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historyとkobeに関するyukattiのブックマーク (31)

  • 「模擬原爆」は神戸のどこへ落とされた?79年前の謎を追う大学院生:朝日新聞デジタル

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    「模擬原爆」は神戸のどこへ落とされた?79年前の謎を追う大学院生:朝日新聞デジタル
  • (はじまりを歩く)ビーチサンダル 神戸市長田区 神戸生まれのスポンジ草履:朝日新聞デジタル

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    (はじまりを歩く)ビーチサンダル 神戸市長田区 神戸生まれのスポンジ草履:朝日新聞デジタル
  • 動物園のこれまでと、市民と動物園のこれから|Shinobu Fukutake

    表題写真:Spiridon MANOLIU、パリ国立自然史博物館のフラミンゴ (Public Domain) はじめに2022年12月11日 第5回王子公園市民ミーティング「市民の創る王子公園ビジョン」発表会&シンポジウムにて、発表で用いたスライドとテキストを公開します。 一部のスライドと補足資料へのリンクを追加し、誤字脱字を訂正しました。発表時から内容の変更はありません。 この発表資料の中で使用している写真や図版は、パブリックドメインとクリエイティブ・コモンズの作品、およびApple社のKeynote付属のフリー素材を使用しています。 参照した文献およびWebサイトのリストは末尾に添付しています。 当日使用した発表スライドを書き出したPDFと、配布した印刷資料のPDFは、次のリンクからダウンロードしてください。

    動物園のこれまでと、市民と動物園のこれから|Shinobu Fukutake
  • 昭和・令和の『元町』ビフォーアフターを写真で比較!神戸の街並みはどう変わった? | 神戸ジャーナル

    昔の神戸の景色、覚えてますか? 自分や家族、友人の写真を撮ることはあっても、その時々の「普通の街並み」の写真って意外と残っていないんじゃないでしょうか。 神戸市や兵庫県はそういった街並みなどの写真を所蔵・公開しており、その中には「明治ごろ」のものもあるんです。 写真を見れば、街や人々の暮らしの様子など、身近な歴史をたどることができます。 今回は元町エリアの、「昭和」と「令和」を比較検証! 今も残る面影や、昔懐かしい景色など、ちょっとだけタイムスリップしてみませんか? 元町駅 周辺まずは、JR元町駅周辺です。 1974(昭和49)年7月 元町駅前(国鉄元町駅東口):国鉄元町駅東口から南(元町穴門商店街)方面を望む 現在のJR元町駅の東口のあたりから、海側を向いた写真です。当時は「国鉄」。 撮影時は1974年とのことで「約50年前」の写真ですが、これは見ただけでも結構どこか分かるんじゃないでし

    昭和・令和の『元町』ビフォーアフターを写真で比較!神戸の街並みはどう変わった? | 神戸ジャーナル
  • 「神戸の中心駅はどこ?」 「神戸」ではなく「三宮」が栄えた理由:朝日新聞デジタル

    おしゃれで異国情緒あふれる港町・神戸。全国的にも知名度の高い都市だが、中心地のJRの駅は「神戸」ではなく「三ノ宮」。再開発で新たなビルが立ち並び、JRのほか阪急、阪神などの6路線が乗り入れるターミナル駅として栄えている。なぜ神戸の中心駅は「神戸」ではないのか。背景には街の発展の歴史的な経緯があった。 「神戸の中心地の最寄り駅はどこですか?」 阪神電鉄には、10年ほど前からそんな問い合わせが寄せられるようになったという。同社は2009年に近鉄と相互乗り入れを開始。奈良や名古屋までつながった。当時、最も中心街に近い駅は「三宮」。だが遠方の利用者の中には約2キロ西の「高速神戸」駅を中心と思う人もいたようだ。 実は、阪急電鉄と阪神の「三宮」駅は、開業当初は「神戸」駅だった。阪神が1912年に、阪急は68年に、それぞれ「神戸」を「三宮」に変更した歴史がある。阪神は戦争で資料が焼失したため経緯は不明。

    「神戸の中心駅はどこ?」 「神戸」ではなく「三宮」が栄えた理由:朝日新聞デジタル
  • 「神戸の中心駅はどこ?」 「神戸」ではなく「三宮」が栄えた理由:朝日新聞デジタル

