特に小泉政権になってから、「勝ち組 vs 負け組」だの「格差社会」だのといった言葉がメディアに登場する機会が増えたような気がする。 なるほど、これまでは「一億総中流」で、良くも悪しくも横並びという意識で暮らしていたものが、豊かな人はより豊かに、そうでない人はそれなりに (古いな、おい)、経済力などの水準に差が生じてきている傾向はあるかも知れない。 といっても、もろに階級社会をやっているヨーロッパあたりと比べれば、まだまだ。と思うのは気のせいだろうか。 そもそも、「結果の格差」よりも「機会の格差」の方が問題だろ、と思う。なぜなら、機会の格差は最初から格差を固定してしまうものだから。 結果の格差を埋めるために度の過ぎた (これ重要) 所得の再配分をやるよりも、何かにチャレンジして失敗した人のためのセーフティネット、あるいはそういった人が再起するチャンスを作ることの方が重要だし、それが「結果の格