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2011年3月31日のブックマーク (4件)

  • 本の虫: なぜ漫画雑誌は無料で公開するのか

    この度の震災によって、物流が滞っている。面白いことに、漫画雑誌は、ネット上に、無料で雑誌を公開し始めた。何故そんなことをするのか。果たして、単なる見せかけのチャリティ(笑)や、宣伝と称する売名行為のためだろうか。 日における漫画雑誌は、事実上、立ち読みし放題である。漫画雑誌を丁寧にもひもで縛っていたりラップしていたりする書店の方が少数派である。大多数の書店は、漫画雑誌を立ち読み可能な形で、そのまま陳列している。 したがって、漫画雑誌を無料で公開すること自体は、なにも新しい考えではない。もともと、当然の如くに立ち読みされてきたのだから、今更、無料でネット上に公開されたところで、影響はないだろう。 しかし何故、流通が途絶えたからといって、にわかにネット上で公開しだすのか。 この問題を考えていた私は、ある結論に至った。もし、数週間ないしは数ヶ月ほど雑誌を読まなくなると、再び読もうという気がなく

    Nahoo
    Nahoo 2011/03/31
    娯楽習慣は一時の断絶で簡単に終わってしまうということを指摘。確かに。でもそれを出版者が意識しているなら、なぜ全般的恒常的雑誌ネット無料公開に踏み切らないのか。
  • 突如再燃した小学館の著作権騒動 - わぱのつれづれ日記

    なにやらネットで急に騒ぎになっていた小学館の「画像使用・著作権」についてのページ。 小学館はインターネット及びイントラネット上において、当社の出版物を以下の行為に無断で使用することを禁止しております。 * 出版物の装丁及び見開きなどの画像の全体又は一部を掲載すること。 * 出版物の内容及び目次などの全体又は一部を掲載すること。 * 出版物の要約及び出版物を元に制作した小説などを掲載すること。 * キャラクターの画像及び写真等の全体又は一部を掲載すること。 * キャラクターの自作画(イラスト・パロディなど)を掲載すること。 * 出版物やキャラクター(自作画を含む)をフリーソフトやアイコン、壁紙等に加工して掲載すること。 * 小学館ホームページの内容(画像・データ・ソース)の全体又は一部を転載すること。 以上の行為は営利非営利の目的いかんに関わらず著作権等の権利侵害となります。 守っていただけ

    突如再燃した小学館の著作権騒動 - わぱのつれづれ日記
    Nahoo
    Nahoo 2011/03/31
    二次創作禁止については初期から禁止の建前をとっていたのに、「突然今」禁止になったとの誤情報が流れた。わずかのニュアンスで本当に情報の意義が変わってしまう
  • 原発事故と民主制度における「コントロール」の感覚 | 地政学を英国で学んだ

    今日の甲州はまたしてもよく晴れまして、気温もなんとなく春らしくなってきました。そういえばそろそろ桃の花の季節です。 一昨日のエントリーですが、どうやらトピックのチョイスのせいでいつもの数倍のコメントを頂いたわけですが、一部感情的なものをのぞけば、みなさんどうやら冷静に読んでくれたようで何よりです。 何度も言うようですが、私があのエントリーで言いたかったのは決して「原発肯定論」ではありません。むしろ私にとって関心があったのは、人間の感じる「恐怖感」と「コントロールの感覚」の間にどのような関係があるのか、ということです。 そういう意味では、「原発は危険かどうか」という話ではなく、人間の心理のメカニズムをテーマにして色々と考えてみたかったのです。そしてそこで私が出した結論が、 「コントロールできていると感じれるかどうか」が人間に大きな感覚の差を生み出す というものでした。 さて、今日はそこから話

    原発事故と民主制度における「コントロール」の感覚 | 地政学を英国で学んだ
    Nahoo
    Nahoo 2011/03/31
    人間の安心は対象をコントロールできていると言う実感による。民主制は政治をコントロールできていると言う実感を(現実にそうかはともかく)与えることで政治を安定させている
  • 東日本大震災の気分的総括について - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    まだ初動対応は終わっていない、という気持ちもあるけど、11日に震災が起きて一応は約三週間経過したというのもあって、個人的に考えていることの総括の項目出しでもしようと思います。ありがたいことに月刊誌からも寄稿のご依頼を頂戴していたのですが、この手の話題を披露して原稿料を貰うようなのは流儀じゃないのと、いますぐ書いてアップしてしまうことで一刻も早く自分の気持ちに整理をつけたいというのがありまして、ブログで書くことにしました。 最初に書いてしまいますが、理性では「大丈夫だろう」と思っていても、いまだにとても不安です。それも、誰かと分かち合えるような不安ではなく、また、自分の生命に対する不安ではなくてですね。 もし同じような災害に遭って、愛する家内や私の息子たちが冷たい波の下に沈んでしまったら私の人生のその後何を糧に暮らしていくのかとかいう、意味はないけど拭い去れない「たられば」の不安と、私たちが

    東日本大震災の気分的総括について - やまもといちろうBLOG(ブログ)
    Nahoo
    Nahoo 2011/03/31
    「秩序の崩壊期から再編期に入ってきた」阪神>オウムのコンボの時、一種の崩壊期に入ってたのか。ともあれ今の自分たちは冷静な議論するしかない、全力で同意