小林先生は、今から六十年以上も前、昭和二十九年(一九五四)の初めに「読書週間」と題した文章を書き、そのときすでに本が多過ぎる、本という物質の過剰が、読書という精神の能力を危険にさらしていると言った。が、これは批評家・小林秀雄の単なる批評ではなかった、編集者・小林秀雄の苦衷の述懐でもあったのである。 先生は、昭和十一年三十四歳の十二月、フランスの思想家アランの「精神と情熱とに関する八十一章」を訳して創元社から出したが、これが機縁で創元社に編集顧問として迎えられ、ただちに「創元選書」の刊行を提言、十三年の十二月に柳田国男「昔話と文学」、野上豊一郎「世阿弥元清」、宇野浩二「ゴオゴリ」の三点をもって創刊し、続いて横光利一「家族会議」、谷崎潤一郎「春琴抄」などの五点を刊行した。 創刊にあたって、雑誌『文藝春秋』に載せた広告にはこう謳っている。「良書は永遠の若さに輝き、万人に必読さるることを深く欲する
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