるものは鳥葬、獣葬などと呼ばれる。また海岸付近に置きオカヤドカリなどに屍肉をべさせる例もある。その後、 風化し白骨化した遺体(骨)を回収し改葬するという複葬の形式を取る場合もある。 インドネシアの風葬[編集] 洞窟墓の一例。「タウタウ」(tau tau)人形の姿が見える。 スラウェシ島高地部に住むト

    風葬 - Wikipedia
  • 大切な人を亡くした時、どうやって立ち直ればよいのだろうか - しかばね先生の日常ブログ

    noteで「緩やかな始まりの終わり」という漫画を不定期で連載しているのですが、三話で更新が止まっています。 更新を待ってくれている方々申し訳ありません。 三話分を一挙掲載いたします。 そして漫画の後更新が止まっている言い訳がましさを時間がある方だけ読んでいただけたら幸いです。 描けないのである。 続きが・・・・。 この漫画を描いていると昔を思い出し、どうしようもない気持ちと共に、これまでに感じた事のない自己嫌悪に陥り涙が止まらなくなってしまいます。 Twitter漫画もなるべく祖母のことを描かないようにしています。 かわりに思考が停止してしまうような、くだらん漫画ばかり描いています。 これは防衛能なのでしょうか。 祖母が亡くなり、もう何年も月日が経とうとしているにも関わらず未だ気持ちの整理が全くついていない状況で過去に囚われまくっています。 大切な人を亡くした時、一体どうやって立ち直れ

    大切な人を亡くした時、どうやって立ち直ればよいのだろうか - しかばね先生の日常ブログ
  • Vol.61 「追悼 三善晃氏のこと」 - MONTHRY EDITORIAL02:JAZZTOKYO

    「三善晃作品展」2008年10月18、19日@東京オペラシティコンサートホール控え室にて(撮影/林喜代種) 作曲家の三善晃氏が亡くなった。氏についての作品論や作家論は2冊のにしているので、ここでは思いつくままに、個人的なことごとを書かせていただく。 氏をはじめてお見かけしたのは、桐朋音大の学生ホール前の廊下で、周囲をピシリと遮断する透明なガラスに全体を囲まれているような、近寄りがたさがあった。その近寄りがたい方が、アナリーゼのクラスに現れたとき、それが三善晃という作曲家だと知った。大学2年生のときのことで、その場にいた作曲と音楽学専攻の受講生は6名ほど。「僕はそのとき、自分が感動をもって語れる言葉しか、皆さんには語れません。」と氏は言い、私はその言葉と居ずまいの美しさに劇しく打たれ、極度に緊張した。繊細に選び抜かれた言葉で、たとえばショパンの音楽がどうできているかを分析してみせる。音楽

  • うちの金魚の半生

    うちの金魚は5歳である。名前はあるが、個魚情報なので一応伏せておく。うちにやって来たときには生まれていたから、正確な誕生日はわからないけれど、まあとにかく大体5歳である。金魚の年齢で5歳というと、まだまだ生きられそうに思えるが、実のところすでに寿命は近い。うちの金魚は金魚すくいでよく見かける赤いやつではなく、背ビレのない、背中が丸みを帯びているあの形である。たまにテレビに映る何十歳のでっかい老魚とちがって、このタイプは比較的るい弱だし、体もそこまで大きくはならない。ましてうちの子はあまりべずに育ったから、年のわりに貫禄がなく子供っぽくみえる。 でも小さいくせしてなかなか骨の折れる魚生を送ってきた。うちの水槽に来た当初は2匹の仲間と一緒に泳いでいたが、いつか彼らはこの世を去り、今では大きすぎる住処に1匹で生活している。氷水みたいに冷たくなった冬の水中で、じっと身を縮めるところなどを見ると、

    うちの金魚の半生
  • 腫瘍内科医 勝俣範之のブログ | 僕はサリンサバイバー

    腫瘍内科医とは、がん患者のあらゆる問題に対応する「がん」の総合内科医です。抗がん剤や緩和療法、適切な治療のナビゲーターの役割もします。 今年は、地下鉄サリン事件20周年になります。毎年この時期になると、テレビなどでもサリン事件について報道されます。いまだにサリンの後遺症で悩む人や、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しんでいる方もいらっしゃいます。我々はこの事件を忘れてはいけないし、あのようなテロを許してはならないと思います。 私は、実はサリンの被害者であり、重症で入院していました。20年経った今、当時のことについて記しておきたいと思います。 1995年3月20日その日は月曜日でした。当時、私は国立がんセンター中央病院のレジデントであり、通常はバイク通勤をしていたのが、前日に千葉の病院で当直のアルバイトがあったので、千葉から電車での通勤となりました。総武線秋葉原駅で日比谷線に乗り換えて、

    ushiwatat
    ushiwatat 2015/03/24
    |恐くなりました。このまま自分の体が消滅してしまうことが恐怖でした。||「どうですか?」/という単純な言葉ですが、この優しく語りかけてくれる言葉に、患者さんは本当に癒やされるのだということを知りました。|
  • 高橋源一郎さん、テロ撲滅の方法は「この世界が生きるに値する場所だと信じさせること」

    過激派組織ダーイシュ(イスラム国)とみられるグループがヨルダン人パイロットを殺害した動画がネットに投稿されたことを受け、小説家の高橋源一郎さんが2月7日、Twitterに自身の考えを投稿した。この投稿がネットで話題になっており、一連のツイートのなかには、1000件以上リツイートされているものもある。 高橋氏はダーイシュについて「彼らは『死』そのものに惹かれているのではないか」としたうえで、ダーイシュが行ったようなテロ行為を根絶するためには、「この世界が生きるに値する場所だと信じさせること」が有効だとする考えを述べた。以下に、高橋氏の一連のツイートを紹介する。

    高橋源一郎さん、テロ撲滅の方法は「この世界が生きるに値する場所だと信じさせること」
  • W.S. Burroughs Obituary 1: Japanese

    無関心の王者バロウズじいさまの冥福を祈りつつ (『ユリイカ』1997年9月号 特集:児童文学 pp.46-47) 山形浩生 ウィリアム・バロウズが死んだ。ついにと言うべきか、やっとと言うべきか。すでにネットワーク上には無数の追悼文が飛び交っている。曰く、ビート・ジェネレーション四天王の一人。カットアップなどの技法で文学の概念を根底から覆した人物。ゲイのくせに二回も結婚し、そして女房を射殺してしまったすごいヤツ。ありとあらゆるドラッグを試し、ぼろぼろになりつつも常に生還し、同志たちが次々に死んでいくなかで一向に衰えをみせなかった不死身のジジイ。アンダーグラウンド文化の帝王。齢七十を過ぎてなお次々と作品を発表し、ショットガン・ペインティングなる絵にも手をそめ、映画出演やコマーシャル出演など次々に新分野に手を出し続けた永遠の冒険者。ローリー・アンダーソンやREMのマイケル・スタイプ、クローネンバ