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  • 言葉の伝わりやすさについて - レジデント初期研修用資料

    とくに仕事で使うことを前提にするのなら、丁寧な言葉よりも、伝わりやすい言葉を心がけるべきなのだと思う。 伝わりやすさには深度があって、言葉の最前に動詞を持ってくるのが最初の段階、もう少し慣れたら、動詞の代わりに要約を置くことができると、言葉はさらに分かりやすくなる。自分がどうしてほしいのかではなく、自分が情報を出すにあたって相手は何が知りたいのか、聞き手にとっての「要するに」を想像して、それを言葉の最前に配置することができるようになると、言葉はさらに伝わりやすくなる。 丁寧な言葉は伝わりにくい 漠然と丁寧な言葉というものは、会話の内容が伝わりにくい。 ぶっきらぼうな言い回しよりも丁寧な言い回しは好まれて、だれでもたぶん、仕事をする人は「丁寧な会話を心がけましょう」なんて教わっているものだから、電話の冒頭はたいてい、話者の挨拶が最前に来て、「今お時間は大丈夫でしょうか」みたいな時候の挨拶が後

    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2013/03/23
    丁寧な言葉は伝わりにくい。
  • 概算する力 - レジデント初期研修用資料

    以前別のところに書いた文章の再掲。 未知の問題に対して、「だいたいこうだろう」という概算を行えることが、技術者が成功する上では大切な能力になってくる。 概算が上手な人は、調査も計測もできないような未知の問題を前にして、過去の経験から数字を引くことで、個人の想像を、あたかも堅固な煉瓦で積み上げた建物であるかのように描写してみせる。それはあくまでも個人で想像したものにしか過ぎないのに、上手な概算は堅固に見えて、その堅固さが人を引き付ける。 概算能力の高い技術者が率いたプロジェクトは、結果として高い確率で成功する。 それはどんな過去に似ているのか ロケット技術者の糸川英夫は、ペンシルロケットを構想した国産ロケット黎明期、すでに3段式巨大ロケットに至るまでのロードマップを語っていたんだという。 ロケットの技術は、その時点ではまだペンシルロケットの構想段階でしかなかったのに、糸川のロードマップはいろ

    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2013/03/05
    すごい経験を持っているはずの誰かに概算力が伴っていなかった場合、その人の成果というものは、努力の蓄積それ自体である可能性がある。
  • 実社会がソーシャルゲームになる - レジデント初期研修用資料

    開発者だってご飯をべないといけないだろうから、ハードウェアはまだまだこれからも進化を続ける。進化した何かを販売するためには新しい需要が必要で、そうした需要を開拓していった結果として、実世界をゲーム化していく流れのようなものが、これから先進んでいくのだろうと思う。 AR は面白い どこかの水族館で、スマートホンを水槽にかざすと魚の情報が表示されたり、魚の写真をスマートホンに取り込むことができたりするサービスが始まるらしい。とても面白い試みなのではないかと思う。 絶対音感を持つ人は、耳から入ってくる音を音符に変換することができる。前知識なしに眺めた風景は単なる景色にすぎないけれど、魚に詳しい人が水槽を眺めれば、泳ぐ魚の群れは、名前を持った意味の集積として解釈され、目に入る風景は全く異なったものになってくる。 拡張現実の技術というものは、水族館であったり野鳥観察の施設であったり、意味が分かると

    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2013/02/14
    ドラゴンボールのスカウターはすごい発明だよなと思う。
  • 0から1を作った経験 - レジデント初期研修用資料

    たとえば爆弾テロの事例がニュースで報じられれば、たいていの人はたぶん、それを「ひどい事件だな」と思う。テロリストの側に与する人が同じニュースを聞けば、もしかしたら「よくやった」と思うかもしれない。ニュースに対してどんな態度をとるにせよ、ニュースというものはほとんどの人にとっては消費の対象であって、それを経験として蓄積できる人は少ない。 同じニュースを聞いても、見聞した事例を通じて自分の経験値を高める人もいる。爆弾テロの事例ならば、爆弾を自分で作り、爆薬の威力というものを知っている人がそれであって、こういう人がニュースを見ると、「なるほどそういう仕掛けかたもできるのか」と、爆弾の仕掛け方がより凶悪になってみたりする。 どんな分野であれ、ゼロから何かを生み出す経験をした人は、あとは事例を見るほどに、自身の経験が増していく。 経験には2種類ある 100年続くチームを引き継ぎ、体育会のキャプテンと

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    SasakiTakahiro 2013/01/13
    「よく勉強した人」と「専門家」とは異なる。
  • 分割すると遠くにいける - レジデント初期研修用資料