    おしゃれで異国情緒あふれる港町・神戸。全国的にも知名度の高い都市だが、中心地のJRの駅は「神戸」ではなく「三ノ宮」。再開発で新たなビルが立ち並び、JRのほか阪急、阪神などの6路線が乗り入れるターミナル駅として栄えている。なぜ神戸の中心駅は「神戸」ではないのか。背景には街の発展の歴史的な経緯があった。 「神戸の中心地の最寄り駅はどこですか?」 阪神電鉄には、10年ほど前からそんな問い合わせが寄せられるようになったという。同社は2009年に近鉄と相互乗り入れを開始。奈良や名古屋までつながった。当時、最も中心街に近い駅は「三宮」。だが遠方の利用者の中には約2キロ西の「高速神戸」駅を中心と思う人もいたようだ。 実は、阪急電鉄と阪神の「三宮」駅は、開業当初は「神戸」駅だった。阪神が1912年に、阪急は68年に、それぞれ「神戸」を「三宮」に変更した歴史がある。阪神は戦争で資料が焼失したため経緯は不明。

    「神戸の中心駅はどこ?」 「神戸」ではなく「三宮」が栄えた理由:朝日新聞デジタル
  • 裕次郎が愛した神戸の花街、多数のオフショット見つかる 花隈の元芸者が保管、宴席で描いた貴重なイラストも

    昭和の大スター、石原裕次郎さん(1934~87年)が、映画の撮影などで神戸を訪れた際の大量のオフショットが見つかった。保管していたのは、かつて花隈で芸者として働き、三宮などでクラブや料亭を経営していた女性。花街だった往時の花隈を伝える貴重な資料として、地元のまちづくり団体が活用を検討している。(小川 晶) ■段ボール10箱分の写真 高倉健さんに浅丘ルリ子さん、長門裕之さんら銀幕のスター。大相撲の名横綱大鵬さん、プロ野球西鉄のエース稲尾和久さんといったスポーツ関係者。十二代目市川団十郎さん、四代目坂田藤十郎さんら大名跡を継ぐ歌舞伎役者…。 神戸市中央区にある大島有紀子さん(92)の自宅には、段ボール10箱分にも上る写真がある。1950年代の花隈での芸者時代から半世紀近くに及ぶ接客業で、つながりがあった人たちとのスナップだ。 「みんな印象に残っているけれど、誰か一人、と言われれば裕ちゃんかな」

    裕次郎が愛した神戸の花街、多数のオフショット見つかる 花隈の元芸者が保管、宴席で描いた貴重なイラストも
  • 「私にとっては断交」「町に政治持ち込まない」華僑たちの50年:朝日新聞デジタル

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    「私にとっては断交」「町に政治持ち込まない」華僑たちの50年:朝日新聞デジタル
  • 【鉄道開業150周年】三ノ宮駅ホームの下に「ポーナルさんの桁」発見 明治初期から戦災、震災乗り越え、今も現役「縁の下の力持ち」

    で最初の鉄道が1872(明治5)年10月14日に東京・新橋~横浜間で開業して150年。そんな節目の年だが、令和の神戸に明治の橋桁(はしげた)が現役で活躍していることは知られていない。 太平洋戦争による空襲も阪神・淡路大震災も乗り越え、今も人々の暮らしや物流を支えるその橋桁はJR三ノ宮駅(神戸市中央区)の東側の跨道橋(こどうきょう)で、上下線のプラットホームを支えている。他の桁と同じようにきれいに塗装されており、素人目には分からない。 設計者は1882(明治15)年に建築師長となったお雇い英国人技師、C・A・ポーナルである。明治時代に鉄道橋として主に採用された鉄桁は力学的に構造が単純で製作も容易なプレートガーダーという。資料によると、ポーナルは1885年に日で初めて径間20フィート~70フィートに及ぶ鉄桁を設計したといい、官営鉄道や私設鉄道で大量に製作、使用された。ポーナルの設計思想は

    【鉄道開業150周年】三ノ宮駅ホームの下に「ポーナルさんの桁」発見 明治初期から戦災、震災乗り越え、今も現役「縁の下の力持ち」
  • 神戸市:新修神戸市史 歴史編

    『新修神戸市史 歴史編Ⅰ 自然・考古』1989(平成元)年 〔口絵・凡例・目次〕 第一章 都市化の進展と神戸の自然 第一節 よみがえった六甲の緑 第二節 都市域の拡大と自然の変化 第二章 神戸の生物とその生態 第一節 生物の生態と環境 第二節 山地・丘陵の生物とその生態 第三節 市街地の生物とその生態 第四節 河川・池沼の生物とその生態 第五節 海の生物とその生態 第六節 貴重な生物とその保護 第三章 神戸の地形と地質 第一節 神戸の土地の生い立ち 第二節 激しい火成活動・流紋岩と花こう岩 第三節 被覆層の神戸層群 第四節 大阪層群と六甲変動 第四章 神戸の自然史と化石記録 第一節 地層と化石が語る自然の歴史 第二節 日列島誕生期の神戸層群 第三節 人類出現期の神戸の自然 第四節 古大阪湾の拡大と明石海峡の誕生 第五節 最終間氷期から現在の自然へ 第五章 神戸の気候・水・大気 第一節 市

