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![安田さん拘束か 入国を手助けした人物直撃|日テレNEWS24](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/68a681e3c071eed463300422958eea8f86d353cd/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fwww.news24.jp%2Fimages%2Fphoto%2F2015%2F12%2F26%2F20151226-191052-1-0002_m.jpg)
上司が外国人になった、会議が英語で開催される――日本企業にいても、英会話能力が問われる時代になっています。英語のテストを受けるとある程度の点は取れる、でも話せない。試験対策の勉強を頑張ってしている、でも実際の英会話となると、ごく簡単なことさえ言えない。こんなことを感じている読者の方も多いのではないでしょうか。 このコラムでは、これまでの発想を180度変え、私たちがすでに身に付けている日本語を活用して英会話を学んでいく方法についてお話します。語学というのは、つまるところ語彙力です。“文法”と言われるものも、意味と形の関係に過ぎません。ここでは、文法を一旦忘れてください。そして、英語をとらえ直しましょう。多くの人にとって、ここが新たな始まりになるはずです。
満員のゴムボートで荒れる海を越えて、トルコからギリシャのレスボス島にたどり着いたアフガン難民の男性。自身もずぶ濡れになりながらも、息子を毛布にくるんで小さな身体を温めていました あの時のことを、覚えているでしょうか。 2015年9月 ― シリア人の小さな男の子、アイラン君の遺体がトルコの海岸に打ち上げられ、私たちは、安全に暮らせる場所を求めてヨーロッパを目指す何十万人もの難民の苦しみと危険な海の旅の実態を知ることになりました。2016年3月 ― トルコとEU間の協定※により、ギリシャからバルカン半島を北上しヨーロッパを目指す難民の避難ルートが閉ざされると、トルコから海路でギリシャに上陸する人の数は減りました。しかし、ヨーロッパにおける難民危機は、まだ続いています。 ヨーロッパで今、何が起きているのか ― 。 今号では、ご支援者の皆様から当協会に寄せられた質問にお答えしながら、未だ続く、難民
イラク戦争から13年が経過してもバスラの復興は進んでいない(写真は2008年頃撮影のバスラ市街地) WIKIMEDIA COMMONS 27年振りに、イラク南部の最大都市、バスラに行った。 イラク戦争後、日本研究に取り憑かれた熱心なイラク人の学者がいて、彼と日・イラクの学者間合同研究大会を過去10年間続けてきたのだが、それが初めてイラクのバスラで開催されたのである。治安の問題があって、これまで専ら日本国内で開催してきた――イラク国内で開催したのは、2009年にわずかにクルディスタン地方政府のアルビルでの会議のみだ――のを、イラク側のたっての希望で、イラク国内で実施することになった。 イラク国内は、外務省渡航情報を見ると、どこも真っ赤、退避勧告がでている。バスラを始めとするイラクの南部四県は少し赤味が薄い。世界有数の油田地域であり、石油精製、港湾設備など関連産業でかつて外国人ビジネスマンであ
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