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昭和史に関するwerdyのブックマーク (2)

  • 菱沼五郎 - Wikipedia

    茨城県那珂郡前渡村にて農業徳松の三男として生まれ[1]、水戸勤王の遺風を学んで成長した。 上京後は自動車の助手を経て岩倉鉄道学校(現岩倉高等学校)に進学[2]。1929年(昭和4年)10月、同校業務課を卒業し、翌1930年(昭和5年)、東武東上線池袋駅に就職するつもりが、紅緑色盲のため鉄道業務に致命的であると判断されて就職できなかった[3][1]。失意の中、大洗町の護国堂にいた井上日召のもとに通う。 1930年(昭和5年)、ロンドン軍縮条約をめぐって統帥権干犯問題が起きると、日国民党(委員長・寺田稲次郎、書記次長・鈴木善一)がその抗議行動のために結成しようとした決死隊に参加。同郷で同じく井上の門下である小沼正、川崎長光、黒沢大二らとともに一心同体で行動しようと血盟しあう。日国民党のほか、大川周明の行地社とも接触し、浅草郷のタクシー助手をしながら決行の日を待つ。 血盟団事件時の写真 1

  • 郵貯1900万口座43億円が宙に 戦前の台湾・朝鮮分 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    朝鮮半島や台湾など旧植民地の郵便局に戦時中、預けられた郵便貯金のうち、払い戻しを求めないまま残されている口座数が約1900万に上ることが18日、分かった。残高は利子を含めて約43億円。現地人を含む住民や軍人が預金者で、利用者への催告ができないため時効は停止しているが、預け入れた人が亡くなるなど年々払い戻しは難しくなっており、大部分がこのまま、ゆうちょ銀行で眠り続ける可能性が高いという。 管理している郵便貯金・簡易生命保険管理機構によると、貯金口座は中国や朝鮮半島、東南アジア、南洋諸島で開かれたもの。内訳は、民間人の外地郵便貯金が約1800万口座、約22億円。また、軍人が野戦郵便局などで預けた軍事郵便貯金が約70万口座、約21億円にのぼる。 払い戻しを求められるのは、貯金した人か、その相続人や代理人。外地郵便貯金の払い戻しには通帳が必要だが、軍事郵便貯金は通帳がなくても部隊の在籍証明など

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