現代社会はなぜ性について饒舌なのか。没後三十余年を経て、最後の主著完結。我々はどのように自らを「欲望する主体」として形成したのか。生殖、貞節、結婚といった概念についての初期キリス… 現代社会はなぜ性について饒舌なのか。没後三十余年を経て、最後の主著完結。我々はどのように自らを「欲望する主体」として形成したのか。生殖、貞節、結婚といった概念についての初期キリスト教の教父たちの文献を詳細に検討し、厳格な規則を背景にした自己への省察と告白に基づく「欲望の解釈学」の成立を見る。性に関する言説の氾濫を起点として始まったフーコーの考察が、この最終巻でついに完結する。 「欲望の主体」である自己を見つめるホラホラ、これが僕の骨だ、 生きてゐた時の苦労にみちた あのけがらはしい肉を破つて、 中原中也の「骨」という詩の冒頭の一句である。この「肉」とはフーコー最後の大作「性の歴史」の第Ⅳ巻『肉の告白』の示唆する