  • 中国の画家が描いた大作「満州引き揚げ」 神戸で展示始まる:朝日新聞デジタル

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    中国の画家が描いた大作「満州引き揚げ」 神戸で展示始まる:朝日新聞デジタル
  • 「火垂るの墓」を見た父は自室にこもった 語らなかった兄のこと:朝日新聞デジタル

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    「火垂るの墓」を見た父は自室にこもった 語らなかった兄のこと:朝日新聞デジタル
  • 神戸ジューコム | 神戸電子専門学校

    人道支援の地「神戸ユダヤ共同体」(神戸ジューコム)跡地 2020年11月19日、神戸電子専門学校南館の石垣が、難民支援の歴史的跡地であることを受けて、 その記録を後世に残すため案内板を設置し、その除幕式を挙行しました。 「神戸ユダヤ共同体」(神戸ジューコム)とは 1937年(昭和12年)、ユダヤ人アナトール・ポネヴェスキーによって、「神戸ユダヤ共同体」(アシュケナジー派)が当地につくられました。当時神戸には、日最大のユダヤ人組織があり、シナゴーグ(ユダヤ教集会所)がありました。 1945年(昭和20年)6月5日の神戸大空襲で建物は焼失しましたが、隣接の石垣(写真①)がほぼ当時のまま残っています。 第二次世界大戦の戦火が欧州に広がりつつある1940年(昭和15年)6月、神戸ユダヤ共同体はリトアニアから7人のユダヤ難民を助けてほしいという電報を受け取りました。すぐさまポネヴェスキーは、日

  • 「ホロコーストは破滅」ユダヤ教の指導者『ラビ』が話す”一族の最期” 迫害から逃れてきたユダヤ人を受け入れた神戸の街 | 特集 | MBSニュース

    国際色豊かな神戸・北野には、「風見鶏の館」や「うろこの家」などの異人館が並んでいます。港町には大勢の外国人が居を構え、異国情緒あふれる街並みができました。その異人館街の西側に、実は日には2つしかないユダヤ教の教会のひとつがあります。この教会の指導者「ラビ」であるシュムエル・ビシェスキーさん(36)の一族は、第二次世界大戦中にユダヤ人の大虐殺「ホロコースト」で悲惨な最期を遂げたのですが、今回、初めてテレビのインタビューでその過去を語りました。また、迫害から命がけで逃れてきたユダヤ人を受け入れた神戸の足跡もあわせて取材しました。 祖母の故郷で起こった悲劇の大虐殺「ホロコースト」 神戸・北野。観光エリアから少し外れた場所に静かにたたずむ教会「シナゴーグ」は、ユダヤ教の教会です。 ユダヤ教で指導者を意味する「ラビ」のシュムエル・ビシェスキーさん(36)。今回の取材では、特別にテレビカメラがシナゴ

    「ホロコーストは破滅」ユダヤ教の指導者『ラビ』が話す”一族の最期” 迫害から逃れてきたユダヤ人を受け入れた神戸の街 | 特集 | MBSニュース
  • http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81005490.pdf

  • 神戸新聞NEXT|連載・特集|新五国風土記 ひょうご彩祭

    手塚治虫の代表作「アドルフに告ぐ」の中で神戸のドイツパンが描かれている。北野の異人館街を思わせる神戸らしい風景が数多く登場。主人公の1人はパン店を営む一家の息子だ。神戸で100年近い歴史を持つ老舗「フロインドリーブ」を訪ねて物語の世界に思いをはせる。 パンはパンでもどっしり重い。フランスパンよりもあっさりと、イギリスパンよりもみっちりとした風味がべていると癖になる。 パンの街・神戸でも指折りの老舗「フロインドリーブ」のドイツコッペは、吉田茂元首相が神奈川県大磯町の自宅へ毎週のように届けさせたという逸品だ。 創業者は、ドイツ人のパン職人ハインリッヒ・フロインドリーブ。第1次世界大戦中、中国・青島で捕虜となり日の収容所に。解放後、1923(大正12)年に来神し、翌年ハンター坂近くの洋館に店を開いた。 その波乱の人生は半世紀後、NHK連続テレビ小説「風見鶏」のモデルとなり、「風見鶏の館」のあ

