讃岐の奥座敷と呼ばれている塩江町では、1929(昭和4)年から1941(昭和16)年までの12年間、塩江温泉鉄道(ガソリンカー)が、塩江に訪れる交通手段として利用されていました。戦争などの影響で廃線になった後も人々に愛され続け、軌道であった琴電仏生山駅から高松市香川町にかけての線路跡地は、今でも「ガソリン道」という通称で道路として利用されています。 2018(平成30)年4月に「ガソリンカー復元実行委員会」が発足し、地域おこし協力隊や地元住民、香川大学、香川高等専門学校(高松キャンパス)、塩江町歴史資料館、当館学芸員などが参加して復元事業が進められてきました。 その過程で得られた資料・模型などを軸に、本展では塩江町の華やかな時代を象徴する風景と記憶を空間に現出させます。ガソリンカーを歴史のひとつの結節点としてとらえなおし、これからの塩江を考えていく視点を浮き彫りにしていきます。
◇歌劇客運んだ幻の12年 高松市南端の山間部にひっそりとある、塩江温泉(高松市塩江町)。かつて、この温泉と同市仏生山町を結ぶ「塩江温泉鉄道」が存在した。温泉では専属の少女歌劇が華麗なショーを連日繰り広げるなどにぎわい、一時は「四国の宝塚」とも呼ばれたが、日中戦争の影響から1941年(昭和16年)に廃線となった。今でもあちこちに往時の名残があり、後世に記憶を残そうとする住民の動きも出ている。 鉄道は28年、高松琴平電鉄の前身「琴平電鉄」が設立。翌年から約16キロの区間で運行を始めた。架線を設置する費用を節約するため、燃料はガソリン。塩江温泉郷の開発も併せて行い、不動産と鉄道が一体になったビジネスだった。 新たに出来た温泉旅館「花屋」の目玉は、宝塚歌劇をほうふつとさせる少女歌劇。少女らは温泉に住み込みで、毎日2回公演を行った。当時から塩江町で暮らす蓮井正文さん(91)によると、「舌切りスズメ」
瀬戸内海に面し、讃岐うどんブームで脚光を浴びる香川県高松市。この高松市で、市民の足を支えるICカードが高松琴平電気鉄道(ことでん)の「IruCa(イルカ)」だ。 IruCaは高松市の電車・バスで利用可能であり、その利用率は78.4%と極めて高いことは、別記事でも述べた通りだ(9月14日の記事参照)。割引サービスが充実していることも奏功し、この地域のICシフトはかなり進んでいる。 今回の時事日想・特別編では、IruCaの電子マネーサービスについて紹介していく。 高松市内を中心に電子マネーを展開 IruCa電子マネーは2006年11月1日に「高松デジタルコミュニティ実証実験プロジェクト」(経済産業省 平成18年度情報家電活用基盤整備事業 デジタルコミュニティ実証実験事業)の一部としてスタート。翌2007年3月31日に実証実験が終了した後も、加盟店向けの電子マネーサービスは継続することになった。
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