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musicと書籍に関するTZKのブックマーク (2)

  • 「僕たちの失敗」の森田童子の父親は、なんとあの人だった(高野 慎三) @gendai_biz

    作詩家であり、作家のなかにし礼が亡くなって1年が経つ。それにあわせ、死後に自宅から発見された未発表作品『血の歌』(毎日新聞出版)が刊行された。そこに書かれていた主題が、一部で波紋を呼んでいる。なかにしの代表作『兄弟』で描かれたあの破滅的な兄。その娘こそ、一世を風靡した森田童子であったのだ。つまり、森田は、なかにしの姪にあたる。なぜ、なかにしは森田との関係をここで明かすことになったのか。森田と交流もあった元『ガロ』編集長の高野慎三が記す。 テレビドラマ『高校教師』のあの歌声 かつて森田童子という類まれなシンガーソングライターが存在した。一部で熱狂的に支持されたようだ。その後1990年代前半に、テレビドラマ『高校教師』のバックに流れる「ぼくたちの失敗」で一般的に知られるようになった。そのときの語りかけるような音律と透き通る細い歌声が聞く者の心をとらえた。そして、「暗く悲しい歌」の歌い手として認

    「僕たちの失敗」の森田童子の父親は、なんとあの人だった(高野 慎三) @gendai_biz
  • 1979年はなぜ歌謡曲にとって特別な年だったか 栗原裕一郎が話題の書に切り込む

    冨田恵一の『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』(DU BOOKS)はドナルド・フェイゲンのソロアルバム『The Nightfly』を1冊かけて分析しただが、80年代に音楽制作に起こったイノベーションが裏のテーマとしてあった。冒頭で冨田は、70年代から80年代への変化というのは、徐々に進行したのではなく、デジタル時計が切り替わるように一息に完了したのだと書いていた。 「文化的にも70年代は文字通り79年12月31日を持って終了し、80年1月1日から明確に80年代は始まった、とのイメージさえ持つことができた」 さすがに1月1日からというのは誇張としても、歌謡曲のフィールドでも79年から80年にかけての変化というのは劇的なもので、80年に登場した松田聖子には70年代までの光景をガラリと塗り替えてしまったようなインパクトがあった。 ただし聖子という現象は突発的な事故ではなかった。70年代に歌

    1979年はなぜ歌謡曲にとって特別な年だったか 栗原裕一郎が話題の書に切り込む
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