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自己肯定感に関するyuya_prestoのブックマーク (3)

  • 司法試験の受験をやめる話 -

    題名の通りです。司法試験の受験をやめることにしました。暗い話に思う方もいるかもしれませんが、私としては、逃げた結果として辞めるというよりも、強くなったからこそ辞めるのだという気持ちです。辞めると決めた今、私は毎日がとても楽しいです。私は自分を誇りに思っていますし、後悔もありません。 そして、私はどうしても、辞めることにした気持ちの変化と、今の気持ちをどこかに記さなければいけないのです。私のこれまでのカッコ悪い奮闘の記録を、私自身のために残しておかなければいけないと思うのです。言い訳だと言われたらそれまでかもしれませんが、それでも良いのです。それならば、私は今から胸を張って言い訳をします。 私は中学生2年生の時分に、検察官になりたいと思うようになりました。最初は『古畑任三郎』や『ケイゾク』といった刑事ドラマに触発され、正義を貫く存在に憧れを抱いたのかもしれません。中学2年生ですからね、厨二病

    司法試験の受験をやめる話 -
    yuya_presto
    yuya_presto 2019/12/28
    プログラミングだけが取り柄、と思って生きてきた時期があるのでちょっとわかる。(好きな授業でも)朝起きれなかったのを棚にあげるけど、経済環境的に、奨学金を遊びに使う輩とかが愚かに映ったりしたなぁ。
  • "人からの期待に応える"ことでしか、自分を認められない。そんな私が自分のための人生を歩み始めるまで/あかしゆか | soar(ソア)

    “人からの期待に応える”ことでしか、自分を認められない。そんな私が自分のための人生を歩み始めるまで/あかしゆか あかしちゃんってさ、自己肯定感が低いよね。 昔、そんなことを先輩から言われた経験があります。私はその時ぼんやりとしか「自己肯定感」を理解しておらず、漠然と「自分の自己肯定感は低くはない」と思っていたので、「えー、そんなことないですよお。前向きですし」と、ヘラヘラ返事をしていました。 ただ、今から9ヶ月ほど前。私は自分の「自己肯定感の低さ」と向き合わざるを得なくなったのです。 今回から3回にわたって、私が実際に日々生きながら感じている「悩み」について、内科医の鈴木裕介先生にお話を伺い、その悩みと向き合うためのヒントを模索するコラム連載をスタートします。 第1回目は、「他者の承認を通じてしか、自分のことを認められない」という悩み、つまり前述の自己肯定感の低さ、についてのお話です。 「

    "人からの期待に応える"ことでしか、自分を認められない。そんな私が自分のための人生を歩み始めるまで/あかしゆか | soar(ソア)
  • 寝たきりの親友と話していた「自信」に対する考察|吉藤オリィ|note

    生前、よく自宅からリモートで働いていた番田雄太と「一緒に働くってどういう事?」「所属してるって何?」「自分を好きになれって言われても・・・」というような話を、それはもう頻繁にしていた。 いかに人は絶望状態から希望を得て、自分を信じる状態へ至るのか。私と番田の経験に則り、5段階仮説としてまとめてみる事にした。 番田はよく「孤独」を私に訴えた。 番田雄太とは、2013年12月から2017年9年に彼が亡くなるまで、ほぼ毎日共に活動した、私の1歳年下の親友、相棒だ。 私の親友にして一緒にOriHimeを作ってきた番田雄太が亡くなって、今日で半年 4歳で交通事故で脊髄損傷で寝たきり、20年間、学校も通えず友達も居ない絶望の入院生活、唯一動く顎を使ってPCを操作し、2013年に私をネットで見つけてOriHime開発に参加。様々な挑戦、前例を築いた男@myendores pic.twitter.com/

    寝たきりの親友と話していた「自信」に対する考察|吉藤オリィ|note
    yuya_presto
    yuya_presto 2019/09/17
    「生きる」についていろんなことが書かれてた。泣いてるけど、障害とか死じゃなくて、自分に真っ直ぐな生きざまに感動したのと、その「生きる」を叶えられる技術者になりたいと思って。心理的安全性の前に大事な話。
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