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吹風日記に関するwerdyのブックマーク (7)

  • お嬢様言葉とは何か、究極の謙譲語、お嬢様は乱れていた? - 吹風日記

    「マリみて」などですっかり普及した「お嬢様言葉」ですが、いったいその質をどれだけの人が理解しているのでしょうか? また、ある有名作家が「お嬢様言葉」を「異様なる言葉づかい」と叩いていたことを知っている人は少ないでしょう。今日は、お嬢様言葉について考えます。 ああ、私はお前の兄たちに見習って、お前に意地悪ばかりしてさえいれば、こんな失敗はしなかったろうに! ふと私に魔がさした。私は一度でもいいから、お前と二人きりで、遊んでみたくてしようがなくなった。 「あなた、テニス出来て?」或る日、お前が私に云った。 「ああ、すこし位なら……」 「じゃ、私と丁度いい位かしら?……ちょっと、やってみない」 「だってラケットはなし、一体何処でするのさ」 「小学校へ行けば、みんな貸してくれるわ」 堀辰雄『燃ゆる頬・聖家族』「麦藁帽子」より 堀辰雄です。この浮世離れした文体がたまりません。なお、「麦藁帽子」の全

    お嬢様言葉とは何か、究極の謙譲語、お嬢様は乱れていた? - 吹風日記
  • あなたの一票は社会を変えない、なぜ選挙に行くのか、澄みゆく心 - 吹風日記

    「あなたの一票が社会を変える」と言われますが、現実にそんなことはまずありません。それでもなお選挙に行く理由はあるのでしょうか? 今日は、外界にまったく影響を与えない行動を取る意味がどこにあるのかを考えます。 心の中の世界を凝視するとき、人は外界の何ものをも当に見ていない。目は開いており、視界にあるものを感じてはいるが、普通われわれが言う意味での見ることはしない。 古語で言う〈眺め〉るだけだ。しかし、音はちがう。外界の音を聞くことで、人間の内面は逆にしんと静まり、心の中の世界を凝視する目は集中し鋭くなる。 閑(しず)かさや岩にしみ入る蝉の声 『おくのほそ道』のこの句などは、このへんのニュアンスを巧みに表現し得ている点で最もポピュラーな作と言えるだろう。この句の前に置かれた文章で、芭蕉は「佳景(かけい)寂寞(じゃくまく)として心澄みゆくのみおぼゆ」と書いている。私には、澄みゆく心を凝視する俳

    あなたの一票は社会を変えない、なぜ選挙に行くのか、澄みゆく心 - 吹風日記
  • 吹風日記 - サブリミナル・マインド、ぼくたちの洗脳社会、西の魔女が死んだ

    人間は何かを選ぶとき、以前に見たものを選択する傾向があるそうです。たとえ、それを見たという意識がなかったとしてもです! その傾向は、情報が均質化するウェブの中で加速されるのではないでしょうか。今日は、インターネットがつくり出す洗脳社会について考えます。 「でも、わたしの問題もやっぱりあると思う。」 まいはけなげにも言い切った。 「わたし、やっぱりよわかったと思う。一匹オオカミで突っ張る強さを養うか、群れで生きる楽さを選ぶか……。」 「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、ハスの花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。」 これは説得力があった。でも、まいも負けてはいなかった。もうまいはほとんどおばあちゃんに遠慮すること