  • 迫害逃れたどり着いた神戸 ユダヤ人の歴史伝える案内板:朝日新聞デジタル

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    迫害逃れたどり着いた神戸 ユダヤ人の歴史伝える案内板:朝日新聞デジタル
  • 終戦前日に亡くなったユーハイム創業者が歩んだ激動の人生「お菓子は平和の証」【戦後75年】

    カール・ユーハイム(1886〜1945)は、木の年輪をかたどったドイツ菓子バウムクーヘンを日に伝えたドイツ人。老舗洋菓子メーカー「ユーハイム」(神戸市)の創業者だ。 株式会社ユーハイム提供/ 今から75年前、1945年8月14日の夕方6時前。神戸・六甲山上のホテルの一室で、ある菓子職人が59年間の生涯を静かに終えた。 「私は死にます……けれど、平和はすぐ来ます」 大きな安楽イスに埋まるように座っていた彼が、息を引き取る直前、に伝えた言葉だ。 まるで神のお告げを伝えるような、荘重かつ静かな口調だったという。 職人の名はカール・ユーハイム。木の年輪をかたどったドイツ菓子バウムクーヘンを日に伝えたドイツ人で、老舗洋菓子メーカー「ユーハイム」(神戸市)の創業者だ。 2度の世界大戦と大震災——歴史の荒波に翻弄されても、職人たちは古きよきドイツ菓子の伝統を守り、安心・安全の菓子づくりを継承してき

    終戦前日に亡くなったユーハイム創業者が歩んだ激動の人生「お菓子は平和の証」【戦後75年】
  • 叔母とシスターは同じ壕で…神戸空襲、重なる2人の足跡:朝日新聞デジタル

    写真家・中山岩太(1895~1949)が撮影した神戸空襲の写真をもとに当時と現在の様子を比較する取材をしているさなか、協力を申し出てくれた人がいる。その人の話を聞くうちに、あの日、炎に追われて偶然同じ場所で亡くなった二人の女性をめぐる物語が浮かび上がってきた。 神戸空襲とは米軍による神戸市域への無差別爆撃は1945年2月に始まり、3月17日未明の大空襲で市の西半分が壊滅。5月11日の大空襲で灘区や東灘区が大きな被害を受け、さらに6月5日の大空襲で市の東半分も焦土化。市史によると7491人が亡くなった。 連絡をくれたのは神戸市の高校教師、岡村隆弘さん(59)。市内に住んでいた岡村さんの伯母・節子さんは1945年6月5日の大空襲で犠牲となった。当時23歳。「べっぴんさんで、優しい人だった」と親族から聞かされた。戦争体験はないが、定年が近づくにつれ、会ったことのない節子さんへの関心が高まった。

    叔母とシスターは同じ壕で…神戸空襲、重なる2人の足跡:朝日新聞デジタル
  • 600人超す命奪った大水害 濁流から復興、写真は語る:朝日新聞デジタル

    阪神大水害とは1938年7月3~5日、六甲山系を襲った豪雨が土石流を引き起こし、ふもとの市街地に土砂や木が流入。国土交通省によると、神戸市を中心に阪神間の死者・行方不明者は695人、流失や埋没、全半壊など建物被害は11万9895戸に達した ズボンをたくし上げた裸足の少年たちが、巨岩の転がる道を歩いていく。泥水の中を進んできたのだろうか。右端の子は左手に、左端の子は肩に、を下げている。 道の真ん中には路面電車のレール。停車場を示す石柱には「灘中学校前」とある。現在の神戸市東灘区甲南町5丁目付近、国道2号上にあたる。 写真は、38年7月5日撮影。巨岩はその日午前、写真奥にある住吉川から押し流されてきた。濁流とともに流れ下った巨岩は住吉川沿いにあった財界人らの豪邸を次々に破壊。堤防は数カ所で決壊し、濁流が街をのみ込んだ。 砂防ダム・植林…「防災力」は進んだが そして、80年。六甲山には阪神大水

    600人超す命奪った大水害 濁流から復興、写真は語る:朝日新聞デジタル
    yukatti
    yukatti 2018/07/19
    "兵庫県では、80年前の1938(昭和13)年7月にも、3日間降り続いた豪雨による濁流や土石流が街を襲い、600人を超す人が犠牲となる「阪神大水害」があった"