タグ

2016年1月3日のブックマーク (2件)

  • 「氣志團」綾小路翔さん、表現の自由について思うこと:朝日新聞デジタル

    人は生まれた時から誰とも違う自分です。とはいえ慣習や組織の「決まり」から自由になることは簡単ではありません。「わたしらしく」生きたい、今が苦しくても――。そう思った時、そこに憲法があります。公布から70年となる2016年。ロックバンド「氣志團」の綾小路翔さんに話を聞きました。(聞き手・湊彬子) ◇ ――学ラン、リーゼントにサングラス。氣志團のスタイルはどのように生まれたのですか。 僕らが中学生から高校1年生ぐらいは、最後のヤンキー文化っていうのか、線香花火の最後みたいに燃え上がった時期なんですよね。1990年代のヤンキーファッションは衝撃的かつ刺激的で、すぐに先輩のまねをして変形学生服を着て登校したり、初めてパーマをかけたりしました。その後はバンドに没頭し、自分自身では、「村一番のロックンローラー」だと思って上京したわけですけど、東京にはそんな人ごろごろいて。どうしたら目立てるんだろう?俺

    「氣志團」綾小路翔さん、表現の自由について思うこと:朝日新聞デジタル
    EmiTunawatari
    EmiTunawatari 2016/01/03
    ”最近は何だか恐ろしいですよね。ニュースまでも大事なことを言わなくなっちゃったりとか。…俺なんかが政治のことに口出しするなんてガラじゃないって思ってましたが、もうそうも言ってられないのかなって気も…”
  • あの戦争を生き残った私からあなたへ(飯田進)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    あの戦争とは何だったのか。 あれが「防衛のための戦争」であったという見方は根強くある。しかし他方で、あれが「侵略戦争だった」と言われれば、そう思われる歴史的な筋もないことはない。 そのように世の中を二分するような全く異なる見解があるとき、正邪を軽々しく論ずるわけにはいかない。いずれの立場にも考えがあり、部分的に見ればそれぞれの主張には論拠があるからだ。あの戦争の背景にはかなり複雑な要因があった。それは、70年の時を経た今なおそう思う。 一口に言えば、日人はそもそも浮き上がっていた。それは誰も否定できないはずだ。 私もその中の一人である。1941年の末に太平洋戦争が始まり、まだ20歳にも満たなかった感受性の強い時分の私は、いわゆる「興亜青年」のはしくれだった。「日は神国である」という極めて単純な考え方──あまりに神がかり的で、独善的な思想がその背景にあった。 そもそも日の近代とは、欧米

    あの戦争を生き残った私からあなたへ(飯田進)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
    EmiTunawatari
    EmiTunawatari 2016/01/03
    "嫌なことには目を向けたくない習性が人にはある。…この習性は個人には許されても、国家や民族には許されない。70年前のことをすっかり忘れる集団健忘症は、また別の形で、より大きな過ちを繰り返させるものだ”