http://d.hatena.ne.jp/trivial/20080924/1222268327の「表記の統一を禁ずるなかれ - 一本足の蛸」を読んで、「アルジャーノンに花束を」は表記が統一されていない小説として思い浮かびました。チャーリー・ゴードンの日誌の部分は、とても同じ人が書いているとは信じられないほどです。 一応書いておくと、「アルジャーノンに花束を」での表記の変化は意図的なもので、表記の変化によってそれを書いた人の変化を表しているわけです。 人の呼び方の場合も、相手との関係によってあえて変えてある場合もありそうです。 キャプテン・フューチャーシリーズで、主人公のカーティスニュートンのことを、ロボットのグラッグは「マスター」、アンドロイドのオットーは「チーフ」と呼びます。生きている脳サイモン・ライトは「坊や(lad)」と呼びかけるし、エズラ・ガーニーは口髭をたくわえた保安官がもぐ