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生活と地方に関するTZKのブックマーク (12)

  • 熊本生まれの自分が「熊本の良さ」を全力でこじらせている

    この記事をね、読んだんですよ。1か月前に。 熊生まれのに「熊の良さ」を全力で伝えてみた|ヨッピーhttps://suumo.jp/town/entry/kumamoto-yoppymodel/ 前もって言っておくけど、ヨッピー氏個人に思うところがあるわけではないし、もちろん個人攻撃をするつもりもない。 これは広告記事だというのもわかっているし、熊の魅力を伝えてくれているのもわかっている。基的にはありがたい。 ただなにか、なんだろう、ずっとこの記事のことが心の中でしこりになって残って日に日にもやもやが募り、ついに吐き出したくなったので書いている。 自分は熊生まれ熊育ちで、大学進学で上京し、地元で過ごした年月と、東京を拠点にする年月が同じくらいになったところで、不意ながら諸事情あって一度熊に戻った。 当時東京に出た理由は「熊、なんにもないからなぁ」に尽きる。地方特有のローカ

    熊本生まれの自分が「熊本の良さ」を全力でこじらせている
  • みっくん@暇人 on Twitter: "佐世保市の人口が減ってる原因これやろ(真顔) https://t.co/CNr8u4ttNf"

    佐世保市の人口が減ってる原因これやろ(真顔) https://t.co/CNr8u4ttNf

    みっくん@暇人 on Twitter: "佐世保市の人口が減ってる原因これやろ(真顔) https://t.co/CNr8u4ttNf"
  • 東京に割高なお金を払って住む必要がなんかあるの?

    三沢文也 @tm2501 はてな向けに考えてるセツヤクエストネタがイマイチ固まりきらないので、つらつらとツイートしていきたいと思います。昨日投稿した第一弾では限りなく守護を小さくし、「一人暮らししてる貧乏な首都圏住まいの俺みたいなやつの話」に限定したけど、今度はもっとマクロな話をしたいと思ってる 2013-12-03 06:56:46 三沢文也 @tm2501 書きたいのは「地方に住むほうが絶対に得だから、高い給料に惑わされて安易に東京に出てこないようにしましょう」という話だ。私が住んでた神戸でさえ、物価も家賃も半分以下だからねぇ…。でも、コンビニのバイトは東京が900円に対し、神戸は750円だからね。賃金は半分にならないからね。 2013-12-03 07:01:08

    東京に割高なお金を払って住む必要がなんかあるの?
  • 私にはイオンが眩しすぎる - シロクマの屑籠

    http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131102-00000002-pseven-bus_all イオンに限らず、最近のショッピングモールは暖かい照明に充たされていて、空調も快適だ。あらゆる商品、あらゆるコンテンツ、あらゆるエンターテイメントが、たったひとつの空間に揃っている。広い駐車場、子どもやお年寄りに配慮したアメニティのお陰で、家族連れにも利便性が高い。実際、地方都市に住み、毎週のようにショッピングモールに通っていると、イオニストとまではいかなくても、それ無しの生活など想像できなくなってくる。 “イオンが撤退してしまったら、生活の質はどれぐらい低下するんだろう” そんな事も考える。それぐらい便利なのだ。 県庁所在地ならまだしも、地方の町村部に住んでいる人間にとって、ショッピングモールは商品・コンテンツ・エンターテイメント・文化の一大集

    私にはイオンが眩しすぎる - シロクマの屑籠
  • エピソード - みみより!解説

    夏休みに旅客機を利用する予定の人もいると思います。機内で乱気流による揺れを感じた時どう対応したらよいか。けがをしないための注意点などを解説します。

    エピソード - みみより!解説
  • 地方都市という地獄 あるいは関東圏の「私が住んでるところは田舎だよ(笑」が如何に残酷かについて - mizchi log

    都会に住む人間は、その価値を過小評価している。というのが僕の持論だ。そしてそれは東京に6年住んでより強固になった。 都心住まいの価値とは何か - よそ行きの妄想 http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20130115/1358204323 この記事の感想としては、およそ渋谷に特徴的な衛生問題が多いという事実には同情するとしても、常になにかしらの機会が与えられていることを無自覚だ、という点が地方の人間を刺激するだろう。 子供用の自転車が買えなかったとしても、買える距離に生きているのだ。さすがに子供用の自転車ぐらいは田舎でもみつかるが、嗜好品の類はそもそも手に入るかが怪しい。 今ではインターネットで緩和されたとはいえ、それを実際に目にする機会があるかという点において、それを好きになる機会すら与えられないかもしれない。 表題は、地方出身者を最も怒らせる一言である。 僕は、18歳

    地方都市という地獄 あるいは関東圏の「私が住んでるところは田舎だよ(笑」が如何に残酷かについて - mizchi log
  • 地方都市に住んでヨソ者=「2級市民」として扱われた違和感。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    事実誤認している箇所がありました。これから修正します。 2013.1.18 「自分の体験談」で文章を紡ぐと言うこと 〜「ヨソ者=『2級市民』」その後〜 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月に続きを書きました。 2013.1.21

