GSJトップページ > 研究紹介 > GSJ 研究資料集 > 2013年度 > no. 592 / 富士火山地質図 第2版(Ver.1) Geological map of Fuji Volcano, 2nd Edition (Ver.1) 高田 亮・山元孝広・石塚吉浩・中野 俊 Akira Takada, Takahiro Yamamoto, Yoshihiro Ishizuka and Shun Nakano 内容紹介: この研究資料集は、産総研地質調査総合センター(当時は地質調査所)から発行された富士火山の地質図(津屋、1968)を全面的に改訂する地質図である。社会や学界などからは最新知見に基づく富士火山全域をカバーする詳細な地質図の早急な公表を求められてきた。そこで第一段階として、ほぼ全域の地質図及び凡例を電子ファイルとして作成、研究資料集として登録し、公開することとした。ただし検
宝永大噴火(ほうえいだいふんか)は、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の噴火である。2024年現在、富士山の噴火としては最も新しいものであるとともに、記録が残されている10回の中でも最大のものとされる[3]。噴火は約2週間続き、総噴出量は、約0.7 km3 DREと推定されている[2]。火山を専門とする分野では単に「宝永噴火」と書く場合が多い[4][5]。 噴火による直接の死者は記録されていないが[4][6]、噴煙から降下したスコリアや火山灰による火災やそれらの急激な堆積などで、主に富士山から東側の地域で甚大な被害が発生した[3]。 概要[編集] 南から見た富士山の宝永火口、火口の位置:1(第一火口)、2(第二火口)、3(第三火口)、4(宝永山) 宝永火口・宝永山 宝永大噴火は、富士山の三大噴火の一つであり、他の二つは平安時代に発生した「延暦大噴火(800年 - 802年)
湘南の大人達の週末の過ごし方を考え、提案する、毎週金曜日16時から19時まで放送中の湘南ビーチFMの番組「T.G.I.F.」のブログです! by sbfmtgif
2024年の大会開催概要の発表について ウルトラトレイルマウントフジ実行委員会事務局は2024年に開催します大会の開催概要を2023年10月1日に発表いたします。開催概要につきましては大会公式サイトにて発表するほか、下記の日程で公式 YouTube LIVEで…
東京から見る富士山東京都心から富士山までの距離はおよそ100キロ。かつて高い建物など無かった時代、晴れた日には坂の上や高台から綺麗な富士山を日常的に見ることが出来たという。江戸の庶民はその風景を愛し、そのような坂や高台に「富士見」という名を冠した。「富士見坂」「富士見台」「富士見橋」「富士見町」・・・。江戸から明治、大正にかけて名づけられたこれらの地名、残念ながら現在ではその殆どは間に高層ビルが建ってしまい富士山は見えなくなってしまったが、高層ビルの展望台や公園など、都内各所には今でも富士山の見える場所は幾つも残っている。特に空気の澄んだ冬の朝晩や台風の後の快晴の日など、驚くほど綺麗に見えることがあるので、チャンスがあったら出かけてみてはいかがだろう。 荒川の土手(千住新橋付近) ほかの(殆どの)場所と違い、この荒川土手は今でも高いビルなどに登らずに、地面から直接富士山を望む事が出来る、今
【資料1】『図説歴史で読み解く東京の地理』、東京にある富士塚の分布図がある。【資料4】『東京路上博物誌』の図を元にしている。 【資料2】『図表でみる江戸・東京の世界』、江戸時代・明治以降に築造された富士塚と壊された富士塚の分布図がある。 【資料3】『江戸東京富士塚めぐり 富士塚のある社寺歴訪』、巻末に一覧表あり。 NDC 日本 (291 9版) 民間信仰.迷信[俗信] (387 9版) 関東地方 (213 9版) 参考資料 【資料1】『図説歴史で読み解く東京の地理』正井泰夫監修 青春出版社 2003年 2913/1034/003 (p.55) 【資料2】『図表でみる江戸・東京の世界』東京都江戸東京博物館学芸課展示係編 東京都江戸東京博物館 1998年 M3624/TO-3/112 (p.69) 【資料3】『江戸東京富士塚めぐり 富士塚のある社寺歴訪』百目鬼喜久男著 2004年 1631/2
……暑い。9月になってもまだ暑い。ようやく朝晩は涼しくなってきたものの、むあっと蒸す昼の暑さは相変わらずで、ホント嫌になる。 あまりに長くそんな日が続くので、私はいてもたってもいられず富士山へ向けて原付を走らせた。そう、洞窟に入る為に。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:80年前のモダニズム「サヴォア邸」を見に行った > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter
