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村上春樹に関するamajamのブックマーク (5)

  • 壁と卵 - 池田信夫 blog

    村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチの一部が、現地紙に出ている。当然「曖昧だ」とか「混乱する」とか否定的に論評しているが、抄録としてはもっとも長いので、スピーチの部分をそのまま引用しておこう:So I have come to Jerusalem. I have a come as a novelist, that is - a spinner of lies. Novelists aren't the only ones who tell lies - politicians do (sorry, Mr. President) - and diplomats, too. But something distinguishes the novelists from the others. We aren't prosecuted for our lies: we are praised.

  • 村上春樹氏「原発批判」演説ノーカット1/4

    作家の村上春樹さんがスペインで行ったスピーチで原発事故に触れ、「日人は、核に対して『ノー』と叫び続けるべきだった」と述べました。 ※テレ朝コンプリート/データ放送でご覧の方へ このニュースは動画のみで、文はありません。動画は下のPCサイトでご覧になれます。 「テレ朝news」 http://www.tv-asahi.co.jp/ann YouTube ANNニュースチャンネル http://www.youtube.com/user/ANNnewsCH

  • 村上春樹さん:オスロで「ムラカミ・フェスティバル」 23日には本人が講演 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇入場券即完売する人気に ノルウェー・オスロの「文学の家」で20日から4日間にわたり、作家の村上春樹さんにスポットを当てた「ムラカミ・フェスティバル」が開かれる。最終日の23日夜には村上さんが出席する予定だ。 主催の文学の家によると、村上さんは短い講演を行ったあと、ノルウェー人作家フローデ・グリッテンさんと対談するという。さらに、村上さんが自身の短編を日語で朗読し、それを現地の俳優がノルウェー語で伝えることも企画されている。 ノルウェーでは『羊をめぐる冒険』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『走ることについて語るときに僕の語ること』など、村上作品が次々に翻訳出版されている。同国では英語に翻訳された作品もよく読まれ、幅広い読者層に人気があるという。 村上さんの講演の入場券は発売後、12分で完売。急きょ、会場の座席を外して立ち見にし、約350人が入れるようにした。また

  • 村上春樹ロングインタビュー - 勇気と想像力、そして少々のお金

    考える人 2010年 08月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2010/07/03メディア: 雑誌購入: 224人 クリック: 3,524回この商品を含むブログ (107件) を見る 村上春樹の3日間にわたるインタビュー。聞き手の松家仁之(マツイエマサシ)*1さんがどういう人か存じあげませんが素晴らしいですね。じっくりと人間村上春樹に迫ります。2007年の「走ることについて語るときに僕の語ること」は独自のメモワールでしたが、今回は松家さんという聞き手がいての、作家になる前となった後の人生の回想録。面白かったです。「走ることについて・・・」の時には、音楽はコンピュータを通してはまだ聴く気になれない、とかなんとかでMDウォークマンで走っていたのにすっかりiPodをフル活用しているあたり、しっかり進化しています(笑)。 中でも感銘を受けた生きる姿勢についてちょっとだけ抜粋。何せ一

    村上春樹ロングインタビュー - 勇気と想像力、そして少々のお金
  • Book3が出る前に『1Q84』を論じる(上) - 梶ピエールのブログ

    今年初めのエントリ「2010年に『1Q84』を読む」の続きです。まあ、愚人節にふさわしいホラ話ということで。 恐らくすでに誰かが指摘していることだろうが、『1Q84』の青豆は、村上の初期作品の「鼠」の正当な後継者である。これも恐らく語りつくされたことだろうが、「鼠」と「僕」の二人の立場の違いは、近代化と高度消費文明によって生じた「醒めることの禁じられた夢」ともいうべき、一見心地よいこの世界に対して我々が抱く、両義的な態度を体現している。単純化すれば、「鼠」は世界を変えようと絶望的な抵抗を試みる立場を、「僕」は世界を最終的に受け入れる立場をそれぞれ代表している。 従来の村上の小説では、この二つの立場の違いを際立たせるために、「世界」のこちら側とあちら側、というように、いわば空間的な線引きをし、つねに「僕」にこちら側を代表させる、という手法をとっていた。そのような手法が行き着くところまでいった

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