セクハラ被害を言語化することはむずかしい。ましてや、それが「よきことをなす人」たちの組織内で起きたときの場合は、さらに複雑な事態となる。そもそも、セクハラはなぜおきるのか。「よきことをなす」ことが、なぜときに加害につながるのか。被害を言語化するのにどうして長い時間が必要になるのか。セクハラをめぐる加害・被害対立の二極化を越え、真に当事者をサポートするための考察。 本連載のタイトルにある「セクハラ」という言葉について、第一回掲載の後、いくつかのご意見をいただいた。もっと別の言葉を使った方がいいのではないか、性暴力という言葉を用いればダイレクトに伝わるのではないか、などといった提案だった。 それを機に私自身がなぜハラスメントという言葉を使用したのか、性暴力ではなくセクハラと表現したのかについて説明したい。私がもっとも大切にしているのは、ひとつの事態をどのように呼ぶか、どのような言葉で定義するか