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ブックマーク / tamanoir.air-nifty.com (4)

  • 劣悪な鑑賞者——トラックバックにお答えして I. - 大蟻食の生活と意見

    トラックバックまでいただいたので、そこを足掛かりに、例の「劣悪な鑑賞者」の問題をより詳しく論じてみよう——一口で言ってしまうなら、事はそれほど単純ではない。 まず問題になってくるのは理解度だ。 この問題を持ち出すと、必ずと言っていいほど、鑑賞者は創作者の意図通りに作品を読み解かなければならないのか、という反論が出てくる。今回トラックバックを下さった方もその一人だ。これに対しては、こちらから一つ疑問を呈しておこう——作品を正確に理解するとは、創作者の意図通りに理解することなのか。 もちろん違う。何故なら、鑑賞者の前にあるのはただ作品だけであるからだ。その段階では創作者が何を言ったとしても、作品に加えられた多くのコメントのひとつに過ぎない。作品を前にして創作者の意図を汲むなどという試みは全くのナンセンスだ。 ただし、作品の同一性は厳然として存在する。鑑賞者Aと鑑賞者Bの前にある作品が同じ作品で

    劣悪な鑑賞者——トラックバックにお答えして I. - 大蟻食の生活と意見
  • 佐藤亜紀 日記: 2009.3.29

    ごく一握りの誠実で有能な方を除いて——と言うことにしておこう、皆無と言う訳じゃない——現在日で文芸評論家として活動している人間は、概ね二種類に分けられる。チキンと、無能者だ。まあ文芸評論などというのは小説以上にえないから、出版社のお覚えを損なわないよう、業界の爪弾きにならないようチキン化するのは理解できないこともない。しかし無能者と言うのは! 読解し論じるスキルなぞ努力次第で使える水準まで上げることも出来ように、それを怠っているというのは、これはもう犯罪である。 だから文芸評論は使えないと作家に言われるのだ。チキンや無能者の評論を反省の種にする馬鹿はいない。評論と実作の間の良きフィードバックなぞ、勿論望むべくもない。 では仲俣暁生氏はどちらであろうか。ブログに載せていた2009年のベストを見る限り、チキンであることはほぼ間違いない。立派な御用評論家ぶりだ。ではスキルの方はどうか。 20

    佐藤亜紀 日記: 2009.3.29
    yuco
    yuco 2009/04/05
    このイベント行ったわ。ジュンク堂池袋店だったかな
  • 大蟻食の生活と意見 日記 : 2008.10.10

    宇野常寛「ゼロ年代の想像力」読み中。連載中に読んだのだが、「小さな成熟」に至って凄まじい徒労感を感じ、なかったことにしていたのだ。大幅書き足しをしたようなので何か変わったかと思って買ったのだが、いやもう、そういう問題じゃないね。 宇野氏にしても、宇野氏が目の敵にする東浩紀にしても、結局やっていることはB級グルメである。B級と言ってもどこぞの商店街の肉屋さんのコロッケがうまい、とかそういう、昭和の御代の低回趣味的なB級グルメではなく、すかいらーくとかデニーズとかの話だ。それはまあそれで面白くないこともないのだが、すかいらーくやデニーズを論じることだけがを論じることだと言い始めるからおかしなことになってくる。東氏は歴史的な事例を完全に度外視することでそう言う奇形的な議論を成立させようと試みるし(一遍、ファミレスの調理の革命性を熱く語る東君に、じゃ汁なし担々麺ってどうなの、に類する質問をしたら

    大蟻食の生活と意見 日記 : 2008.10.10
  • 日記: 2007.6.13 新聞の書評で見て、『滝山コミューン1974』を読んでいる。

    新聞の書評で見て、『滝山コミューン1974』を読んでいる。ほとんど終るところだ。ぶっちゃけた話、もっと別な書きようのあるだ。七十年代前半の郊外団地とその政治傾向、日教組系の怪しい教育方針とその影響、その怪しい方針に翻弄されながらも鉄道への愛に目覚め四谷大塚に通う小学生の回想、どれを取っても優に一冊分の量を必要とする内容だ。だが、短すぎる、盛り込みすぎる、が最大の欠陥と言うのは、むしろ天晴れなことだと言わざるを得ない。当時の同級生たちや当のカリスマ教師にも直接取材、というなら、その辺、もっと生な素材を見せていただきたかった気もするが。 私は今、猛烈に怒っている。ちっくしょう、そういう仕掛けだったのかよ、であり、人の貴重な時間を詰らんことのためにくすねやがって、であり(学校なんか行かずに家でピアノ弾いて英語習って、残りの時間読みたいを読みたいだけ読んで過ごしていたら、私はもう少しましな教養

    日記: 2007.6.13 新聞の書評で見て、『滝山コミューン1974』を読んでいる。
    yuco
    yuco 2007/06/26
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