    ひとかたまりになった大きすぎる問題を解決するためには、膨大な意志量が必要になる。同じ問題を扱いやすい大きさに小分けすることができるのならば、同じ成果に到達するために必要な意思の量は少なくて済む。 問題を機械的に分割するやりかたは、画期的でもなければ根的でもない、場当たり的で部分的な解決手法にすぎないけれど、暫定的なやりかたはたいていの場合、根的なそれよりも役に立つ。 分割は意思を外部化する 強い意志の力で大きな問題を克服できる人は素晴らしいけれど、それを真似できる人は多くない。 たとえばお金を使いすぎてしまう人なら、給料を目的別に小分けしておくと、お金を使い過ぎる可能性が少しだけ減る。一升瓶をすぐに開けてしまう人ならば、買ったお酒を1日分ごとに小分けしておくと、飲みすぎる可能性が少し減る。問題の大きさを意思で克服する必要があるときには、問題を物理的に小さくすると、必要な意志量を減らすこ

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    SasakiTakahiro 2013/01/10
    同じ問題を扱いやすい大きさに小分けすることができるのならば、同じ成果に到達するために必要な意思の量は少なくて済む。
  • 不明と対峙するときに必要な道具 - レジデント初期研修用資料

    既知の何かをより上手に解決してみせるのに必要なのは「経験」で、未知の何かを手探りでどうにかするのに必要なのは「道具」なのだと思う。 出版したについて。 そのシマウマには毒がある 「蹄の音を聞いたらシマウマではなく馬を想起せよ」という古い格言があるけれど、格言のとおりに普段の仕事を回すためには、責任の引き受け手が必要になる。 それが馬でもシマウマでも、無害な草動物として振る舞ってくれるのならば、まずは馬を想定して問題にあたってしまえば、大抵の場合最小限の労力で問題は解決してくれる。 ところが蹄の音がよく似ているくせに模様が違う「シマウマ」がごく少数混じっている状況で、シマウマの見逃しが観察者に致命的なダメージを及ぼす状況においては、蹄の音を聞いた人は、まずまっさきに「それがシマウマでないこと」を確認することになる。 問題を解決するときに、挑戦者としてそれに当たる場合と、責任者としてそれに

    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/12/28
    既知の何かをより上手に解決してみせるのに必要なのは「経験」で、未知の何かを手探りでどうにかするのに必要なのは「道具」なのだと思う。
  • 購買のソーシャル化 - レジデント初期研修用資料

    Kindle は線を引いたりページを折ったりといったことができないから、今はもっぱら漫画ばかりを買っているのだけれど、クリックひとつでもう購買が終了するこのやりかたは、お財布の底が抜けそうで怖くなる。 電子書籍を売る側の人たちは、もちろん読者にはもっとを買ってほしいのだろうから、電子書籍の購買は、そのうちゲームみたいになるのだろうと思う。 ソーシャル化の未来 そのうちたぶん、タブレット端末からKindle のアプリを立ち上げると、画面にはまず真っ先に「お友達の〇〇さんがこのを買いました!!」というアナウンスがプッシュされるようになる。Amazon で自分が何かのを買えば、当然その内容も他のユーザーに配信され、Amazon のサイトを眺めれば、ユーザーの興味に応じたランキングリストが用意され、自分がその中でどれぐらいの順位にあるのか、あるいはの購買を通じて得ることができた「称号」を閲

    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/12/05
    電子書籍の購買は、そのうちゲームみたいになるのだろうと思う。
  • ゼロクリックの情報デザイン - レジデント初期研修用資料

    クリックをするまでもなく、否応もなく目に飛び込んでくる生活の風景や、あるいは何かのアプリケーションを立ち上げた際に最初に目にする画面のデザインをシンプルにすると、物事の見通しが良くなったりする効果が得られる。 シンプルなデザインを達成するために不必要なものを削ることは大切だけれど、削ることに熱心になりすぎてしまうと、もしかしたらデザインそれ自体が放棄されてしまう。シンプルなデザインはゴールであって、それが道徳になってしまうと、たいていろくでもないことになる。 棚は判断の基礎になる 物を捨てることの効能を説く人が増えたけれど、ごちゃごちゃしたものにあふれた部屋から「ごちゃごちゃ」を取り去ってしまうと、思考がかえって滞ってしまう人もいるのではないかと思う。 発想というものは、何もない風景から新しい何かを生み出すこともあるのだろうけれど、たぶん大部分の発想と呼ばれるものは、むしろ否応もなく目に

