タグ

ブックマーク / yonezawakoji.com (246)

  • 衆楽園遊郭(鳥取県鳥取市)|おいらんだ国酔夢譚|

    鳥取市の遊郭-その名は「衆楽園」鳥取という名前は、平安時代の文献にも名が出てくるほど古いのですが、現在の鳥取市の基礎が築かれたのは江戸時代のことになります。 元和3年(1617)、池田光政が因幡・伯耆32万石を与えられ、鳥取に根拠を置いたことがはじまりで、池田は数年の時間を費やし鳥取を城下町として整備し発展しました。その後、光政の遠縁の池田光仲が岡山藩から赴任、幕末まで続きました。現在でも市内には鳥取城が残っています。 鳥取にあった遊郭、「衆楽園」は、その池田氏と関係があります。 衆楽園とは、元はというと池田氏の庭園(下屋敷)でした。岡山には「後楽園」がありますが、衆楽園はその姉妹版といって良いでしょう。戦前の新聞記事(鳥取新報)にもそういうルーツがあると書かれています。 その下屋敷が、明治4年の廃藩と共に、士族の小倉直人という人物に払い下げられます1。小倉は米子城も買い取るのですが、それ

    yaneshin
    yaneshin 2020/06/10
  • 神戸に残る機銃掃射の弾痕①−神戸市立博物館

    神戸市立博物館に残る戦争の跡神戸の中心地、三宮の旧居留地の中心にある市立博物館の建物は、もともと横浜正金銀行神戸支店として昭和10年(1935)に竣工しました。戦後も銀行として使われた後、神戸市が使用することになり、現在に至っています。 銀行と戦争…一見何の関係もなさそうです。少なくても遠目で見ていれば…。 建物を間近で見てみると、あることに気づきます。 なにやら壁にシミのようなものが… アップしてみると、孔あなを何かで埋めた修繕の跡が見られます。 これ、実は飛行機の機銃掃射の跡なのです。 博物館の正面には、数多くの銃痕の跡が、かなり生々しく残っていますが、銃痕だと意識しないとただの「シミ」にしか見えません。 が、これは明らかに街の真ん中に残る戦争の跡なのです。 市立博物館の銃痕を細かくチェックしていくと、正面向かって右側に銃痕が集中していることがわかります。左側にはほとんどありません。飛

    yaneshin
    yaneshin 2020/06/08
  • JR三ノ宮駅に残る戦争のあと−『火垂るの墓』と機銃掃射

    70年後も残る戦争の疵神戸大空襲や終戦からすでに70年を過ぎ、戦争は過去の棚で眠りにつくことが多い出来事です。さらに1995年の阪神淡路大震災で、神戸が多大な被害を受け建て替えなどが進んでいます。 阪神淡路大震災でも24年経ち疵を探すのは困難になってきたのに、70年前の空襲の跡なんてさすがにもうないだろう…。ところが、その跡が残っていたりするのです。それも、意外すぎるほどの場所に。 JR三ノ宮駅JR三ノ宮駅は、戦前から特急『燕』などの優等列車が停車する鉄道の要衝でした。 三ノ宮界隈が人とモノの中心地になるのは、戦前は神戸駅・新開地にあった市役所や繁華街がこちらに引っ越してきた戦後のことですが、戦前の三ノ宮駅は神戸港発着の国内・国際船のアクセス駅として、大いに賑わいました。 当時の海外渡航は船がメインだったため、空港のターミナル駅のようなものと思えばいいでしょう。「ターミナル駅」を名乗るに

