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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/terracao (6)

  • 書評、『私は若者が嫌いだ!』(香山リカ著、ベスト新書、2008) - 女教師ブログ

    かつて「若者の理解者」と言われたこともある著者は、この頃、ふと気づくと「私は若者が嫌いだ」とつぶやいていることがあるという。著者が嫌いな若者はこんな若者だという。すぐ音を上げて逃げる若者居場所がない、とさまよいすぎる若者「キレた」「オチた」「真っ白になった」と言えば許されると思う若者...(中略)...巷では、「ネトウヨ」「シュガー社員」「うつ病セレブ」があふれ、「誰でもよかった」殺人も頻繁に世間を騒がす。若者はかつてより弱くなり、かつてより自分に甘くなったのか。もし、そうだとすれば、それは自己責任か? それとも社会の犠牲者なのか?書は、そんな疑問を著者がじっくりと考えてみた思考の記録である。Amazon.co.jpの「出版社/著者からの内容紹介」より 私の感想「著者(ちょしゃ)」と「若者(わかもの)」はよく似ている。見間違えやすいんだなーということがわかりました。

  • 話し合いをダメにする論証パタン13個(有意義な論争のための議論ハック) - 女教師ブログ

    ↓こちらに続編あります↓ 論争に絶対負けない議論ハック(心構え編) - 女教師ブログ ====== 常々「ダメな論証方法」に関する話が好きで、自分でも色々考えたりしていたのだけれど、先日、ウィキペディアでまさにそれがリスト化されているページを見つけ、とても嬉しくなってしまった。誤謬 - WikipediaList of fallacies - Wikipedia, the free encyclopediaというわけで、以下は、wikiのページから13個の「間違った論証方法」を抜粋・再構成して、勝手に自分で例を考えてみたものです。こういうのを俗に、人の海パンで水泳をする、と言うんですね。 論理ルールの違反1. 後件肯定: 「PならばQだ」という論理を改変し、逆に「Qだ」から出発して「Pだ」を導く 例「瀧沢の彼女・奈々子は『もし浮気したら、別れるから!』と言っていた。最近、彼らは別れたらしい

  • 女教師ナオ子の「ミクシィやめたい」 - 女教師ブログ

    時計が23時を少しまわって、僕はブログを書くためPCに向かった。今回の記事のタイトルは、「21世紀への新大学構想――学内に普通に(人の)ウンコがおちてるような『首都大学東京』は、『自由大学東京』に改名してはどうか?」――そう、ブログ界いや高等教育界でのエポックメイキングでパラダイムシフティングな、金字塔的小論文になるはずだ。ワードを起動し、僕はキーボードに両手を置いた。ちょうどその時、電話が鳴った。姉のナオ子からだった。ナオ子は、開口一番、ミクシィやってるか?と聞いてきた。あ、あの招待制のオレンジ色SNSのことかとすぐわかった。いまや流行に乗り遅れまいとする大学生の常識だからだ。僕が、やっているというと、ナオ子は、マジでふざけてんじゃねぇよ!!!とまず最初に叫び、次のようにまくし立てた。 なんでわたしの日記にはコメントがつかないんだああぁぁぁ!!!どあほがああぁぁぉぉぉ!!!!!! いつも

    TZK
    TZK 2006/08/23
  • 「コミュニケーション能力の有無」って、「力関係」の言い換えじゃないかって気がする件

    コミュニケーション http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/31588.html鄭容疑者、長女の教育 気に掛け──「習い事、何がいいか」(2月18日)日経ネット関西版 今回の事件の報道のなかで気になった点。あ、ちなみに、事件の分析とかじゃないです。直接関係はありません。  日語には中国語なまりがあった。保護者の1人の男性(45)は「話すより聞くのが苦手。長い話になると返事ができず、コミュニケーションが取れないことがあった」。母親同士の輪に入れずにいることもあったという。(強調引用者) 1.言語能力や共有している知識が欠けている人がいる         ↓2.コミュニケーションがとれない        ↓3.「なじめない」空気をつくる この記事(やその他の報道)は、上記のような構造を暗示しているようにおもう。つまりコミュニケーションの失敗が事件の遠因になった

  • 「わたしたちは中立です」という幻想 - 女教師ブログ

    「わたしたちは中立です」という幻想 教育 信頼と誇りある教育復活掲げる−「都教連」が発足 http://www.tokyo-np.co.jp/00/tko/20060212/lcl_____tko_____003.shtml 大会では会長の長沢直臣・都立日比谷高校校長が「教育現場に特定のイデオロギーを持ち込まず、美しい日人の心を育てる教育の推進に組織的に取り組む時期がきた」とあいさつ。 (強調引用者) むしろ教育現場に特定のイデオロギーを持ち込むべきです(推奨:反体制的イデオロギー)。「美しい日人の心を育てる」という発想が「非・イデオロギー」とでも言いますか?あるいは、ただ右派の意見も左派の主張も取り上げず、淡々と受験知識を注入する教育が「非・イデオロギー」だとでも言うつもりですか?左右両方の主張を紹介して「それぞれ一理ありますねぇ...」などとほざく両論併記はオトナでスマートで「非・

    TZK
    TZK 2006/02/14
  • 斎藤孝著(2004) 『コミュニケーション力』 岩波新書――結局、コミュニケーション力とは何だったのか(読後も全く不明) - 女教師ブログ

    コミュニケーション, 読書『声に〜』以降、わず嫌いだった斎藤孝を久々に読んだ。「コミュニケーション」という言葉のもつ虚構性および政治性を暴こうと言う目論見で、ふんと鼻を鳴らしながら読み始めたのだが、意外や意外なかなか共感できることが多かった。ことばの身体性は(実は半分も理解できていないのだが)とても興味深く、細分化の著しい要素還元主義の言語教育に一石投じることができるのではと思った。また、コミュニケーションを活発化させる数多くの技法にも目からうろこであった。 ただ「コミュニケーション」の根的な点には疑問が残った。斎藤は何でもかんでも「〇〇力」に結び付けたがるようだが、はたしてコミュニケーションは力なのか?もっと具体的に言えば、適確な「要約/言い換え/コメント/質問(第3章 「コミュニケーションの技法」より抜粋)」というのは個人の能力の重要な構成要素のひとつなのか?なんだ当たり前じゃない

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