→紀伊國屋書店で購入 「うざったさの批評」 批評の方法に関心があるという学生さんがやってきたら、筆者がまず推薦するのはこの本である。 「表現法」の講義というのだから、表向きは文章を書くための教科書である。もちろん「スキマを生かせ」とか「ヨソから来るものを大事にせよ」といった、まごう方なき「コツ」も並んでいる。しかし、コツだけを求めて読んでいくと、たぶん、途中でへばってしまうだろう。著者がかなり本気なのだ。決して難しいことは言わないし、予備知識もゼロでいい。でも、こちらが腰をいれていないと、それこそ、押し返されそうだ。 腰を入れる、とはどういうことか。たとえば冒頭、何かを教えようとか、大学らしい学問をしようという気持ちは捨てた、と著者は言う。そもそもみんな、文章を書くことがあまりに楽しくない、そこが問題だという。 皆さんは、なぜ文章を書くのが楽しくないのだと思いますか。僕はある時、その理由を
Frauという雑誌の取材がある。 20-30代の働く独身女性が読者層のヴォリューム・ゾーンであるような雑誌で、今回のお題は「結婚したいけれど、できないのはどうして・・・」という切実なるものである。 どうしてと訊かれて即答できるなら、苦労はない。 というのはシロートで、私はどんなことを訊かれても即答することでお鳥目を頂いている身であるから、もちろん即答する。 それはみなさんがたが「他者との共生」を「他者への妥協」というふうに読み替えておられるからである。 「共生」と「妥協」は見た目は似ているかもしれないが、まるで別のことである。 これは武道をやっていると実感的によくわかる。 「妥協」というのは「まず、私がいる」というところから話が始まる。 そこに他者が干渉してきて、私の動線を塞ぎ、私の可動域を制約し、私の自己実現を妨害する。 私はやむなく、自由を断念し、狭いところで我慢し、やりたいことを諦め
SB新書6月の新刊は3タイトル! 試読版も公開中!! 2018年6月のSB新書は、『AI時代の子育て戦略』(成毛 眞 著)、『「発達障害」と言いたがる人たち』(香山 リカ 著)、『飲んではいけない認知症の薬』( 浜 六郎 著)の3タイトル! 試し読み版も公開中です!! >>試し読み版の一覧ページはこちら
天漢日乗のエントリによると、アキバ通り魔事件は「加藤の乱」と呼ばれつつあるらしい。あれはテロではなく単なる通り魔だし、まぁテロも通り魔も自意識を持て余した青年の吹き上がりという点では大差ない訳だが、あまり持ち上げると便乗犯を招くんで過剰な意味付けは避ける必要がある。という訳で、アキバ通り魔事件はテロじゃないし、あれを以て剣はペンよりも強しなんて結論づけちゃ、まずいだろ。 ところで剣とペンとどっちが強いかって議論は不毛だ。世界を動かすには両方とも必要なんである。福田政権は当初「加藤の乱」に対して刀狩りで収めようとしていた。それを派遣業法の見直し等に軌道修正したのはペンの力だ。加藤容疑者は日雇いじゃないんで多分に議論はこじつけだし、やるべきことは他にある。暴力装置は言論とセットでなければ世の中を間違っていない方向に変えられないし、暴力が仮に世の中を変えたとしても、それを以て正当化される訳ではな
2006年のデータですが、生活保護の不正受給件数は1万4600件、総額は89億7618万円に上るそうです。へー。「こんなに不正受給者がいるんだぞ」という文脈での紹介でしたので、たぶん不正受給者を最大限に見積もった結果がこれなのでしょう。ちなみに2006年の受給者は全部で1,423,388人、そこに含まれる不正受給者は1%相当ですね。道徳の帝国は健在です。 で、以前に生活保護を論じたとき、私は金額のことはあまり考えていませんでした。生活保護には国庫負担分と各自治体の負担分があるわけで、その合計がどの程度か調べてみるのが面倒だったのもあります。まぁ、不正受給者が1%程度なら、その合計額も1%を下回る程度だろうと、そんな推測で済ませていました。こんな態度ではいけませんね、反省反省。 さて国庫負担分と地方自治体の負担分、両方合わせた生活保護の支給額はどの程度でしょうか? おおよそ2兆5000万円で
クラシックCD検索に便利!バナーをクリックして下さい! 村治奏一リサイタル at つくばノバホール 是非足をお運び下さい! 7月6日(日)午後3時から。 昨日おすすめした パウル・バドゥーラ=スコダ「バッハ 演奏法と解釈」 は、税抜7,500円という高価なものですので,図書館でお読みになれるのでしたら図書館の利用もご検討なさったらよろしいかと思います。 ただ、本文部分だけで622頁、楽譜及び作品、文献の参考リストに前書き・あとがき等を加えると686頁の大著でもあり,そうした資料部分やちょっとした文章にも無駄なところがありません。本当に読み込むためには、あげられた譜例も逐一「観察」すべきです。 言えるのは、確かにこの本は副題に「ピアニストのためのバッハ」とある通り、鍵盤奏者を念頭に置いて書かれた本ではありますが,鍵盤楽器が弾けない人、あるいは楽器は全く演奏出来ない人、さらに楽譜が読めない人で
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く