気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 死は、他ならぬ私の死ぬときまで訪れず、経験もできない。それでも死の恐怖の内実を探ると、死に至るまでの苦痛やこの世への執着などがあると想像される。 だが、いくら想像し、恐怖の根拠を列挙しても、死そのものはわからない。人は得体の知れないものを恐れる。わからないから不安になる。だから先取りしたくなり、認識の範疇に落とし込んで納得しようとあれこれ考える。 だが、死を考えるとはどういうことか? そもそも考えてわかるようなものなのか。考えてわかるようなものなら、わかった範囲に人は死を押し込め、コントロールし、穏当なものにするだろう。 著者の須原一秀は2006年4月、健全な肉体と平常心を保ったまま、ひとつの哲学的事業として自死した。著者は人生を肯定し、主体