8月の頭に海と富士山の山頂を24時間以内に往復するマラソン大会に参加してきました。 今回はその大会のレポートです。暑くて景色が良くて楽しい大会でした。 1972年生まれ。元機械設計屋の工業製造業系ライター。普段は工業、製造業関係、テクノロジー全般の記事を多く書いています。元プロボクサーでウルトラマラソンを走ります。日本酒利き酒師の資格があり、ライター以外に日本酒と発酵食品をメインにした飲み屋も経営しているので、体力実践系、各種料理、日本酒関係の記事も多く書いています。(動画インタビュー) 前の記事:バック転を出来るようにしてくれる教室 > 個人サイト 酒と醸し料理 BY 工業製造業系ライター 馬場吉成 website
いちおう、登ってきました。 7月15日(日)は、海抜0mから富士山の様子を見てきました。 出発まで お気に入りの山のスケールを全身で受け止める方法のひとつとして、海抜0mから人力で山頂を目指す手段がある。 そろそろ海から富士山を目指してみたい。 天気が気になるところだが、連休中日の7月15日、温めていた計画を実行することとした。 写真 出発から4時間半、五合目のバリケードに自転車をくくりつけて登山開始。 五合目はまるで町のような賑わいを見せていた。 山頂の石碑。強風と霧雨で修行のようだった。 岩陰に隠れて強風をしのぐことができた。 出発から12時間半、田子の浦港に戻ってきた。 記録 2012年7月14日(土) 20時に自宅を出発、4月に開通したばかりの新東名高速道路を走る。夜なので景色はわからないが、走りやすさは新名神高速道路並みでトンネルが多いとの印象。 清水から東名高速への連絡道を通っ
冬に走った時(自転車で富士山をぐるっと回ってきた。 - かくいうもの)にここは夏に走りたい、と思ってたけどいつの間にか季節は夏から秋にするっと移行し始めていて、これはイカンと慌てて自転車を輪行袋に詰めて家を飛び出した。9月のある日の午前5時前。気まぐれな太陽が、最後の夏のあがきとばかりに日射しを燦々と注ぐ中、自転車で富士山を一周してきた。 あけ始めの新宿の空はほのかに赤く染まり、白い月がそっと輝いていた。 電車でGO。 新宿→(小田急線)→新松田→(徒歩)→松田→(御殿場線)→御殿場。8時着。のんびり自転車を組んで。ロッカーに荷物を放り込み。さて、行こうか。 山中湖に1時間半ぐらいかけて到着。富士山は雲に隠れて見えず。。 基本的にずっと登りなので結構しんどい。前回走らなくてよかった。。 河口湖でも富士は拝めず。しっかし天気はいい。気持ちよくてたまらん。 西湖の脇を抜けて樹海方面へ向かう途中
東日本大震災に伴う地殻の変動で、東京・永田町にある「日本水準原点」が沈下した可能性が出ている。全国のあらゆる標高の基準になっていることから、例えば富士山の高さ(3776.24メートル)も微妙に変わってしまいかねない。正確な基準は震災復興にも欠かせないため、国土地理院は再測量の作業に入る。 国土地理院は震災後、衛星利用測位システム(GPS)で全国の水準点を観測し、東北から関東地方の広い範囲で沈下を確認した。宮城県の牡鹿半島では観測史上最大の1・2メートルの沈下を記録。首都圏でも沈下したことが分かっている。 水準原点は10分の1ミリの精度が必要なためGPSでは観測できないが、国土地理院は「周辺の状況から沈下した可能性がある」(測地基準課)とみている。 水準原点は油壺験潮場(三浦市)で観測する平均海面を標高0メートルとして導き出している。「復旧測量」と呼ばれる再測量は、標尺や計測機器を使う
冬だけど。 水曜日の時点ではまだ週末には豚汁でも作ってのんびり過ごそうかと考えていた。と、同時に疼くものがあるのを感じてもいた。どこか、どこかまだ走ったことのない道を走ってみたい、そう思い出すと、走りに行かざるをえない。もうそういうふうに出来てしまっている。木曜日。ふつふつと俄に沸き上がってくる思いが確信に変わり一日中考えるのは自転車のことばかり、それでもまだ行き先は決まっていない、そんなときに、またあの本を手にしていた。迷える子羊のためのガイド本。 丹羽隆志の日本ベストサイクリングコース10〈vol.1〉 作者: 丹羽隆志,菅原栄出版社/メーカー: 東京地図出版発売日: 2009/03メディア: 単行本購入: 34人 クリック: 690回この商品を含むブログ (11件) を見る プランAはとりあえず来年に先送りした。で、あればだ。自動的にプランBが繰り上げ当選なわけで。 金曜日、会社から
海抜0mから富士山日帰り往復 【日時】2010年7月19日(月) 【コース】 太平洋 駿河湾 田子の浦(0m)〜新五合目〜富士山頂上 剣ヶ峰(3776m) 【メンバー】 野人(単独) 山スキーで知り合ったがTOKKENさんが3年前に実行され、とても衝撃を受けた海抜0mから富士山日帰り往復。 今回、自分もやっと念願叶って、この3年間の想いを現実化できました。 7月17日 夜倉敷を出発。 新名神から伊勢湾岸道経由、愛知県のパーキングで途中仮眠。 7月18日 7時頃からおもむろに起床。8時頃出発。 11時頃、田子の浦到着。暑い。 自転車で走るルートの下見と涼しい昼寝場所確保の為に富士山に向う。 冨士山スカイライン(県道180)標高1200m付近の西臼原のキャンプ場横の空き地で夕方まで昼寝。 夕方目が覚めて、行動食の買出しもあり里に下りる。 22時過ぎに田子の浦港の駐車場所に行き
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く