国の史跡に指定されている「大山廃寺跡」。昭和50年代に小牧市が発掘調査を行った後、長く静かな歴史の中に引き戻され40年という月日が…。今、再び、大山廃寺のミステリーにスポットをあててみたく大山廃寺跡、児神社に出掛けてみました。 大山廃寺。「江岩寺縁起」には「大山峰正福寺」と記され、通称「大山寺」と言われています。白鳳時代―大化の改新や平城京遷都の頃―に、山岳寺院として創建され、室町時代まで盛衰を繰り返したそうです。現在、建物などは残っていません。昭和4年に国の史跡指定を受けました。小牧市が行った発掘調査で出土した遺物は、小牧市歴史館で一部展示されています。 最大のエピソード 大山寺は、仁平2年(1152)に僧兵の焼き討ちに遭い、寺は炎上。その時、寺にいた稚児僧2人が亡くなりました。その後、都の天皇が奇妙な病にとりつかれました。陰陽師が言うには「大山寺の稚児の霊を慰めると天皇の病気も治るだろ