むかし無名で貧乏な作曲家の卵をやっていた頃、同じ境遇の若い作曲家仲間にこう問われたことがある。 「もし自分の書いた音楽が誰の耳にも届かないとしても、 それでも君は作曲をするか?」 二十代の始め、大学もやめて完全に無職無収入のまま、独学で作曲の勉強だけしていた「どん底」の頃だ。実際、その前後数年にわたって、まったく誰の耳にも届かない音楽を作曲し続けていた真っ只中であり、考える余地もなく「もちろん、作曲する」と答えた。 もっと怖い問いもあった。 「誰の耳にも届かなかった〈音〉は それでも存在したことになるのか?」 これは(特に音楽をやるものにとっては)かなり怖い想像だ。 音は発せられて空気を振動させる。でも、それが誰の耳にも届かなければ、それは〈音〉として観測されない。すなわち〈存在〉しないことと全く区別が出来ない。 作曲されても、演奏すらされない音楽は、そもそも空気を振動させることすらない。
![鳥たちの作曲法 - 月刊クラシック音楽探偵事務所](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/352a24f94f6dcd8b6d7d6eedd3080ebff653e12b/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fyoshim.cocolog-nifty.com%2Foffice%2Fimages%2F2010%2F10%2F10%2Fearthq.jpg)