竹田鼎の日記にも登場する料理接待の様子を描いた松代藩(長野県)の絵師高川文筌(たかがわぶんせん)の絵図「嘉永七年寅二月十日 於武州久良岐郡横浜酒食賜墨夷之図(写しの一部)」。手前に給仕する武士の姿がみえる(横浜開港資料館所蔵) 日米和親条約を結ぶため来航した米海軍ペリー提督らと、日本側全権の「首席応接掛(しゅせきおうせつがかり)」として、横浜で会談した林大学頭(はやしだいがくのかみ)の従者、竹田鼎(かなえ)の日記が、横浜市で見つかった。ペリー来航の舞台裏が、従者の視点で生き生きと語られている。 竹田の子孫から日記を譲り受けた、遠縁の中嶋宏子さん(70)(横浜市)が4月、横浜開港資料館に持ち込んだ。日記には、1854年3月(嘉永7年2月)の横浜での交渉と、条約の細則を詰めるため、下田(静岡県)で同年6月頃に行われた交渉の際の出来事がつづられている。 初めての交渉となった同年3月8日、日本側は
横浜市は16日、市立小学校の給食に使う食材について、放射性物質の測定を始めた。原発事故を受け、保護者の間に不安が広がっていることを受けての措置だ。 検査は、翌日の給食に使う食材の中から1種類を選び、検査機関に委託して放射性ヨウ素・セシウムを測定する。市内344小学校の給食で使用される県外産の野菜を中心に毎日実施し、翌日、市のホームページで結果を公表する。 市教委健康教育課はこれまで、「市場に流通している食材は産地で安全性が確認された後に出荷されており、給食用食材は安全」と説明してきた。ただ、保護者から「西日本エリアの食材だけを使用してほしい」などの要望が学校に寄せられ、弁当を持参する児童もいることから、検査の実施を決めた。給食に使う全ての食材を検査してほしいとの要望もあるが、同課は「物理的に困難」と理解を求めている。 この日は、横浜市金沢区の検査機関「日本海事検定協会」で最初の検査が行われ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く