康徳(こうとく、旧字体:康德、満洲語: ᡝᠯᡥᡝ ᡝᡵᡩᡝᠮᡠᠩᡤᡝ 転写:elhe erdemungge[1]、ᡝᠯᡥᡝ ᡝᡵᡩᡝᠮᡠ elhe erdemu[2])は、満洲国の元号。帝政に移行した1934年3月1日から、満洲国が崩壊した1945年8月18日まで使用された。この元号に関連して当時の満洲国皇帝(愛新覚羅溥儀)を康徳帝と称すことがある。 当初は「啓運」を予定していたが、直前で「康徳」に変更されている[3]。 元年(1934年)3月1日:溥儀が満洲国皇帝に即位して帝政に移行。 2年4月6日:溥儀の第1次日本訪問。 7年6月26日:溥儀の第2次日本訪問。 12年(1945年) 8月9日:赤軍(ソビエト連邦軍)が満洲国内に侵攻。 8月14日:日本がポツダム宣言を受諾。 8月17日:満洲国国務院が満洲国の解体を決定。 8月18日:溥儀の退位宣言。満洲国消滅。