    yaneshin
    yaneshin 2020/06/06
  • あの会社が…倒産して今はないゲーム会社たち

    自分史はすなわちゲームと共にあり。ゲームをすれば寝を忘れ時間を忘れ、そして我を忘れたゲーム少年でもありました。 現在ゲームをやることはないですが、たまにレトロなゲームが置いてあるゲーセンなどに行くと、やはり時間を忘れ夢中になっています。 こんな有様なので、プレステなどゲーム機を買うと途端に生活に支障が出てしまうのは明白。「やらない」というより「封印中」と表現した方が正解です。 そのきっかけは、やはりファミコン。 ファミコンの発売日も、スーパーマリオの発売日も覚えている、さらに初代ドラクエの発売日にお札を手に持ちおもちゃ屋へ走った世代。 我が人生、ファミコンと共にあり。そういう意味では、私の人生、いや日の子供数千万人の人生を狂わせたファミコンの罪は深い。 今まで市場で販売されたゲームの種類は、それこそ神のみぞ知るの数量になります。自分ではかなりの数のゲームをやったつもりですが、実際は氷山

    yaneshin
    yaneshin 2020/06/04
    懐かしいゲームだらけですね。
  • ファミコンの名ゲーム 高橋名人の冒険島

    ファミコンを飾った名メーカー ファミコンの隆盛は、ゲームメーカーの百家争鳴の時代でもありました。ナムコ、コナミ、エニックスにスクウェア…挙げていくとそれこそキリがありません。 その中に、ハドソンというメーカーがありました。バンゲリング・ベイから始まり、桃太郎電鉄やボンバーマンなど、数々の名作を世には放った名メーカーであります。世に言うクソゲーをさほど出さなかったことからも、制作陣の優秀さがわかります。 ハドソンはまた、「ファミコン絶対殺すマシーン」ことPCエンジンの生みの親でもあります。 PCエンジンってNECじゃなかったっけ?とお思いでしょうが、開発はハドソンです。が、技術者集団で販売ルートがなかったハドソンが、ルートとPCのブランド力を持つNECブランドで販路に乗せたというわけなのです。まあ、ハドソンが真正面から売ったら任天堂の逆鱗に触れてしまう…という大人の事情のもあるでしょうね。

    yaneshin
    yaneshin 2020/06/03
  • 『千と千尋の神隠し』を遊里史の視点から考察する

    二人で顔を見合わせて笑ったという話を、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で鈴木氏が述べていました。第三者の想像ではなく、関係者人の証言。この映画には何かメタファー、隠された仕掛けがあるのではないかと、思わざるを得ません。 そんな隠れたメッセージ…一遊里史探偵が見た『千と千尋の神隠し』とは。 『千と千尋の神隠し』と遊郭この映画のストーリーを超簡単に説明すると。 「『不思議な世界』に迷い込んだ千尋と両親。ふとしたことで両親がブタにされたので、千尋が両親を助けるために『油屋』という銭湯で働く」 というもの。 この映画の主な舞台になる「油屋」を改めて見てみると… 遊郭やん!! 私の直感がそう叫びました。 この赤い外壁は、遊郭の妓楼(遊女屋)の象徴。はるか昔の遊郭にあった大妓楼は、こんな感じだったと言います。また、「油屋」の前にある灯篭も赤。夜になった時の灯篭の明かりは、赤とは言わないけどち

    yaneshin
    yaneshin 2020/05/31
  • 大阪府立難波病院-その病院、訳ありにつき

    遊郭と性病遊郭…かつての合法的な売春街…と言ってしまえば男の天国、無味乾燥な性欲の掃きだめですが、遊郭には実は様々な役割がありました。 一つは「犯罪者ホイホイ」。男というものは、大金を手にしたり、犯罪のような大きなことをすると、何故か女のぬくもりが恋しくなる変な習性があるそうです。「大きなこと」をすると母親の懐(母胎)に戻りたくなるのでしょうか。 ウソ!?と思われるかもしれませんが、江戸時代の吉原遊郭の設立理由の一つにそれが挙げられているし、戦前のベテラン女郎や遣り手、娼婦はそういう人間、犯罪者やヤクザなどを嗅ぎ分ける独特の嗅覚を持っていました。 一発ヤってぐったりしている男の耳元で、女がささやきます。 そのままトイレヘ…行くふりをして遣り手か1階の楼主に報告、臨検という名目で警察が踏み込み男は御用。廃娼論が湧き上がっても遊郭が成立していたのと、私娼窟が「性病検査だけちゃんと受けてや」とい

    yaneshin
    yaneshin 2020/05/28
    大阪急性期・総合医療センターにこのような歴史があったとは思ってもみませんでした。今では大阪の基幹病院としてなくてはならない存在ですね。
  • 禁煙うつ…知られざる禁煙の障壁

