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ブックマーク / yoshim.cocolog-nifty.com (2)

  • 鳥たちの作曲法 - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    むかし無名で貧乏な作曲家の卵をやっていた頃、同じ境遇の若い作曲家仲間にこう問われたことがある。 「もし自分の書いた音楽が誰の耳にも届かないとしても、 それでも君は作曲をするか?」 二十代の始め、大学もやめて完全に無職無収入のまま、独学で作曲の勉強だけしていた「どん底」の頃だ。実際、その前後数年にわたって、まったく誰の耳にも届かない音楽を作曲し続けていた真っ只中であり、考える余地もなく「もちろん、作曲する」と答えた。 もっと怖い問いもあった。 「誰の耳にも届かなかった〈音〉は それでも存在したことになるのか?」 これは(特に音楽をやるものにとっては)かなり怖い想像だ。 音は発せられて空気を振動させる。でも、それが誰の耳にも届かなければ、それは〈音〉として観測されない。すなわち〈存在〉しないことと全く区別が出来ない。 作曲されても、演奏すらされない音楽は、そもそも空気を振動させることすらない。

    鳥たちの作曲法 - 月刊クラシック音楽探偵事務所
    amajam
    amajam 2010/10/17
    "「もし自分の書いた音楽が誰の耳にも届かないとしても、それでも君は作曲をするか?」"「誰の耳にも届かなかった〈音〉は それでも存在したことになるのか?」"
  • 天才とは何だ?〜ブラームス型凡楽のすすめ - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    以前、とあるクラシックの音楽番組からブラームスについての取材を受けたことがある。開口一番「ブラームスはどんなところが天才なんでしょうか?」と聞かれたので、言下に「いや、彼は天才じゃないでしょう」と応えたところ、「・・・・・」。 取材はボツになった。 どうやら番組としては・・・ブラームスは「保守的」な作曲家というイメージがあるが、実は「こんなに斬新」で「こんなに画期的」なことをやっていたんです・・・というような指摘とコメントが欲しかったらしいのだが、私の意見は全く逆。 ブラームスは「保守的で」「新しいことをやらない」「才能のない作曲家」なのに、現代に至る〈クラシック音楽〉の基礎を作った。そこが凄いのだ。 そもそも、昔から「天才」という言い方はどうも違和感がある。人のプラス部分をなんでも「天才」と一括りにしてしまうのは、マイナス部分を何でもかんでも「気違い」と一括りにしてしまうのと同じで「思考

    天才とは何だ?〜ブラームス型凡楽のすすめ - 月刊クラシック音楽探偵事務所
    amajam
    amajam 2010/07/12
    ”「新しい」ことからも「天才」的な所行からも背を向けたブラームスの視点こそが、その後のクラシック音楽界の基礎になっているんじゃなかろうか。”
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