得撫島北東部にある見嶋湾。遠景の岬の日本が建てた灯台の周りには、ウルップソウの大群落がある。 昭和29年の武魯頓島・知理保以島・得撫島 昭和29年の得撫島(南部) 得撫島(うるっぷとう)は、千島列島にある島。ロシア名はウループ島 (Остров Уруп)、英語表記はUrup。得撫郡に属した。 概要[編集] 島の名前の由来は、アイヌ語で「紅鱒」を意味する「ウルㇷ゚(小書きのプ)」から。知里真志保の著書にもこのことが記してある。 スイスの企業グループ「ソルウエイ・インベストメント・グループ」の子会社「クリル ゲオ」による大規模な金鉱開発が展開されている。 近世においては定住者がおらず、択捉島など他島のアイヌ民族が漁猟のために一時的に居住していたのみであった。18世紀のロシアの南下にあわせて本格的に入植が行われ有人島になっていたが、明治年間に日本領に編入されてからは実質的には一時居住者のみで、
![得撫島 - Wikipedia](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/25050a95d1099aaec616744b74cd74ed313ad1a1/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F8%2F85%2FUrup_Island.png%2F1200px-Urup_Island.png)