*関勝則の、磯子の埋立て探訪。「Vol:7」 発行:横浜市議会議員団 編集:関勝則 磯子区中原2-1-20ビラ中原102号 大正時代の末期にようやく動き出した横浜市の埋立事業。そのうち「滝頭町・根岸町地先」埋立事業は、現在の交通局の前身、電気局の所管で進められ、当初は市電の倉庫や工場を造る予定から「市電埋立地」と呼ばれました。1927(昭和2)年の区制施行で磯子区が誕生。当時の区役所はこの埋立地に隣接していたようです。やがて、この埋立地に常設の水族館が出現します。きっかけは1928(昭和3)年、東京で開催された大禮記念博覧会です。当時は博覧会場での特設水族館が流行し、この会場にも水族館が造られていましたが、終了後、横浜へ移設したいと願い出たのが、大連商工会議所議員で後に上野水族館の館主にもなる平田包定氏です。水族館造りの夢を追い続けていた平田包定氏は、魚をいかに生かしておけるか、紆余曲折を
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