    吹風日記 - サブリミナル・マインド、ぼくたちの洗脳社会、西の魔女が死んだ
  • 殿様に御苦労と言っていい、懸念される漱石、自分と違う他者に会え - 吹風日記

    今日も今日とて、「日語の乱れが懸念されて」います。目上に向かっての「御苦労様」、「一番最後」などの重複表現。これらはそんなに糾弾されるべき言い方なのでしょうか? 今日は、知ることは他者との出会いである、ということについて考えます。 おとぎ話の世界には、あらゆる事が起こった。恋があり、野心があり、裏切りがあり、決定的な出会いと決定的な別離があった。しかし渋谷美竹町の家と平河町の中学校との間を、毎日市電で往復していた私の現実の世界には、全く何事も起こらなかった。私は誰にも出会わなかったから、情熱的な恋に身を任せるはずもなかったし、従ってまた別れの辛さを味わうはずもなかった。中国大陸にはいくさがはじまっていたが、それは私の身辺には及ばず、革命は遠い神話にすぎなかった。私はただ中学校しか知らず、その中学校と私自身にうんざりしていた。 加藤周一『羊の歌』より 上記の引用文は、作家・評論家である加藤

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  • 最近の若者は本当にいたか、とカントは言った、皆が本を書いている - 吹風日記

    何千年も前の遺跡から「最近の若者は……」と書かれた出土品が出てきた、という話をご存じの方は多いと思います。でも、これって当の話なんでしょうか? 今日は、「最近の若者」のルーツを追っかけながら、ネット社会と統一されない自己について考えます。 人の話す言葉のどれが正しいとするかは、なかなかむずかしいことです。それはどこに基準点をおくか、いつの時代、どこの言葉を基準とするかによります。どれが正しいかというところに踏みこむと、保守的な態度の人、新しいことを好む人、いろいろあって、その人の人生や世界に対する考え方が言葉の選択の上に出てきます。今から何千年も昔の楔(くさび)形文字を解読したところ、「このごろの若者の言葉づかいが悪くて困る」とあったそうです。言葉は人間の行為だから、保守的、革新的という相違があるのは当然です。 大野晋『日語練習帳』より 日語ブームの種火となった『日語練習帳』です。

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  • 吹風日記 - 「ぱふぱふ」はなぜ消えたのか、聞こえない音、エロい日本のドラクエ

    ドラゴンクエストがアメリカに移植されたとき、さまざまな修正が行われました。それをつぶさに調べていくと、ドラクエというゲームに隠れた「日的なもの」の姿が浮かび上がってきます。今日は、我々を包囲する見えない文化について考えます。 だが、コンピュータやインターネットの発達が、全体として人間にどんな影響を与えるかという命題に的確に答えられる人はいないだろう。ファミコンについても、それをずっと続けて育った子供がどうなるか、まだはっきりとわかっていない。 主人公がいろいろな冒険をしたり、戦闘するRPG(ロール・プレイング・ゲーム)はたしかにおもしろい。出はじめたときは私も徹夜でやったものだが、一ついえることは、ゲームの構成そのもののなかに、また場面、場面のやり取りのなかに間違いなく文化的な要素が入っている。そして、それが必ずしも日社会の伝統的倫理観ではないことである。子供は与えられたものを当たり前

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  • 未来の自分は無力な他人、先延ばしを潰せ、自分は今ここにしかいない - 吹風日記

    環境問題の質は、被害者である未来世代の人間が、現在の我々と対話することできない「質的に無力な他者」であるところにあります。しかし、「先延ばし」によって被害を受ける「未来の自分」は、この「無力な他者」と同じなのではないでしょうか。今日は、「先延ばし」を潰すにはどうすればいいかを考えます。 「悪魔」の一員だけあって、経済学者の論理は完璧です。(私自身この論理を三〇年教えてきました。)実際、一九九七年の地球温暖化防止に関する京都議定書は、この論理を取り入れました。先進諸国に温暖化ガスの排出枠を権利として割り当て、その過不足を売買することを条件付きで許したのです。(中略) では、これで環境問題はすべてめでたく解決するのでしょうか。 答えは「否」です。わが人類は不幸にも、経済学者の論理が作動し得ない共有地を抱えているのです。 それは「未来世代」の環境です。 岩井克人「未来世代への責任」より 今日

    未来の自分は無力な他人、先延ばしを潰せ、自分は今ここにしかいない - 吹風日記
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