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ブックマーク / www.premiumcyzo.com (4)

  • 【磯部涼/川崎】“流れ者”の街で交差する絶望と希望

    有数の工業都市・川崎はさまざまな顔を持っている。ギラつく繁華街、多文化コミュニティ、ラップ・シーン――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。 16年2月、約1年前に川崎区の多摩川河川敷で中学1年生の上村遼太くんが殺害された事件で、殺人と傷害の罪に問われた少年の裁判員裁判が開かれた。 「ダメだ、外れた……」「おお、当たってる!」。2016年2月2日、午前9時15分。寒空の下に熱を帯びた声が響く。800人以上が凝視するのは、当選番号の書かれた看板。そして、その周りを無数のカメラが取り囲む。「ウチは全滅かぁ」「○○君が当たったって!」「さすが、持ってる男は違うねぇ」。談笑する報道関係者の横で、老人が茫然と看板を見つめる。手にした額縁の中では、可愛い顔をした少年が微笑んでいる。山下公園や横浜

    【磯部涼/川崎】“流れ者”の街で交差する絶望と希望
  • 川崎の不良が生きる“地元”という監獄

    有数の工業都市・川崎に渦巻くセックス、ドラッグ、ラップ・ミュージック――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。 川崎をレペゼンするラップ・グループ、BAD HOPのAKDOWの体に彫られたタトゥー。 川崎は2つの顔を持っている。その名前を聞いたとき、多くの人はベッドタウンと重工業地帯という対照的なイメージを連想するだろう。あるいは、平穏だが退屈な郊外と、荒廃しているが刺激的な繁華街というイメージを。 そして、そういった2つの側面は、それぞれ、川崎市の”北部”と”南部”が担っているといえる。今、北部/南部と書いたが、実際には、同市は東京2区5市と横浜市に挟まれた、北西/南東方向に細長い形をしている。しかし、住民の中には北部と南部という区分を用いる者が多いのだ。例えば、68年に生まれ、多摩

    川崎の不良が生きる“地元”という監獄
    TZK
    TZK 2016/01/22
  • ディストピア・川崎サウスサイド

    ――日有数の工業都市・川崎に渦巻くセックス、ドラッグ、ラップ・ミュージック――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。 平和な光景だった。日曜の午後、川沿いの土手を、ベビーカーを押す若い夫婦や雑種犬を連れた老人、トレーニングウェアを着たジョガーが通り過ぎていく。下方にあるだだっ広い河川敷では、川べりに親子が座って釣りをしている。しかし、その平和な光景は、まるで陰惨な事件現場を覆い隠すブルーシートのように思えてならなかった。 2015年2月、中学1年生の少年が殺害され、遺体を遺棄された川崎区の多摩川河川敷。 2015年2月20日早朝、川崎区・京急大師線港町駅に程近い多摩川沿いの土手を散歩中の地元住民が、河川敷に転がる全裸の死体を発見した。被害者は13歳の少年Aで、体中にあざがあり、首をナイフ

    ディストピア・川崎サウスサイド
  • 裏原カルチャーの証言者・米原康正が咆哮! 「NIGOくんは文脈が変わっていった」

    ──ここまでのレポートを裏付ける形として、裏原界隈の文化をリードしてきた、編集者にしてフォトグラファー、そしてクリエイティブディレクターである米原康正氏にご登場してもらい、裏原の「ほんとのところ」について語っていただいた。 米原康正氏。(写真/尾藤能暢) ――改めてお聞きしますが、「裏原系文化」はもう終わったのでしょうか? 米原 ストリート系ファッション誌のほとんどが、メジャーになった後の裏原系のブランドをメインとして扱って、大きくなったくせに、それが売れなくなってきたら掲載しなくなり、広告費を出せないブランドを拒否するようになった。そして雑誌が売れなくなると、裏原系ブランドがダメになったと責任を押しつけて「終わった!」なんて言い始めるんだよ。 ――まずはメディアの責任が第一にある、と。 米原 そう。だんだんファッションメディアが代理店化していって「タイアップしませんか?」ってことしか言わ

    裏原カルチャーの証言者・米原康正が咆哮! 「NIGOくんは文脈が変わっていった」
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