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人物と人生に関するyuya_prestoのブックマーク (5)

  • 寝たきりの親友と話していた「自信」に対する考察|吉藤オリィ|note

    生前、よく自宅からリモートで働いていた番田雄太と「一緒に働くってどういう事?」「所属してるって何?」「自分を好きになれって言われても・・・」というような話を、それはもう頻繁にしていた。 いかに人は絶望状態から希望を得て、自分を信じる状態へ至るのか。私と番田の経験に則り、5段階仮説としてまとめてみる事にした。 番田はよく「孤独」を私に訴えた。 番田雄太とは、2013年12月から2017年9年に彼が亡くなるまで、ほぼ毎日共に活動した、私の1歳年下の親友、相棒だ。 私の親友にして一緒にOriHimeを作ってきた番田雄太が亡くなって、今日で半年 4歳で交通事故で脊髄損傷で寝たきり、20年間、学校も通えず友達も居ない絶望の入院生活、唯一動く顎を使ってPCを操作し、2013年に私をネットで見つけてOriHime開発に参加。様々な挑戦、前例を築いた男@myendores pic.twitter.com/

    寝たきりの親友と話していた「自信」に対する考察|吉藤オリィ|note
    yuya_presto
    yuya_presto 2019/09/17
    「生きる」についていろんなことが書かれてた。泣いてるけど、障害とか死じゃなくて、自分に真っ直ぐな生きざまに感動したのと、その「生きる」を叶えられる技術者になりたいと思って。心理的安全性の前に大事な話。
  • ノムさんの告白「沙知代よ、君がいない毎日は本当につまらなくて」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

    どんな夫婦にも、やがて離別の日はやってくるもの。球界屈指の愛家だったこの人も、その現実に直面した一人だ。の一周忌を目の前に、いま何を思い、どう生きているのか。ありのままを語る。 何もできない男が独り ・沙知代が虚血性心不全で倒れ、85歳でこの世を去ってから、早いものでもうすぐ1年になる。 だだっ広い家で独り過ごしていると、ふとした瞬間に、あの日のことを思い出す。 忘れもしない昨年の12月8日、寒い日だった。 「大変です。奥様の様子が……」 昼過ぎにリビングでテレビを見ていたら、お手伝いさんが飛んできた。慌ててダイニングに行くと、事中の彼女が、座ったまま頭をテーブルにつけている。 「どうした?」と聞いて背中をさすってやると、一言、「大丈夫よ」と言ったきり動かない。彼女はどんなときも前向きで弱音を一切吐かない人だったけれど、まさかあれが最期の言葉になるとは思わなかった。 慌てて119番

    ノムさんの告白「沙知代よ、君がいない毎日は本当につまらなくて」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
  • 「命を救う方法は、医療じゃなくても良い」 12歳でエイズになる少女たちを救ったある医師の決断(後編)

    僕がなんでこの施設を作ったかというと、もう当に、非常に生理的な僕の反応なんです、率直に言うと。例えばブローカーがやって来ますね。みなさんは透明人間になるんです。透明人間になって、この子たちが売られていくところから全部見るとするじゃないですか。 例えばブローカーがやって来て、うまいことを言ってこの子どもを買い取っていきました。親から離されて、ブローカーのおじさんに手を引かれて、7歳、8歳の子どもが国境を越えて消えていきます。そして学校も行かせてもらえないで、家で拭き掃除をしたり、そこの子どもの面倒を見たり、ご飯を作ったりするんですよ、12、3歳になるまで。 人を幸せにするのに"医療"にこだわる必要はない 僕がなんでこの施設を作ったかというと、もう当に、非常に生理的な僕の反応なんです、率直に言うと。例えばブローカーがやって来ますね。みなさんは透明人間になるんです。透明人間になって、この子た

    「命を救う方法は、医療じゃなくても良い」 12歳でエイズになる少女たちを救ったある医師の決断(後編)
    yuya_presto
    yuya_presto 2018/01/22
    ジャパンハート・吉岡医師の話、後編。何回見ても涙だけ出てきて言葉にならない。生きる意味、死んだ人の命の意味。「自分が痛い/悲しいと思うから、他人が痛い/悲しいと思うことが理解できる」これよく思う。
  • 「死ぬのがわかっている子どもを、なぜ治療するのか?」 問い続けた医師の、”心を救う”という答え(中編)

    15年間で1万人以上の子どもたちを治療し続けた日人医師、吉岡秀人氏。日々目の前で死んでいく子どもたちを救う意味とは? 自分はいったいなんのために働いているのか? 人生の意味、命の意味を問い続けたある小児外科医がたどり着いた答えに、会場中がスタンディングオベーションを送ったという名スピーチ。 5年しか生きられない子供を救う理由 それから、何年も何年も医者をやってきまして。ですけど、今みたいに助けられる子どもと助けられない子どもといるんですね。そのうち、たくさんの人に手術してきましたけど、助けられない子どもたちにどういうふうに僕は向かい合っていったらいいのかというのが、すごく大きなテーマになったんです、いつの日か。 僕もみなさんもそうですね、いつか死なないといけない。例えば5歳で死ぬ子がいても、僕らが70、80で死んだとしても、いったら時間が長いか短いかだけの話なんですけど、絶対決まっている

    「死ぬのがわかっている子どもを、なぜ治療するのか?」 問い続けた医師の、”心を救う”という答え(中編)
    yuya_presto
    yuya_presto 2018/01/22
    ジャパンハート・吉岡医師の話、中編。何回見ても涙だけ出てきて言葉にならない。中編が特に。生きていたということと、幸せの記憶。
  • アジアで1万人以上の子どもたちを救ったある日本人医師が語る、"人生の意味"(前編)

    15年間で1万人以上の子どもたちを治療し続けた日人医師、吉岡秀人氏。日々目の前で死んでいく子どもたちを救う意味とは? 自分はいったいなんのために働いているのか? 人生の意味、命の意味を問い続けたある小児外科医がたどり着いた答えに、会場中がスタンディングオベーションを送ったという名スピーチ。 病院があっても診察を受けられない ミャンマーの医療事情 吉岡(以下、吉):ミャンマーといっても最近はよくテレビに出るようになりました。僕が医療を始めたのは1995年なんですね。1995年にミャンマーで医療を始めて。当時、ミャンマーなんか何処にあるか誰も知らない時代に、こんなところで医療をやっている日人のことは当然誰も知る由もなく始めたんですけれども。少しだけ、僕がなぜ外国で医療をするようになったかという話を一番最初にしておきたいと思います。 世の中には、医療を受けにくい人たちがたくさんいるんですね。

    アジアで1万人以上の子どもたちを救ったある日本人医師が語る、"人生の意味"(前編)
    yuya_presto
    yuya_presto 2018/01/22
    ジャパンハート・吉岡医師の話、前編。何回見ても涙だけ出てきて言葉にならない。一生口唇裂や顔のコブを抱えて生きていく子たちを治す話。
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