思い出したので書いておくと、私は長い間ずっと、自分がおかしな人間だと信じ込むことによって人格の同一性を保ってきた。そうすることが、いちばん他者との違いを認識できるからだ。「わたしはあなたとは違う」ということを、私は極端な形で表出することによってなしてきた。 それはたとえば、奇抜な服装であったりとか、奇妙な文章であったりとか、あるいは希有なキャリアであったりする。 けれども逆説的に、何をなしていても常に、私は自分がそうした人間ではないということを強く確信することになった。つまり、極端な方向へ進むたびに、私はそうした極端な人間ではないということを自覚させられてきた。けれど、ずっとそれを認められずにこれまできてしまった。 私がなぜこうした構造によって自我を保つようになってしまったのか、定かではない。それはたとえば、母親による緩やかなネグレクト*1であったりとか、極端な環境に育ったことに起因するの