    禁煙する人が挫折する期間の中で、最も多いのが最初の3日間。挫折率がいちばん高いだけあって、この3日間は地獄と言って良いほどの苦しみを味わいます。 心が真っ二つに折れそうな気分に陥ります。 私が経験した『地獄』は、 恐ろしき禁煙禁煙をしていると、ある日突然気分が憂になり、動けなくなったり、人によっては自殺願望まで起こることがあるそうです。 これを「禁煙」と言います。 禁煙は、医学的に認められているわけではなくただのネット用語です。が、「禁煙」で検索すると山ほどサイトやブログがヒットする現実があります。医学では認められなくとも実際に存在します。この禁煙が、禁煙のためのいちばん辛い壁かもしれません。 禁煙は、大なり小なり2回ほどやって来ることが多いです。 1回目は禁煙して1~5日目。この期間の禁煙の辛さで心身ともに叩きのめされるので、程度の差こそあれプチくらいにはなるかなと思いま

    yaneshin
    yaneshin 2020/05/27
    煙草は個人的にはもともと喘息持ちで最初から避けていたので、禁煙の苦労とは無縁でした。周囲は吸う人ばかりだったので受動喫煙はすごかったと思いますが。
  • なんばパークス南で謎の遺跡が!その正体を追う

    大阪の難波にある「なんばパークス」の南端、少し前の記憶がある人は大きな平面駐車場として覚えている人がいるかと思います。もっと具体的に言えば、「ヤマダ電機LABI1なんば店」の横、南海電車との間のスペースです。 そこに、タイ資の「センタラグランドホテル大阪(仮称)」が作られるようです。 出典:難波中二丁目における開発について 去年10月、このホテルの建設工事が始まり、基礎固めのために地面を掘ってみたところ、おそらく誰も予想もしなかった意外なものが「発掘」されたことを覚えている方はいるでしょうか。 画像提供:【速報】再開発しているなんばパークス南端から謎の遺跡が出土……(207様ブログ) なんじゃこりゃ!!! 空の上から松田優作の有名なセリフが聞こえてくるような「遺跡」が。それも町のど真ん中に…。 果たしてこれは何時代のものか、いつのものか…江戸時代?いや平安時代か、いや数万年前の超古代文明

    yaneshin
    yaneshin 2020/05/26
  • 養命酒提督と山本五十六

    陸軍と海軍 その大きな違い近代史や軍制史に疎い人は、陸軍と海軍を「日軍」として一緒くたにまとめてしまうことが多いですが、これほど危険なことはありません。 陸軍と海軍は、これが同じ日で隣り合わせだった組織だったのかと思うほど、全くの別人格でした。陸軍はプロシアドイツ)陸軍、海軍はイギリス海軍がベース。そこから生まれる社風ならぬ「軍風(?)」も全く違ってきます。 戦争中のこと、海軍が軍艦で陸軍の将兵を輸送していました。 陸軍将校は海軍士官室で待機だったのですが、ある将校が部下の下士官を呼び寄せました。 士官室にやってきた部下は、士官室に入るや否や直立不動で敬礼。 じゃあ海軍式を教えてやるよと、士官が部下の下士官を呼びつけました。 その後すぐ、ドアをノックする音がし開いたかと思ったら、顔だけニョキッと出し、招きのような軽い敬礼をして一言。 「分隊長、呼びました?」 「中隊長(陸軍)」と「

    yaneshin
    yaneshin 2020/05/23
  • 【閉業しました】別府の旅館すずめに泊まるっ!(大分県別府市)|おいらんだ国酔夢譚 番外編|

