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三笠宮に関するyosi0605のブックマーク (3)

  • 日本人としての内省~三笠宮文書を読み直す(江川紹子) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    三笠宮崇仁さまが亡くなられた。昭和天皇の末弟で、お年は100歳。新聞各紙の評伝には、陸軍将校として支那派遣軍総司令部に勤務されていた戦時中、戦争や軍部を批判し、平和を願い続けていたことが書かれている。 いったいどのような批判をされていたのか。それを軍部はどう受け止めたのか。あるいは、戦後、ご自身の過去はどう振り返られていたのか……。これを機に、三笠宮さま自身が書かれたり語られたりした資料を読んでみた。(以下敬称は略す) 若杉参謀による講義録まずは、各紙が紹介している「支那事変に対する日人としての内省」と題する文書。付属資料も含めて40ページあまりで、「若杉参謀」の名前で書かれている。三笠宮は「お印」が若杉であることから、このコードネームで呼ばれていた。 月刊誌「THIS IS 読売」1994年8月号掲載のインタビューで、三笠宮はこの文書は付録の資料も含めて「確かに私が書きました」と述べ、

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  • 南京虐殺は“人数に関係はありません”のお立場「三笠宮殿下」(全文) | デイリー新潮

    「週刊新潮」の発売前日に速報が届く! メールマガジン登録 デイリー新潮とは? 広告掲載について お問い合わせ 著作権・リンクについて ご購入について 免責事項 プライバシーポリシー データポリシー 運営:株式会社新潮社 Copyright © SHINCHOSHA All Rights Reserved. すべての画像・データについて無断転用・無断転載を禁じます。 12月2日に100歳を迎えられた「三笠宮崇仁親王殿下」で思い出されるのは、皇族らしからぬ「斬新なお言葉」の数々である。例えば1956年に上梓された『帝王と墓と民衆』(光文社)に付された『わが思い出の記』の中で、1年間ご赴任された南京で見聞した日軍の行状をこう嘆かれている。 〈一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいもつかない結果を招いてしまった〉 〈内実が正義の戦いでなかったか

    南京虐殺は“人数に関係はありません”のお立場「三笠宮殿下」(全文) | デイリー新潮
  • 「罪もない中国の人民にたいして……」100歳を迎えられた三笠宮殿下の“斬新なお言葉”集〈週刊新潮〉 (デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

    明治以降の皇族方では最長老の「大(おお)殿下」こと三笠宮崇仁親王殿下が、12月2日に100歳を迎えられた。戦後、軍人から学者へと転じた昭和天皇の末弟は、まさに激動の一世紀と向き合われてきたのだが、そこで思い出されるのは、皇族らしからぬ「斬新なお言葉」の数々……。 *** 数年前から心臓の弁に異常がみられた三笠宮さまは、2012年6月、長男の寛仁親王の葬儀に参列された翌日に体調を崩して入院。「血性心不全」と診断され、手術を受けられたものの、現在は92歳になる百合子妃ともども、元気なお姿を見せられている。 11年10月にご結婚70年を迎えた際には、次のような「ご感想」を寄せられていた。 〈結婚のとき、私は陸軍大学校の学生だった(中略)間もなく戦争となり、厳しい生活が始まった。陸大の研究部部員を務めた後、私は支那派遣軍総司令部の参謀として南京に赴任した〉 〈帰国後、大営の参謀などを

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