    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/11/20
    一番大事な情報は、1クリックでも遠すぎて、これは0クリックで、見せないといけない。
  • 大きな文章の作りかた - レジデント初期研修用資料

    広告: 2010年に出版させていただいた「内科診療ヒントブック」の改訂版が、11月下旬に発売されることになりました。病棟業務に携わる方々に役に立つものになったのではないかと思います。手にとっていただければ幸いです。以下文。 20万字と4年間 自分は2008年頃より病院内で原稿を書きため、ネットでの公開を経て、2010年にオーム社より書籍として出版させていただいた。今回出版される改訂版の現在に至るまで、書籍の原稿はテキストデータでだいたい20万字。ファイルの大きさそれ自体は1MBに満たない。 参考書籍が改版になったり、あるいは新しい知識や経験を仕入れたり、出版していただいて以降は読者の方から指摘をいただいたりするごとに原稿は書き換えられ、今回出版される改訂版の原稿は、初代から数えて381世代目のものになる。 20万字という比較的大きな原稿を長期間管理していく上で、やっておいてよかったこと、

    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/11/11
    バックアップの機能とバージョン管理の機能、メールでも掲示板でも、とにかくトピックごとにログが残る通信の機能。
  • 新しい市場のつくりかた - レジデント初期研修用資料

    最近買った新しい市場のつくりかたというの感想文。 足で書いたは面白い 今までになかった新しい商品を販売することで成功した人たちを訪ね歩いて、成功の理由、あるいは新しい商品を発送する原理のようなものを導こうとした。いろいろ参考になった これは「足で書かれただ」という印象を持った。理念ではなく、具体を重ねて論に到達するような。こうした書かれかたをしたは、読むといろんな発想が広がる。同じ具体例を作者と共有しつつ、作者とは異なった理念の衝突が楽しかったりもする 「足で書かれた」とは逆に、理念先行、論が理念を補強する「頭で書かれた」というものもある。頭で書かれたで描かれる理念は整合がとれていて、読んで「ははぁ」と頷く部分も多いのだけれど、発想はそこで閉じてしまうことも多い 個人的にはたとえば、佐々淳行の危機管理に関するは、「頭で書かれた」であるように思う。佐々の危機管理に関する

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    SasakiTakahiro 2012/10/16
    文化をまるごと開発する。
  • ゲームの進化について - レジデント初期研修用資料

    「シューティングゲームは、「弾をよけながら敵を撃破するゲーム」ではなく、「弾幕デザイナーの意図にそってレバーとボタンを操作する作業」であるといえる。RPGも同様に、プレイヤーは操作や判断を洗練させるほど、それはゲームデザイナーの意図した通りの動きに収斂していく」とTwitter に書き込んだら、「そんなことはないだろう」という反響がけっこうあった。そのあたりのいいわけ。 昔話 小学生の昔、ブロック崩しにこそ出遅れたけれどスペースインベーダーは現役で間に合って、ギャラクシアンに驚き、ムーンクレスタ3号機の理不尽に泣き、ディグダグの画面がカラフルなのに驚いたらもう中学受験は目前だった。 中学校に入って、久しぶりのゲームセンターではボスコニアンが稼働していて、よく聞こえない合成音声に首を傾げる真横では、同級生がハイパーオリンピックに熱中していて、ゲームセンターではそれからしばらく、ボタンが溶けた

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    SasakiTakahiro 2012/10/07
    公文式と学習塾の違い。
  • 専門家は素人から見える風景を想像できないといけない - レジデント初期研修用資料

    ちょっと前のニュース、安倍晋三自民党総裁が、「憲法改正を次の総選挙の争点にしたいという」意向を表明したことについて。 個人的にはあれは大失敗なんじゃないかと思う。よしんばそれが専門家から見て一番大事なことであったのだとしても、専門家がサービスの対象にしている「素人」が困っているであろう目先の問題を無視すれば、どれだけの技量を持った専門家であっても、支持を勝ち取るのは難しい。 風邪の症状で患者さんが外来を受診して、たとえば何かの成り行きで採血を行ったら糖尿病が見つかって、「風邪なんてどうでもいい。あなたの問題は糖尿病だ」とという態度になってしまう同業者はけっこう多い。ウィルス性の風邪に比べれば、糖尿病のほうが医学的には大きな問題で、こうした態度は決して間違ってはいないのだけれど、これをやった主治医はたぶん、高い確率で患者さんからの信頼を失ってしまう。 たとえ「根的な問題」がその専門家に見え

