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2007年2月25日のブックマーク (2件)

  • 非コミュがコミュニケーションの努力をすること : 誰かお尻拭いてください

    非モテがモテになる努力をすべきかどうかは個人の好き好きでしょう。でも非コミュはある程度コミュニケーションの努力をしないと生きて行けない。でも非コミュがコミュニケーション能力向上になかなか踏み出せないのは、一人ではできないから。コミュニケーションの練習なんか一人でできる訳無いから当然だけど。でもいきなりコミュニケーションの舞台へ上がろうとすると、そこには今までコミュニケーション能力を積み上げてきた達人ばかり。そこで非コミュが喋ろうとしたところで、キモイ、つまらない、空気嫁などなど各種罵声を浴びることになる。非コミュがコミュニケーションの努力をするなんて、周りからしたら迷惑なんですよ。それは痛いくらい分かっている。非コミュ当事者にとって、身の回りの人間で訓練をするということは、実弾を撃ってくる敵に対して模擬弾で射撃訓練をするようなもの。非コミュが訓練の中でした失敗は「なかったこと」にはならない

  • 感情レヴュー - [レヴュー]すべてがライトになる――芥川賞と星野智幸と佐川光晴

    最近の芥川賞の選評はおよそゆるしがたいものがある(おっと大きく出たぞ!)。その主要な理由は、各人の選評の前提となる部分に、「そもそも私たちの純文学とはどのようなもの(たるべき)か?」という問いがいっさい感じられないからだ。 日で最も注目される文学賞として直木賞は大衆文学を担い、芥川賞は純文学を担うものと、自他ともに認知されているわけだけれど、選考委員の選評をいくつか読んでいると、まるで自分が当の純文学なるものを体現しているのだとでもいうように、評価をくだしている。 彼らは、文学の値打ちは「理屈よりも感性にある」と言ってはばからず、知的操作よりも感情移入を優先する。素材(ネタ、物語内容)的には、社会的規範の相対化(による救いのない暗さ)よりも、癒しなり希望の光を求めるのだ。つまり皆が示し合わせたごとく一様に、価値の相対化と知的操作を否定し、癒しと感性を求めてやまない。最近の文芸誌は、知的操

    感情レヴュー - [レヴュー]すべてがライトになる――芥川賞と星野智幸と佐川光晴
    TZK
    TZK 2007/02/25