    今回の主役、「すずめ」はそんな小路(こみち)の一角にあります。 「すゞめ」の入り口です。ごく普通の旅館といったところです。元赤線だからといって特異なところは見当たりません。 実は、次の日はお隣の「ちとせ」に宿泊し「はしご」しようとしたのですが、私が訪問した頃は満室で泊まれずでした。 宿のお母さんは昭和13年(1938)生まれの御年80歳以上、物腰が柔らかい方であります。10数年前にご主人が亡くなってからは、お一人で宿を切り盛りされています。電話では少々素っ気ない感じがして、大丈夫かな!?と少し心配になったのですが、ただの杞憂に終わりました。 なお、ここの正式名称は「すゞめ」です。が、「ゞ」を入力するのが面倒くさいのと、CEO対さ…ゲフンゲフンにつき、以下「すずめ」とします。 (『別府市住宅案内図』昭和29年より) 赤線現役バリバリの頃の住宅地図を紐解くと、この時期にはすでに「すずめ」が存在

    yaneshin
    yaneshin 2020/05/23
  • 天牛堺書店の破産 思い出に捧げる鎮魂歌

    これだけでも十分ショッキングなニュースだったのですが、この記事を書いていた当時の私はまだ知りませんでした、これはただの序章に過ぎなかったことを。 日さらにショッキングなニュースが、Twitterのタイムラインを通して駆け込んできました。 復活の芽は残した倒産ではなく、それすら潰えた破産です。さようなら津久野店と手を振って別れを惜しんだ数ヶ月後、インクの乾かないうち…ではないや、キーボードの感触が残っているうちにこんな事態になろうとは。 津久野店閉店を知った時は、仲が良かった小学生のクラスメートの死の報告を風のうわさで聞いたような感覚だと以前の記事に書きましたが、今回はその土台すらなくなってしまった…母校が急に廃校になるような感覚に似ているかもしれません。 天牛堺書店は大阪一円に店舗を構えていた書店チェーンでした。大阪以外に店舗がないので、大阪以外の人には馴染みがないと思いますが、逆に言え

    天牛堺書店の破産 思い出に捧げる鎮魂歌
    yaneshin
    yaneshin 2020/05/22
  • 砂川遊園・砂川奇勝【阪和線歴史紀行】

    阪和線の和泉砂川駅です。ここまで来ると大阪といってもかなりの南。和歌山県に片足突っ込んだ、静かな住宅地の町でもあります。 和泉砂川駅は、この駅舎の形に特徴があります。この赤い屋根の駅舎は阪和線が私鉄だった頃そのままの姿を残していて、数少なくなった阪和電気鉄道時代の残照でもあります。 JRの割には駅と駅との距離が短いのも私鉄時代の名残なのですが、和泉砂川駅のような赤屋根の駅舎もその名残の一つです。 関西に限ったことではないですが、鉄道会社は集客のために沿線に遊園地を作り、乗客数を増やす経営方針を採っていました。関西大手私鉄の場合、以下の遊園地を作っていました。 ・南海:「みさき公園」「狭山遊園」 ・近鉄:「生駒山上遊園地」「あやめ池遊園地」「玉手山遊園地」 ・阪急:「宝塚ファミリーランド」 ・阪神:「甲子園阪神パーク」 ・京阪:「香里遊園地(現ひらかたパーク)」 以前は各私鉄が持っていた遊園

    yaneshin
    yaneshin 2020/05/19
    あのネズミさんは100%勝手に使ってたと思います。(笑)
  • 玉ねぎのことならタマネギ農家に直接聞いてみよう!

