紅色の御祭文は上賀茂、下鴨の両神社だけ。末尾には「明治五年壬申四月二十日」と、旧暦最後の御祭文であることを示す。新木宮司は「黒船来航のときは『夷船(いせん)』と記され、国内の平穏が祈願されました」と話す(左京区の下鴨神社で) <天皇(すめらみこと)の大命(おおみこと)に坐(まし)ます掛け巻くも恐(かしこ)き> 紅色の鳥の子紙は「天皇」の文字から書き起こされている。葵祭の「社頭の儀」(15日)で、下鴨神社(左京区)、上賀茂神社(北区)に奏上される御祭文(ごさいもん)。「葵祭が古来から天皇陛下の命による勅祭だったことの証しです」と、下鴨神社の新木直人宮司(70)は言う。 現代のことばなら、「恐れ多くも神前で天皇陛下のお言葉を申し上げます」で始まるこの御祭文を読み上げるのは、天皇陛下のお使い、勅使だ。 平安時代には、皇居を警護した近衛府の近衛中将が務めた。御所から両神社に車列が練り歩く「路頭の儀