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    SasakiTakahiro 2012/10/06
    これからリーダーになる人は、善悪ではなく損得で物事を語ってほしい。
  • 人は禁じられた方向に努力する - レジデント初期研修用資料

    組織やチームの文化というものは、スローガンや目標ではなく、日常の動作やおしゃべりにおけるちょっとした制約が作り出す。 「全部英語」は極端であるにせよ、その会社、その組織、その業界独自の言葉や言い回しを作ったり、あるいは「その場で発してはいけない言葉」を作って共有すると、その場には独自の空気が生まれる。外から入ってきた人が「その組織の人」になるまでの時間は、そうした空気がある場所では大幅に短くなっていく。 制約が空気を作る 「ノー」を禁じた組織には、「ノー」を表現するための語彙が増えていく。「現実的に」を禁じた会議室からは、実際に実現できるアイデアが増えていく。 何か到達したい状態があるのなら、それを目標として声高に叫んでみせるよりも、目標と反対側の単語を禁じてやると、人間は案外、その方向に能力を発揮する。 内科医の会話から「外科」という言葉を禁じると、「外科に相談」みたいに便利な言葉が一切

    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/09/24
    「たくさん」という言葉を禁じられることで、人間は数をかぞえるようになったんじゃないかと思う。
  • チームワークとは「いい敵」の共有 - レジデント初期研修用資料

    チームワークは大切だけれど、リーダーがチームに対して、「チームワークを大事にしましょう」と諭してしまうと、誰もが「チーム」に遠慮する。結果としてたぶん、チームの能力は集まった人数を下回る。 チームには「敵」が必要 チームワークとは、チームが「共通の敵を持つこと」で生み出される。「チームをまとめるためには敵を探そう」が、リーダーが身につけるべき方法論でもある。 「敵」という存在は、対立や排除の対象であって、概念を共有した上で、それを「敵」と名指しすることで、チームには「何をやらないのか」、「誰に嫌われるのか」が共有される。 「敵」を名指しすることは、だからリーダーが戦略を策定するのと同じ意味を持つ。 目的の共有には意味が無い 目的とは単なる到達点で、どれだけそれを熱心に説いたところで、そこに到達するための道程は共有できない。メンバーの思い描いた道筋はバラけてしまうから、チームは結局まとまれな

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    SasakiTakahiro 2012/09/10
    「目的」の共有には意味が無い。
  • 必要なものとほしかったもの - レジデント初期研修用資料

    「必要なもの」の反対語は「ほしかったもの」なのだと思う。 必要なものは目的が作り出す。たいていはいつでも買えるし、買った結果は見通せる。ほしかったものは出会いが作り出す。出会ったその瞬間まで、お客さんは「それがほしかった自分」がいたことなんて想像だにしない。 必要なものはあらかじめ想定された選択肢であって、買い叩かれる対象でもある。それが必要なものになったその途端、その商品は価値を失うと言い換えてもいい。欲しかったものは、出会う時まではお客の頭に存在しない。選択とは無縁の何かで、価値は下がらない。 田舎のホームセンターは十分に大きくて、必要な物はなんだって揃っているのに、欲しいものが何もない。何かの機会に東京に出かけると、地下街を歩くのが常なのだけれど、欲しかったものばかりがそこにあってびっくりする。実際にそれが必要かといえばそうでもないし、ホームセンターを探せば、欲しかったその商品と同じ

    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/08/01
    「出会いかた」が大事なのだと思う。
  • 危機コミュニケーションのゲームデザイン - レジデント初期研修用資料

    公平は信頼の基礎になる。ところが災厄に代表される危機的な状況において、機会や配分の公平は、たいていまっ先に失われてしまう。 危機コミュニケーションの現場において、情報の発信者が唯一管理可能な公平は「ルールの公平」であって、信頼が重視されるコミュニケーションにおいては、「それがゲームとして楽しい」ルールの設定が大切になってくる。 「それがゲームとして楽しい」ことと、「その状況におけるルールが信頼できる」こと、ひいては「ルールの範囲内において相手を信頼できること」は等しい価値を持つ。相手から信頼を獲得することは、コミュニケーションの場におけるゲーム構築の試みに他ならないのだと思う。 昔話 原発災害の当初、情報が錯綜して、不安ばかりが広がっていくさなか、英国大使館が「日の原発についてのお知らせ」という見解を発表した。 新しい情報こそ発表されなかったけれど、現在公開されている情報を吟味して、そこ

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    SasakiTakahiro 2012/06/05
    ゲームが成立すれば、災厄がどれだけ理不尽なものであったとしても、ゲームが継続される限りにおいて、お互いの信頼は保たれる。
  • 自己紹介の戦略要素 - レジデント初期研修用資料

