7日に明らかになった「横浜マラソン2015」のコース距離不足の問題。横浜の中心地や、国内マラソンでは初となった首都高速道路での走行を売りに、新たな経済効果も見込まれたが、主催した同マラソン組織委員会の詰めの甘さが、市民ランナーらの期待を裏切る結果を招いた。(古川有希) ◇ フルマラソンのコースは、みなとみらい大橋をスタートし、横浜赤レンガ倉庫や横浜中華街近くなど横浜の名所を巡り、首都高湾岸線・杉田-本牧ふ頭間約11キロを走ることができるのが特徴だった。 組織委によると、日本陸上競技連盟の公認コースとなるには、事前または大会当日にコースを計測する必要があるが、「首都高を止めることができない」(担当者)ため、全コースの実測が当日までできなかったという。 また、一般道の10キロについても事前計測に不備があり、94・1メートル不足していたことも判明、ずさんな準備状況があらわとなった。 組織委は今後
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茨城県が30年以上、「県民の日」(11月13日)の由来を誤って説明していたことがわかった。1871(明治4)年の廃藩置県で「茨城県が設置された日」としてきたが、県の誕生は実はその翌日。今春の県立高校入試で問題文に使われ、外部の指摘を受けた。 11月13日は、1968年制定の茨城県条例で県民の日となった。県も指摘を受けるまで、ウェブサイトで「県域に『茨城県』が置かれ、初めて県名が用いられた日」と説明。だが「法令全書」(内閣官報局編)などによると、茨城県の設置は11月14日。前日の13日は、初代県知事にあたる茨城県参事として山岡鉄舟(てっしゅう)が任命された日だった。 県によると、制定当初は「茨城県という名称が初めて用いられた日」と広く解釈していた。いつから混同が始まったかは不明だが、少なくとも84年発行の県史に「県が誕生した」との記述があり、誤った説明は30年以上続いたとみられる。 今年3月
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