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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (7)

  • バカの巣窟・教えて!goo - jun-jun1965の日記

    教えて!gooがバカの巣窟だというのは周知の事実だが、先日、回答者もバカという例に出くわした。コピペはまずいだろうから、記憶で書く。 「以下のをどうしても入手したいのです。図書館に問い合わせていますが、僕の人生がかかっています」 といって挙げられているのが、池田晶子の『14歳の哲学』と、せいぜい昨年の『文藝春秋』と、やはりそう古くもマイナーでもない雑誌。 こんなのは、「芥川襲之助の「羅生門」のあらすじを明日までに教えてください」(誤字は意図的)みたいなので、無視・放置すべきものだ。なのに、回答しているやつがいて、国会図書館で検索している。揃ってバカか…。その辺の書店や図書館にいくらでもあるにかかっているなんて、軽い人生だなあ…。 なんか、それに限らず、最近どんどんバカ質問が増えている気がする。 - あ、師弟関係といえば、北方謙三と磯田光一の話が美しかったな。磯田は中央大学で教えていて、

    バカの巣窟・教えて!goo - jun-jun1965の日記
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/08/09
    笑うところか?小谷野氏なら本気かなあ。 >|その辺の書店や図書館にいくらでもある本にかかっているなんて、軽い人生だなあ|
  • 新潮文庫の絶版100冊の奇妙 - jun-jun1965の日記

    青山光二『われらが風狂の師』を読んでいる。変人哲学者として有名なはずだが、ちゃんとした評伝のない土井虎賀寿(とらかず)をモデルにしたもので、青山自身が狂言回しの「菊岡」として出てくる。 土井については、おもしろいので別途活字にしようと思うが、実は私は「書籍」で読んでいるのではなく、『新潮文庫の絶版100冊』というCD−ROMで読んでいる。ところが、冒頭から、「謄躁豆」「謄躁豆」という不思議な言葉が出てくる。土井は躁病だったので、そのことらしいのだが、「謄」とか「豆」とかいうのは、何だろう。「謄躁豆だ。謄躁豆のどまんなかだ」などとあるのである。ところがコピーして移してみると、「謄」と「豆」が「〓」になる。 読み進めていくと、「謄魔窟豆」「謄土岐講師豆」とか出てくるので、ようやく気づいた。文字化けなのだ。きっと青山が何か特殊な括弧記号を使っていて、それが化けているのだが、なんでだろう。「豆」

    新潮文庫の絶版100冊の奇妙 - jun-jun1965の日記
  • 佐藤良明辞職 - jun-jun1965の日記

    佐藤良明さんが『諸君!』で、東大辞職顛末を書いている。まあ、内容は予想どおりで、もちろん佐藤さんの言うとおり、むやみと大学院を作り、そこを出た院生の就職先のことなど考えていない大学教授連の罪は深い。人文系学問などは、そう多くの人間がやらなくてもいいのだ。 (活字化のため削除) ところで佐藤さんは、今年も文学部のほうで非常勤で教えている。私は昨日ふと、東大で一般教養以外の非常勤をやるというのは、大変難しいことなのだと気づいた。実際、東大比較出身者で、比較の非常勤をやっている人というのはほとんどいない。 私がずっと阪大でがんばっていれば、いずれは阪大教授だった、などと言う人もいるが、私がいたのは基的に語学教師の集まりで、言語文化研究科などという大学院はあるが、こういう名前だし、集まってくるのは言語学をやる学生、文学部の院へ行けない学生である。実際、この大学院を出て、優れた学者になった人は、今

    佐藤良明辞職 - jun-jun1965の日記
  • 「学者学」という奇妙な領域  - jun-jun1965の日記

    http://www.pipeclub-jpn.org/column/column_01_detail_06_03.html 更新しました。 −−−−−−−−−−−−−−−−− 1988年に「NICS」が「NIES」に変わったというのも、二十年近く前のことだし、若い人は知らないだろう。前者はNewly Industrializing Countriesの略で、二十世紀後半に経済成長を遂げた香港、台湾韓国、シンガポールをさしたものだが、香港や台湾は「国」といえるかどうか疑わしいというので、CountriesをEconomiesに変えたということである。1993年に翻訳が出たエズラ・ヴォーゲルの『アジア四小龍』(中公新書)はこの四地域を論じて、その成功の理由の一つとして、マックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神』で論じたプロテスタンティズムの代わりに、儒教がその役割

    「学者学」という奇妙な領域  - jun-jun1965の日記
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/06/29
    一部の研究が不毛に感じられるという趣旨には同意するが、この記述だと個人研究の当否の線引きはどこに。名目上の目的と研究の転倒、さらにそれに対する社会的認知と容認?
  • 香山リカの粗製濫造について - jun-jun1965の日記

    香山リカほど、新聞やマスコミでの売れっ子ぶりと、ネット上、あるいは蔭での悪口との乖離が激しい人も珍しい。後藤和智はこんなふうに書いている。 http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2007/04/post_6cb6.html (嫉妬で書いたものであるため削除)

    香山リカの粗製濫造について - jun-jun1965の日記
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/05/11
    小谷野氏が知識人大好きだという話?
  • 「フィガロの結婚」のつづき - jun-jun1965の日記

    モーツァルトのオペラで名高い、ボーマルシェの「フィガロの結婚」は、ロッシーニのオペラで知られる「セヴィラの理髪師」の続きだが、実はさらに続きがあって、「罪ある母」(La mere coupable)というのだが、ここでは驚くべきことに、伯爵夫人はケルビーノの子供を妊娠している。 「フィガロ」では、ケルビーノの伯爵夫人への恋なるものは、そんなに格的なものだとは思われていないから、知らない人は驚くだろう。しかも、この「罪ある母」に触れた文章というのが、論文を含めてひどく少ない。 新聞記事横断検索をしたら、北海道新聞に、「罪ある母」に触れた記事があったが、そこに「戯曲のみ」と書いてあった。ところが調べてみたら、これはオペラになっている。作曲はダリウス・ミヨーで、原作通りのタイトルで、リブレットはミヨーの妹のマドレーヌ・ミヨー(『ダリウス・ミヨー 幸福だった私の一生』別宮貞雄訳、音楽之友社)。し

    「フィガロの結婚」のつづき - jun-jun1965の日記
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/04/22
    |「フィガロの結婚」は||「セヴィラの理髪師」の続きだが、実はさらに続きがあって、「罪ある母」(La mere coulpable)というのだが、ここでは驚くべきことに、伯爵夫人はケルビーノの子供を妊娠している。|
  • ■ - jun-jun1965の日記

    前に書いておいて、どうせ佐藤優などというのは一過性のブームだろうと思って削除したが、そうでもないようなので少し修正して再掲する。 「国体教の山僧・佐藤優」 なんか最近たてつづけに佐藤優の名を知人から聞いた。「外務省のラスプーチン」である。『一冊の』で魚住昭による連載インタビューはちらちら見ていたが、調べてみたら、『世界』と『正論』に連載を持っていたので驚いた。世の中には『正論』に一論文載せただけで就職がダメになる学者もいるというのに。『諸君!』に出ただけで非難される教授もいるというのに。 もう左右を問わずたいへんな売れっ子評論家らしい。 しかし、単にその閲歴でもてはやされているだけで、言っていることは、多量に読書をしたちょっと頭のいい若者の思いつきの域を出ていない。ある仮説を、学問的に多方面から検証することができていない。ただ珍奇な説を断定的に述べているだけである。 これはその知人の一

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