    「玉ねぎアイランド」こと淡路島は現在、玉ねぎ収穫の真っ盛り。先週・先々週がピークで、6月中旬に入ると次はお米と畑に水を引く姿が目立ち始めています。淡路島は気候的に三期作が出来るので。 そろそろ淡路島に、玉ねぎ購入のための他府県ナンバーが増えてくる頃と言います。私が淡路島に住んでいた頃には、西は四国どころか九州、東は尾張小牧や石川ナンバーまで見かけたので、5月下旬~夏の淡路島を走る車のナンバーを見るのも淡路島観光の愉しみでもあります。えらい遠いとこから旅行に来たんやな…いえいえ、タマネギ買いだしかもしれません(笑 島内だけでなく、私のネット上の周囲も玉ねぎわせろだ、玉ねぎ送れだうるさすぎて、淡路島の形自体が最近玉ねぎに見えてきた。あかん、もう「淡路島病」という疾患かも。 淡路島には玉ねぎの直売所がいくつもあるのですが、ある日、下の店を訪ねました。 何の変哲もない玉ねぎの直売所です。が、ピン

    yaneshin
    yaneshin 2020/05/16
  • 淡路島の幻の飛行場、その名は○○

    現在、淡路島には民間飛行場を含めた空港は存在していません。 が、現在は関西空港を発着する航空機の主要ルートになっており、管制塔の交信をネットで聞いていた時も、「アワジ」という声が頻発されていました。 空を見上げると時折、我が家の真上を飛行機が飛んでいることもあります。 そもそも、関西空港は淡路島に作る計画もあったという話を聞いたことがあります。 が、淡路島に関空ができたらできたで、市街地から遠すぎて利用者は不便極まりなかったろう。 実際に島に住むと感じます。 そんな淡路島にかつて、空港が存在していた…知っている人は島民でもあまりいません。 さもありなん、存在した期間は戦争中、それも1年にも満たなかったから。 淡路島の飛行場-その名は○○戦争一色となり日常生活も緊迫の度を増した昭和18年(1943)、陸軍より、阪神地区防空用に淡路島に飛行場を建設せよという命令が下されました。 翌年4月より建

    淡路島の幻の飛行場、その名は○○
    yaneshin
    yaneshin 2020/05/16
  • 上海「日本租界」散歩 先人たちの跡を訪ねて 第三章

    10数年前、私は仕事の都合で上海に住んでいました。仕事の激務でプライベートはほぼなかったに等しいのですが、それでも上海だからこそ出来る「旧日租界を歩く」というライフワークがありました。 「租界」とは金で異国の土地を買い、事実上の領土とした土地で、「植民地」「租借地」とはまた違うジャンルの土地所有です。日史では、横浜や神戸などにあった「外国人居留地」が近いですが、またちょっと違うかなと。 中国には各都市に各国の租界があったのですが、それが都市によっては複雑に入り組み、中国の利害も絡んで中国カオス時代を演出する一つの舞台装置でした。 (コトバンク『租界』より) 上海にも例に漏れず租界が存在していました。いや、上海は「租界都市」と言っていいほど、租界から始まり租界をベースに発展した都市でした。 そこにはイギリス・アメリカ・フランスの租界が存在しており、中国の官憲が入れない「国の中の外国」でし

    上海「日本租界」散歩 先人たちの跡を訪ねて 第三章
    yaneshin
    yaneshin 2020/05/12
  • 京大はなぜ変人を生むのか-その理由を考察する