    地方都市に住んでヨソ者=「2級市民」として扱われた違和感。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
  • 「東京は希望」「東京には何もない」山内マリコ×中條寿子の女子と地方

    『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎) 山内マリコ氏の処女小説『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎)が、地方生まれの女子の大きな共感を呼んでいる。全8章の主人公たちは、いずれも地方出身か在住者。生まれ育った田舎を肯定することができず、「ここではないどこか」を求めて悶え苦しむなか、エスケープの最大手段として、大都会へ出て行くことに憧れと希望を抱いている。 ドン・キホーテやジャスコ、ファミレスが国道沿いに立ち並ぶ、どこの田舎にもある“ファスト風土”。その中で生活が完結し、地元の仲間と結婚し出産する。主人公たちが嫌悪するこの生活は、果たして、当に絶望の地なのか――? 2005年から、地方都市のキャバ嬢たちにスポットを当て続けてきた、雑誌「小悪魔ageha」(インフォレスト)の元編集長・中條寿子氏と、山内マリコ氏が対談する。 ――中條さん、山内さんのを読んで、いかがでしたか? 中條寿子氏(以下、中條)

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    トルコ水紀行 -前編 イスタンブール- みなさんこんばんは、地図子です!8月は久しぶりに毎月更新にしようと思います。今までずっと名古屋について書いてきましたが、ワープして・・・ トルコについて書きたいと思います。 2024年6月に念願のトルコに行ってきました。いつからトルコに行きたかったかわから…

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  • 田舎の人は循環する時間という「宗教」を信仰している - アンカテ

    田舎でコンビニを開いた都会育ちの人が思ったこと - G.A.W. 私は、中学生の時に一緒にバンドをやっていた友人に「おまえは東京へ行く人間だからな」と言われたことがある。 ギターを弾いて作詞作曲をするくらいには好奇心の強い少年だったその友人は、一方でこの文章にうまく書かれている田舎のしがらみのまっただなかにある家に生まれた人で、その屈とした気持ちを何かの時にそういう言葉で私にぶつけてきた。 ただ、それは、そんなに強い言葉ではなく、その後もバンドは続いたし、別の高校に進学した後も友人関係は続いた。 彼の予言通りに、私は東京の大学に進学して東京で就職して、しばらくして連絡は途絶えてしまったけど、その言葉は今でも時々思い出す。 最後に会った時、地元の大学に進学した彼は、私よりずっとオシャレな、「今風の大学生」をやっていた。すごくいい車で私を駅まで向かえに来てくれて、服も車も単に高いだけでなくけ

    田舎の人は循環する時間という「宗教」を信仰している - アンカテ
  • 深町秋生の序二段日記

    東京の人口が未だに増え続けているという。もうすぐ1300万人を突破するとか。 仕事を追い求めて地方の人間がぞくぞくと集まっているのであろう。しかしそれだけではなく、リタイヤした高齢者もけっこう東京に向かっているのではないかと思う。仕事ほしさだけで人は上京するわけではないようだ。 先日、TBS系の深夜ドキュメント番組「ドキュメント・ナウ」を見た。この番組はわりと好感が持てて、大衆の現状というものを過剰に(古舘の過剰に深刻ぶった面にはうんざり)伝えることがない。テンポよく淡白にやるから鼻につかない。 先日は札幌における高齢者の集団生活の姿を追っていた。さまざまな理由で田舎で暮らせなくなった高齢者らが、札幌の元学生寮に集まって、スタッフとともに共同で生活するというもの。半介護施設といった感じだろうか。若者の減少によって空いた都会の学生寮に、地方で住めなくなった老人が集まるという姿が大変おもしろ

  • 田舎の生活はどんなものだったのか=インフラ格差について | 本石町日記

    下のエントリーですなふきさんから都市部と僻地のインフラ整備の格差についてご質問を頂いた。私にとっては意外な質問であったが、読者の中にはこの点に関して興味をお持ちの方がいらっしゃるかもしれないので、記憶する田舎の生活(or風景)を箇条書きにしたいと思う。ちなみに私は昭和30年代前半の生まれで、九州南部の僻地がどんな感じだったのか、特に若い方の参考になれば幸いである。 ・道路事情 私が中学に上がるまで近くの「国道」は砂利道であった、と記憶する。中学は自転車通学であったが、舗装道路になって随分と楽になった。以降、急速に舗装化が進み、大学時代に帰省したとき、実家の真正面にそびえる山(600m級)の頂上まで舗装道路が通っていたのには驚いた。遠足で数時間かけて上った霊峰だったのに。車の往来はほとんどない(昔も今も)。 ・農村風景 うろ覚えながら、小学低学年のころは田んぼではまだ牛が現役で頑張っておりま

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