    「私はこれが得意です」という自己紹介は、わかりやすい代わりに役に立たない。「これが得意」は戦術レベルの長所であって、それを得意とするために、ならばその人はどの分野をの習得を諦めたのか、「私はこれを得意分野にするために、代わりにこの分野を切り捨てました」という自己紹介が、その人の戦略を教えてくれる。 切り捨てた何かを説明できない人、あるいは「私は何も切り捨てるつもりはありません」と答える人は、局所の戦術こそ得意だけれど、長期的な戦略を持っていない可能性がある。誰か上司について物を教えてもらう際に、戦略を持っていない人に弟子入りしても、伸ばしてもらえないから気をつけないといけない。 家庭医の教科書を読んだ 最近出版された「新総合診療医学」という教科書を読んだ。家庭医や、総合医を目指す若い人に向けて企画された教科書で、読んでみて勉強になったし、自分が知らなかった総合領域の記載は役立ったのだけれど

    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/04/27
    「自分が何を知っているのか」を語れる人はたくさんいる。「自分のような立場の人間が何を知るべきなのか」を語れる人はずっと少ない。
  • 美談の受益者について - レジデント初期研修用資料

    認知症の老人が紙幣の代わりにティッシュペーパーを出したときに、素晴らしい対応をしたレジ打ちの人がいたという記事 を読んだ。 ヘルパーの方と街を歩いていたおじいさんがハンバーガーショップに入り、会計の時に「紙幣」として取り出したものがティッシュペーパーだったのだと。 「それは紙幣ではありません」と応対すれば済むことだけれど、それをやると、認知症の人を傷つけてしまう。レジ打ちの人は気を効かせてくれて、「申し訳ありません。当店においては現在、こちらのお札はご利用できなくなっております」と応対してくれ、おじいさんは自身が傷つけられることもなく、間違いに気がつくことができたのだという。 これは間違いなく美談であって、レジ打ちの人は素晴らしい応対を行ったことにはなんの異論もないのだけれど、こんな話が「美談」として広まることには、個人的にはあまり同意できないな、とも思う。 美談は現場を苦しめる レジ打ち

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    SasakiTakahiro 2012/03/20
    「それを美談として共有することで、得する人は誰なのか」を、きちんと考えるべきだ、と。
  • 惰力と能力 - レジデント初期研修用資料

    Recent Entries 惰力と能力 中心は黒がいい 偏見を獲得すること 人と機械との関係 対等な関係は難しい 陰謀論と理解 顔の見える距離について 何を「やらない」のかを考える 丈夫なシステムについて 聞く仕事のこと Recent Comments 中心は黒がいい 01/06 to 01/05 通りすがり 01/01 Luddite 12/30 night24owl 偏見を獲得すること 12/29 medtoolz 12/29 エリヤフ先生 12/24 noproblemdude 人と機械との関係 12/14 まめ 12/14 Anonymous 12/10 しらせひびき Recent Trackbacks Amazonのレビューについて 08/10 [夕刊] アップルが世界一の企業に。 08/07 いつか世界に仇なす 少しだけいいものが選べない 07/28 ず's » 機械翻訳..

    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2012/01/14
    「いい惰性」の中に身を置くことで、能力の足りない人でも、能力以上の場所に連れて行ってもらえる。
  • 中心は黒がいい - レジデント初期研修用資料

    ずるい人は得をする。得があるから人が集まって、人の集まりが組織を作る。組織の真ん中にはリーダーがいて、リーダーはもっともずるい人だから、リーダーはたいてい、黒から始まる。 黒は仲間を増やす 黒い人のまわりに人が集まった人達も、外から見ると黒くなる。色は混ぜれば別の色になるけれど、黒にどんな色を混ぜたところで、黒はやっぱり黒く見える。 黒い人達を取り巻く誰かにとっては、そうしたリーダーが率いる組織は「ずるい」連中に見えるだろうし、ずるさと感覚される何かはたいていの場合、そのルールに対する正解でもある。「ずるい」連中は時々叩かれて、ルールは変更されるけれど、リーダーにアイデアがある限り、その場は黒く、居心地良くまとまっていく。 リーダーは「きれい事」をつぶやく お客さんを相手にする仕事において、お客さんから見て「きれいでない」組織は成功できない。「黒い」リーダーも、「白い」リーダーも、だからみ

    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/12/30
    「白」が「黒」に変化するのは難しく、「黒」だっていつかは「白」になる。