    京大はネームバリューこそあれど、その割には関西出身の学生が多く、アンサイクロペディアには「関西地方最強最大のローカル大学」と皮肉られています。 学校別京大合格者2022年 https://www.taishigakuen.co.jp/shinro/2018kyodaigoukaku/よりしかし、2022年の出身校別京大合格者ランキングを見ると、ほとんどが関西の高校なのでまんざらでもない。。。か。 それだけ関西ローカル色が濃いと、やはり京大の文化も好き嫌いにかかわらず関西色にならざるを得ない。そんな関西文化から見える京大の「変」さとは。 ①いちびり精神「いちびる」という関西弁があります。おそらく関西以外では全く通用しない関西弁の一つですが、意味は以下の通り。 「ぶぶ漬けでもどうどす?」でお馴染みの、京都のオブラート…ではなく生八ツ橋にくるんだエグい皮肉に、大阪人のボケとツッコミ。関西は「いち

    yaneshin
    yaneshin 2020/05/08
  • あなたの知らない京都大学の「狂大」な世界

    東大と京大京都大学こと京大は、くどくどと説明が不要なほどの日の大学の双璧、そして永遠のライバル(?)として、東大とよく比較されます。 しかし、同じ国立大学ながら校風が全く違うことも、よく知られています。漠然としたイメージでは、お硬い東大にイカれた京大、とこんな感じかもしれません。 「秀才養成所東大。変人養成所京大」 戦前の帝国大学時代から言われてきたという言葉です。口の悪い人は、「狂徒大学」という人もいます。 私が感じた東大と京大の大きな違いは、15〜6年前に「観光」で京大へ行った時のこと。 広い大学、特に伝統のある大学のキャンパスめぐりは、ちょっとした観光です。敷地が大きな大学になると、キャンパス案内の地図が必要なことがある上に、建物の歴史などが書かれたガイドブックがあると、「観光客」としては嬉しい限り。 京大は、公式HPにそれがあります。PDFになっているのですが、それはつまり印刷し

    yaneshin
    yaneshin 2020/05/04
    究極のフリーダムで試されている感じですね。
  • 上海「日本租界」散歩 先人たちの跡を訪ねて 第ニ章

    戦前は熙華路(Seward Road)と呼ばれた長治路あたりも昔の建物がよく残り、 租界時代の住宅地の名残をよく留めています。 約20年前、放浪の旅の途上で浦江飯店に滞在しこの道は毎日のように通っていたのですが、改めて通ると昔は宝の山を目の前にして宝の価値がわからない故に見逃していたことがわかりました。 無知なのは決して悪くはない。が、無知を自覚しながら無知を続けるのは愚かなことであります。 長治路を何気に歩いていると、武昌路との角になにやら気になる建物が。 見事な赤レンガ造りですが、上海にはよくある洋風の建物であり特に目立つということはありません。似たような建物は回りにけっこうあるのですが、どうも自分の直感が何かあるとしきりにサインを送っている・・・。 「上海歴史ガイドマップ」を紐解いてみると、ここは大日航空会社のオフィス跡とのこと。 大日航空会社とは何か。 1939年(昭和14年)

    上海「日本租界」散歩 先人たちの跡を訪ねて 第ニ章
    yaneshin
    yaneshin 2020/05/04
  • 上海「日本租界」散歩 先人たちの跡を訪ねて 第一章

    序章-日租界とは何か 戦前の中国上海。 東洋でありながら西洋の街をコピペしたような華やかな表の世界と、スパイと秘密警察、アヘン商人が暗躍する裏の世界。 光と闇が紙一重に混在するこの都市を、人は「魔都」と呼びました。 当時の上海は、海外の事実上の植民地であった「租界」と、中国でありながら西洋人から「チャイナタウン」と呼ばれていたそれ以外の土地に分かれていました。 「租界」はイギリス・アメリカが共同で管理する「共同租界」と、フランスが単独で管理する「仏租界」に分かれていましたが、共同租界の一角に、日人が多く移住し、まるで日の租界のような所だというところから、誰が呼んだか 「日租界」 と呼ばれていた区域がありました。 「日租界」の場所は、当時の上海一の繁華街であった南京路(現南京東路)の北に流れる呉淞江という川を渡った場所に広がっていました。 在りし日の上海を訪ねる時の必須が、「上海

    上海「日本租界」散歩 先人たちの跡を訪ねて 第一章
    yaneshin
    yaneshin 2020/05/01