二〇〇六年、ザルツブルク音楽祭で上演された、アーノンクール指揮/クラウス・グート演出の「フィガロの結婚」は、心ある人々の大顰蹙を買う、ある種の名上演であった。 オペラの舞台上演では時々これが起こる。例えば一九七六年バイロイトのブーレーズ/シェローによる「ニーベルングの指輪」がその古典的な例だ。 NHK-FMでの年末の放送に耳を傾けていた中学生の私は、終演後の床を踏み鳴らす音とブーイングの声に驚き、かつ恍惚とした---これほどまでに熱烈な賛否を巻き起こすものが詰まらない訳がない。今日、録画で見ると極めて洗練された美しい舞台としか言い様がないのだが、当時の観客にとってこの再解釈は極めてショッキングであった。 再解釈など今では珍しくもなくなり、滑って目も当てられないという例も山のように目にし、オーソドックスな演出も「演出の時代」と録画鑑賞の習慣の普及による歌手の演技力の異様なまでの向上によって別
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