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仕事と人生に関するakahigegのブックマーク (2)

  • 「ずっとむなしい、なにもなく終わる・・・」 マツダの天才エンジン技術者、大逆転の軌跡(前編) | 日経 xTECH(クロステック)

    の自動車技術者で、最も有名な一人が人見光夫だ。エンジン一筋38年。マツダ躍進の中核を担う、「スカイアクティブ(SKYACTIV)」エンジンの開発を率いてきた。世界シェアが2%に満たない“小兵”のマツダが、世界のエンジン開発競争で先頭を走る――。10年前、誰が想像しただろう。 人見がマツダに入社したのが1979年。スカイアクティブの実用化が2011年だ。57歳になっていた。会社人生の最終コーナーで、華々しい成果を生み出した。天才技術者とも称される。だが入社して長い間、ふてくされていた。 モチベーションなんて、なかったですよ。ずっとむなしいだけ。金くれるんだからまあいいわ、くらいに思って働いてました。 ひとみ・みつお。1954年生まれ。岡山県出身。1979年東大院修了後、東洋工業(現マツダ)に入社。一貫してエンジン開発に携わり、2000年パワートレイン先行開発部長。2011年執行役員、20

    「ずっとむなしい、なにもなく終わる・・・」 マツダの天才エンジン技術者、大逆転の軌跡(前編) | 日経 xTECH(クロステック)
  • 宮田珠己のスットコランド日記: 2009年7月19日 - 2009年7月25日

    韓国語の通訳をやっている従妹が、仕事で近所まで来たので、一緒に事。  従妹は、今年の3月は仕事がひとつしか入らなくて、不安で頭がおかしくなりそうだったと言い、「お兄ちゃんは、そういうとき、どうやって乗り越えてるの?」と訊かれる。  とくに乗り越えてはいないので、うわあ、仕事がない! と頭を抱えるだけだ。私が会社を辞めてフリーランスになった最初の1年は、年収が28万円しかなかったと教えると、が「でも、そのときはあれもやろうこれもやろうって夢があったから、収入なくても平気だったんじゃない」と言い添えて、そういう意味では、作家の場合、当に仕事がなくなったとしても、勝手に好きなものを書くだけのことで、生活は苦しくなるが、攻めの気持ちを持ち続けることは可能である。一方で、仕事が入ってくるのを待つタイプのフリーランスはつらいかもしれない。通訳で攻めるにはどうすればいいか、考えてみたが、よくわから

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